第三十話
東へ向かうシベリア鉄道、その終点のウラジオストクに向かう列車の中に明石大将の特殊部隊とニコライ皇帝一家(専属医らも含めて)らはあった。
「暫くは大丈夫でしょう」
「有りがたい……しかし何故ヤポンスキーが私らを助けた?」
変装のため髭を剃ったニコライ二世は明石に問う。
「確かに我々はかつて刃を交えました。ですが、我々日本はボリシェヴィキを信用していない」
「……我々は信用すると?」
「少なくともですな。まぁ私は上から命令をされてロシアの地を踏んでいるわけですから」
「……ヤポンスキーの独力では私達の救出は出来ない」
「その通りです。南樺太にいる親友達の手を借りたりしました」
「サハリン……ユダヤ人か」
「えぇ。ロシア帝政下で抑圧され続けた民族です」
「……皮肉だな」
それ以降、ニコライ二世は何も語らなかった。一方、ニコライ一家が何者かに誘拐された事の報告を聞いたウラジーミル・レーニン初代人民委員会議議長は警戒態勢を敷かせた。
「チェコ軍団がエカテリンブルクに入った報告は聞いてないぞ!!」
「は。警備兵に尋問したところ、夜半に出された夜食後に急激に眠気が襲い気付けば朝を迎えていて皇帝一家らはおらず、他の兵の死体が複数あったのみであります」
「エカテリンブルクを中心に警戒態勢だ!! シベリア鉄道の列車も全て停止させろ!!」
だが、その命令が届いた頃にはニコライ一家と明石大将の特殊部隊はハバロフスクに到着していた。この命令伝達にはかなりの遅れがあり、何者かの関与が当時からあったと言われているが今日でも分かってはいない。ハバロフスクに到着した明石大将らは用意されていた馬で北樺太の対岸であるラザレフに向かい一行は用意されていた船で北樺太に渡るのであった。
この時、ハバロフスクからラザレフまでの旅をアナスタシア皇女が後に自伝を出す事で日本までニコライ一家の脱出ルートが分かる事になる。
「シベリアに出兵が出来た。これで遣欧軍の帰還も出来るだろう」
「英仏は?」
「イギリスには内密に『話』をした。向こうも帰還を認めてくれるだろう」
首相官邸で伊藤達はそう話していた。
「それにどうやら遣欧軍は陸軍にお土産があるようだ」
「はい……三好大佐からの情報で聞いていましたが短機関銃とは……」
遣欧軍はドイツ軍の春期大攻勢用の決戦兵器として製造されたMP18を数丁捕獲していたのだ。
「戦闘が少し変わるだろうな……」
伊藤はそう呟くのであった。九月、第二次ソンムの戦い後、ジョン・パーシングに率いられたアメリカ遠征軍が五十万以上の兵力を投入したサン・ミッシェルの戦いが開始された。それに呼応する形かは分からないが遣欧軍は日本へ帰国する事になる。
理由はシベリア出兵である。フランスは兵力が減る事に躊躇したがアメリカもいたので気にしなかった。その代わり、重砲、野戦重砲の連隊はそのまま欧州の地に留まらせておく事にした。また、第一航空隊も引き続き欧州の地にいる。やはり将和の百機撃墜が効いていたのだ。
遣欧軍が引き揚げる中には看護婦の夕夏もいた。
「やっぱり私も残ります」
「それは駄目だ。一度、両親にちゃんと報告しないといけない。俺も帰りたいが帰れない。だから手紙を書いて夕夏、君に託したい」
「……分かったわ。なら御願いがあるの」
「ん?」
「必ず生きて帰って」
「……分かった。必ず帰るよ」
将和は夕夏の頬にキスをして夕夏は将弘を抱いて輸送船に乗船した。船が港を離れる中、将和は夕夏が乗る輸送船が水平線に消えるまで敬礼をするのであった。
そして九月下旬、アメリカ遠征軍十個師団がヒンデンブルク線を奪う試みのムーズ・アルゴンヌ攻勢が開始された。第一航空隊も参戦してドイツ軍の飛行場を空襲したのである。
「飛び上がる前に撃破だ!!」
将和らのスパッドS.13は滑走路にあったアルバトロスやフォッカー等の戦闘機を機銃掃射して炎上、撃破させた。
「後方から敵機!!」
一機のアルバトロスD.Vが将和らの編隊を崩す。崩れたところで数機のD.Vが乱入して空戦となる。
「この……!!」
将和は編隊を崩させたD.Vに追い付いて射撃する。エンジンから火を噴きながらもD.Vは不時着するのであった。
「「………」」
不時着したD.Vの上空を通り過ぎた瞬間、パイロットと視線があった気がした。しかし将和は直ぐに別のD.Vに射撃を加えて撃墜させたのである。
「……あれがヤーパンのミヨシか……」
不時着したパイロット――ヘルマン・ゲーリングはそう呟くのであった。結局、その後の戦闘は発生する事はなかった。
十月二十九日、ヴィルヘルムスハーフェン港にいたドイツ大洋艦隊の水兵約百人が出撃命令を拒絶してサボタージュを行った。海軍司令部はサボタージュの水兵達を逮捕してキール軍港に移送する。十一月一日、キールに駐屯していた水兵達が逮捕した水兵達の釈放を求めたが司令部は拒絶した。
そして十一月三日、デモを鎮圧しようと官憲が発砲した事を境に一挙に蜂起へと発展、十一月四日には四万もの水兵・兵士・労働者達が市と港湾を制圧するキールの反乱が発生、八日までには西部ドイツの都市全てがレーテ(評議会)の支配下となる。十一月十日までには殆どの主要都市に波及してしまう。九日には社会民主党のフィリップ・シャイデマンが議事堂の窓から身を乗り出して独断で共和制の樹立を宣言をしてしまい、ヴィルヘルム二世は九日のうちにオランダへ亡命して後日退位を表明する。一連の事は後にドイツ革命と言われる事になる。
そして十一月十一日、ドイツ革命の発生により成立した臨時政府により休戦が成立した。他の戦線においてはドイツ軍が勝利をしていたにも関わらずである。同日、ドイツ政府は休戦協定を受諾した。
「……休戦か……」
「そうですね隊長。これで風原さんの元に帰れますね」
「まぁな。問題は両親だ」
「それは頑張って下さい」
「あっさりするな」
あっさりと掌を返す部下にそう言う将和である。そして将和らの第一航空隊と砲兵連隊も帰国が決定した。休戦なのだから彼等がいなくても多少は大丈夫になったからだ。
十一月下旬、欧州にいた全日本軍は帰国の途についた。輸送船の中には第一航空隊が使用していたスパッドやニューポール等もあった。(購入していた)
しかし、彼等の身体にはウイルスが気付かないうちに蔓延していた。そう、インフルエンザ――スペイン風邪の猛威であった。
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