第三話
それから時が流れた1904年一月五日、正月の三が日が過ぎ将和は桂等の人物と共にとある小さな料亭に来ていた。
「遅れたが海兵学校卒業おめでとう三好少尉」
「は、僅かな日数ではありましたが良き学校生活でした」
将和はそう言ってお猪口に並々に注がれた日本酒を飲み干す。空の胃に日本酒が染み渡る。
「それに君の功績は素晴らしい。八甲田山事件を未然に防いでくれた」
「うむ、未来の海軍部長の反日を取り除いてくれた事も有りがたい」
児玉と山本はそう語る。八甲田山は将和がタイムスリップして直ぐに起きた事件である。
将和の報告を聞いた桂達は直ぐに八甲田山雪中行軍を中止させた。歩兵第五連隊は困惑したが、御上からの直接命令となり雪中行軍は中止となった。代わりに北海道の第七師団と雪中軍事訓練が実施された。
そして将和は海兵学校に入校した。その時、たまたま鎌倉の大仏を見に行った際に一人のアメリカ軍人と出会った。
それが後に海軍作戦部長となるアーネスト・キングだった。将和はキングの分の切符代を購入してあげた。更に将和は日本酒を買い、キングと共に客車で飲み合った。
この出来事でキングの反日感情は無くなり代わりな親日感情が芽生え、将和と親友になり後に将和が第一航空艦隊司令長官に就任したと聞いた時に「もし日米が戦えば負けるのはアメリカだ」と呟いた程である。
「八甲田山の事は兎も角、キングの事はかなりの偶然でした」
「だがその偶然が良かった。まぁ今日は飲んでくれ」
「はぁ、それと状況はどうなっていますか?」
「うむ……砲弾の製造は増やしてある。仏式野砲は何とか三百五十門を揃えた。砲兵も仏式には称賛している」
「海軍も砲雷撃訓練を重点にしている。第三艦隊は機雷等の掃海を主に訓練中だ」
「史実通りに春日と日進も購入出来て良かったです」
海軍は春日と日進の他にもヘネラル・ガリバルディ装甲巡洋艦のヘネラル・ベルグラーノとヘネラル・プエイレドンをアルゼンチン海軍から貸し出してもらい、名前も畝傍、利根と命名されて第二艦隊の第二戦隊に配備されている。
また、陸軍も師団の増強を可能な限り行っていた。技術者や工員等の徴兵は禁止して生産のペースを落とさないようにした。史実での兵力は約二十万であったが現時点では約二十五万と少しばかり増えていた。
更に後備師団として六個師団が創設されている。なお、戦費は宮廷費等から出ている。陛下も自ら倹約に励み、麦飯を食している。
「用意出来るのは全て用意出来た……」
「……後は待つのみ……か」
そして数日後、児玉は伊藤博文と料亭で会談をして伊藤を説得していた。
「今が御決断の時です伊藤さん!!」
児玉は伊藤に歩み寄る。
「この児玉も戦場で血を流す覚悟です。ですが万一の場合、陛下自ら陣頭指揮を……勿論閣下も死んで頂きます」
「……分かった児玉君、この伊藤も出来る限りの事もしよう」
児玉の説得は夜中の一時まで回る事になったが伊藤を説得する事が出来た。
そして二月四日、御前会議が開かれた。
「……では史実通りに最早開戦しか無いのだな?」
「はい。二月一日にも直前交渉をしましたがなしのつぶてであります」
この交渉は史実に無い交渉である。(少なくともW〇kiには載ってない)
「……決議通りで良い」
陛下も開戦を決断した。そして二月六日、外務大臣の小村寿太郎はロシヤのローゼン公使を外務省に呼び、国交断絶を言い渡した。同日、駐露公使栗野慎一郎はラムスドルフ外相に国交断絶を通知するのだった。
日本は前年前から出来る準備は可能な限り行っていた。陸軍は第一軍と第二軍を編成しており、それぞれ黒木為 大将、奥保鞏大将が司令官に就任していた。
海軍も第一艦隊と第二艦隊が佐世保に停泊、第三艦隊はこの時艦隊更に二つに分け、一方を佐渡島にもう一方を大湊に停泊していた。
また、第二艦隊はそれぞれ第一艦隊と第三艦隊に組み込まれており臨時旗艦は金剛型コルベットの二番艦である比叡になっていた。
この比叡はある予定が終わるまで佐世保に停泊し続ける。第二艦隊は第二戦隊第一小隊(出雲、磐手、吾妻)、第二小隊(八雲、浅間、常磐)と分けて第一小隊が第一艦隊に第二小隊が第三艦隊へ臨時配備。
第四戦隊(浪速、高千穂、明石、新高)は第三艦隊へ臨時配備。第四、第五駆逐隊は第一艦隊に臨時配備。第九、第二十艇隊は第三艦隊に臨時配備していた。
あえて第二艦隊を一隻までしたのはウラジオストク、旅順艦隊の早期撃滅であった。
そして将和にとある移動命令が来ていた。
「……特務参謀ですか?」
「うむ。海軍と陸軍の連絡係に近いが……何かあった時は君に聞くようになっている」
移動命令を受け渡した山本大臣はそう告げた。
「君の移動は開戦後だ。暫くは休んでくれ」
「分かりました」
それから二月八日、日露開戦となった。(宣戦布告は十日)日本海軍は史実通りに駆逐艦の奇襲攻撃から始まった。
日本海軍は第一〜第五駆逐隊を全て旅順港に差し向けた。史実通りであれば大連港に敵はいない。聯合艦隊司令長官の東郷平八郎は眉唾物だと認識しながらも旅順港のみの攻撃を絞った。
そしてそれが成功したのである。
「全艦突入せよ!!」
第一駆逐隊司令の浅井正次郎大佐は旗艦白雲に座乗して突入命令を出した。
駆逐隊は旗艦白雲を先頭に単縦陣で突入を開始する。総勢十九隻の駆逐艦は鍛えに鍛えた操艦技術で航行をしている。
途中の2050にロシヤ駆逐艦を発見して灯火を消した。史実では衝突しているが鍛えた操艦技術で衝突する事なくロシヤ駆逐艦を通過した。
そして九日020、港外に停泊していたロシヤ艦隊を発見した。
「水雷戦用意!! ギリギリまで近づくぞ!!」
史実では一万で攻撃をしたが、駆逐隊は距離七千二百まで近づいて必殺の魚雷を発射した。
その結果、史実通りに戦艦ツェサレーヴィチに四本、レトヴィザン三本、防護巡洋艦パラーダに五本の魚雷が命中した。
大破した戦艦ツェサレーヴィチとレトヴィザンは艦の助けにより何とか曳航されて湾内に入るも座礁擱座した。この攻撃で二隻は黄海海戦は元より戦争が終結するまで擱座するのであった。
しかしパラーダは他の二隻より運が悪かった。五本の魚雷が命中してパラーダは轟沈したのである。
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