第二十五話
「いや全く面目ない」
「もう。足を挫いた程度ですが無茶はしないでくださいね?」
医務室で将和は夕夏から捻挫した足の治療を受けていた。先のヴェルダンから帰る途中に階段から踏み外したのである。幸いにも骨折ではなく杖の必要が無い軽い捻挫で済んでいたのが僥倖かもしれない。
「ついでだから入院している奴等に激励するか」
「あら、それは良いかもしれませんね」
将和は夕夏を伴って病室を訪れた。丁度昼時だったので負傷のパイロット達は麦飯の粥を食べていた。
「ひ、飛行隊長!?」
「け、敬礼!!」
「あぁ、そのままそのまま。食べてて構わないから」
慌てて将和に敬礼する負傷パイロット達にそう言う。
「麦飯の粥も中々だろ?」
「はぁ、美味いでありますが何故麦飯なのかよく分からないです」
「まぁ一つはコメの代用に近いわな」
欧州に派遣された遣欧軍の主食は麦飯だった。これは将和の具申でもある。
「麦飯は脚気に対策になります。詳しくは自分も知らないのですがビタミンという有機化合物……なんちゃらのでして。かの豊臣秀吉の死因の一つに脚気があるという説があります。農学者の鈴木梅太郎がオリザニンという脚気を予防する因子……ぶっちゃけ理科の詳しいのは分かりません。星とか宇宙とかなら少し分かるんですが……」
そう元老達に主張する将和だった。元老達も将和の具申を取り入れて陸軍も麦三割を導入したのである。なお、森鴎外等が麦飯の批判で騒いだが無視されたのである。
「なぁに、麦飯も美味い。それに野菜や肉も基本欧州から渡される。しっかり食って寝て英気を養ってくれ」
「は、ありがとうございます!!」
そして病室を後にする将和だった。さて、食料は勿論、弾薬が無ければ遣欧軍は戦えない。何せ弾薬が無くなれば唯一使用出来そうなのはライセンス生産して配備している三八式野砲(M1897七五ミリ野砲)くらいだろう。
勿論、日本は食料と弾薬を補充するために輸送船団を出す。現に輸送船十二隻の輸送船団と護衛する艦隊が大西洋を航行していた。
艦隊は旗艦伊吹で伊吹の他にも戦艦安芸、防護巡洋艦千歳、同じく防護巡洋艦新高、対馬、駆逐艦は二等駆逐艦の桜型、三等駆逐艦春雨型の計十二隻であり、艦隊司令官は竹下勇少将である。この竹下少将、史実では石井・ランシング協定の仲介者である。また、安芸艦長には日露戦争の時に三笠砲術長だった安保清種大佐が務めていた。この安保大佐、三笠砲術長だったので当時特務参謀の将和とは面識があった。
特にロシア語が慣れない水兵達に似たような日本語を自身で考えて覚えさせたのは有名なエピソードであろう。また、この艦隊には伏見宮博恭王も遣欧艦隊視察のため安芸に乗り込んでいた。
そして艦隊はポルトガルの沖合い三百キロの海域を航行していた時だった。
「ひ、左舷に魚雷二!! 距離八百!!」
「何!?」
左舷見張り員からの報告に安保大佐は左舷の海面を見る。海面から魚雷特有の白い航跡を安保大佐は視認して操艦手に叫ぶ。
「取舵一杯急げェ!!」
「とぉーりかぁーじ一杯急ぉげェ!!」
安芸は回避運動に移行する。しかし魚雷の方が早かった。魚雷は安芸の左舷中央部に命中、安芸は水柱を噴き上げた。
「安芸に魚雷二本命中!!」
「駆逐艦は対潜戦闘!! 輸送船団を守れ!!」
竹下少将は急ぎ指示を出す。一方で安芸は傾斜が酷くなっていた。
「これがUボートの攻撃か……」
伏見宮は手摺に掴まりながらそう呟く。既に安芸は総員上甲板(総員退艦)が発令されていた。
「早く海に飛び込め!!」
伏見宮は他の水兵達に言いながら自身も海に飛び込むのであった。しかしUボートの攻撃は苛烈だった。安芸に更に魚雷一本を左舷に叩き込んだのである。安保大佐達も総員退艦をしていたが、この攻撃が安芸の止めとなり安芸は瞬く間に転覆、それに巻き込まれて363名が戦死したのである。
「……潜水艦は脅威になるな……」
後年、伏見宮は海上護衛隊初代司令長官に就任するがこの時の戦訓を元に護衛隊は精鋭部隊となるのであった。
「安芸がUボートに……」
フランスで報告を聞いた将和はまさかと疑う。しかし報告は真実である。
(……日本が深入りをしたせいか…だが香取型も無い世界だ。何が起きるのか分からない……か)
そう思う将和だった。そして物資や食料、弾薬等は無事にヴェルダンにいる遣欧軍に届けられたのであった。
「突撃ィ!!」
『ウワアアアァァァァァ!!』
遣欧軍の銃剣突撃は気迫以上のものだった。何せドゥオモン要塞には神尾中将以下の戦死した将兵達が眠っている場所である。
「先遣隊の敵討ちだ!!」
「突っ込めェ!!」
兵士達はMG08重機関銃の7.92ミリ弾で薙ぎ倒されつつもドイツ軍の要塞陣地になだれ込んだ。
「くそ、黄色い猿の分際で!!」
無論、ドイツ軍も黙ってはいない。彼等も着剣した小銃やスコップで応戦をし、たちまちのうちに激しい白兵戦が両軍で展開される。
「クラウツめ!!」
「黄色い猿め!!」
彼等は互いに罵倒しながら一人、また一人と倒していく。三十年式銃剣がドイツ兵の首に突き刺さり血飛沫が飛び散る。ドイツ兵も負けじと銃剣やシャベル等で日本兵の命を刈り取る。そして死闘の末にドゥオモン要塞は十月二十日に日章旗が翻ったのである。
『万歳!! 万歳!! 万ァ歳!!』
彼等は万歳三唱しつつ涙を流す。ドゥオモン要塞に散った先遣隊の仇を取れたのである。司令部では報告を聞いた東條参謀は静かに涙を流すのであった。
「諸君、ドゥオモン要塞は奪い返した。しかし、まだ他の堡塁が残っている。喜ぶのは全てが終わってからだ」
気が緩みかけた参謀達に上原はそう釘を刺したのである。なお、ドゥオモン要塞は後に事故で破壊される。そして十二月十日までにヴォー堡塁等多くの失地を取り戻す。また、フランス軍が移動弾幕射撃を採用した事で遣欧軍も移動弾幕射撃を取り入れてまだ篭っているドイツ軍に射撃をするのであった。
結果的に十二月中旬までにはドイツ軍が占領した全地域を取り戻す事に成功するのである。
だが遣欧軍もヴェルダン戦において約八千の死傷者を出し、弾薬の消費も最後には重砲が尽きてしまう程であった。これらは陸軍に戦訓を残すのであった。
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