第十五話
ポーツマス条約の内容に反対する集会も二年を過ぎれば流石に下火になる。桂は改めて1907年一月に国民に対して説明をした。
「残念ながらあの時、軍があれ以上の進撃する事は不可能である。あの時にアメリカが講和への仲介をしてくれなかったら日本軍は満州から叩き出されていた」
桂がゆっくりと淡々と語る事実に記者達は知らず知らず息を飲む。
「ユダヤ人に樺太への入植を許可したのもユダヤ人のおかげと聞いていますが?」
「左様。所謂恩返しの意味でもある」
樺太は日ユの人々が住み着き始めていた。入植初期にはユダヤ人の入植は百万だったが、二年も経てば百五十万にも膨れていた。(日本は二十万人)
樺太でも北緯五十度以南は1907年に誕生したユダヤ自治政府が治めていた。
北ではなく南樺太である。これには理由がある。北樺太はオハ油田があるからだ。史実でも1880年には石油の露頭が発見されていたので日本としては国内で採れる油田が欲しかったのだ。
最初は変な自治政府にアメリカ等は首を傾げていたが、後にオハ油田の生産が開始されると成る程と頷いたほどである。
また日本は国内開発にも力を入れていた。日露戦争が終わり軍にあまり力を入れなくて済んだからだ。
東北の開発も方針に入れらていた。史実の東北地方を襲った昭和東北大飢饉や昭和三陸地震とそれによる津波等を考慮すれば開発は当然だった。特にイネの研究が進められて水稲農林一号が史実より早くに登場する事になる。
資金等は軍の軍縮(兵器更新は別。主に一般兵の削減)とユダヤ自治政府に格安で売却した元バルチック艦隊の戦艦と旧式艦艇である。
「まぁ持っていても仕方ない」
三好の発言はその通りでユダヤ自治政府には肥前を除いた戦艦が売却された。また、海軍の旧式艦艇も売却していた。
物を大切にするのは分かるがいつまでも保有していると維持するにも費用は掛かるのであえて第三国へ売却していた。
特に新興国は他では古くても自分のところでは新しいのだ。
さて、日露戦争を終えた桂は首相の座を西園寺公望に譲っていた。所謂桂園時代なのだ。また、特に政治的に安定した時期とされ期間中に行われた二回連続の総選挙はいずれも任期満了に伴うもので日本憲政史上において二回連続任期満了の総選挙が行われたのは桂園時代だけとされる。
なお、第一次西園寺内閣のやり通した内容はほぼ史実通りだった。史実と違うのは香取型戦艦が建造されてなく少しは海軍でも余裕はあった。それでも薩摩型戦艦は史実通りに進水して擬装中だった。
さて、三好はどうしていたかと言えば、三笠はまだ改装途中のため戦艦敷島乗組となっていた。だが二月で駆逐艦不知火乗組、九月に第十一駆逐艇隊長心得となり1908年九月に海軍大尉に任命され第十一駆逐艇隊長となった。1909年五月に海軍大学校学生となり十一月には海軍砲術学校の学生となる。
そして1910年五月に海軍砲術学校修了となるが三好は改装が完了した特務艦三笠の分隊長に任命された。
「宜しいんですか? 三笠の分隊長で」
「構わんよ。それに君が三笠改装を提案したんだ。自分で見るべきではないかね?」
「それは確かにそうですが……」
大臣室で三好は斎藤実海軍大臣と面会をしていた。
「同期は浅間の分隊長や吾妻の分隊長なのでどうかと思いまして……」
「そう心配するな。誰も気にしてはおらんよ。ましてや日本海海戦で一時期三笠艦長代理をしていたのだ。文句は出んよ」
三好が三笠を指揮していたのは粗方の者は知っていた。(なお発生源は長谷川である)ちなみに斎藤実も山本権兵衛を通して三好の事を知っていた。
「……分かりました。改装された三笠を見てきます」
「うむ。それと予測される世界大戦前に航空隊を創設したい。何か良い航空機はあるかね?」
「そうですね……水上偵察機ならイギリスのソッピースタブロイドが良いかもしれません。ただ初飛行が1913年十一月ですのでそこから購入するとなると……第一次世界大戦前ギリギリかもしれないのが難点です」
「ふむ……それなら君が前に具申したモーリス・ファルマンMF7とモラーヌ・ソルニエHの後に購入した方が良いな……」
「はい。その方が良いかと……」
「それと航空隊には君も配属してもらう」
「……自分がですか?」
「操縦は未体験でもある程度の知識は分かるだろう?」
「はぁ、一応は……」
「一応は君の言う史実よりかはマシになってきてはいるが……まだまだだな……」
「ドレッドノートの影響は凄まじいです」
1906年に就役した英戦艦ドレッドノートは世界各国の戦艦に影響を与えていた。今まで保有していた戦艦は前弩級戦艦とされ日本としては早期に弩級戦艦を保有したかった。
薩摩型は前弩級ではあるが日本が初めて自国で建造する戦艦なので多少は目を瞑っている。薩摩は兵装等は史実通りだが機関に宮原式石炭・重油混焼水管缶とパーソンズ式タービン二基二軸を搭載して最大速度二〇.三ノットを記録していた。
これは特務艦に改装された三笠がパーソンズ式タービン二基四軸を搭載したからによる。三笠の改装時、ブラウン・カーチス式直結タービンかパーソンズ式タービンのどちらを搭載するか悩んでいた。そこで捕獲して修理及び改装をしていた肥前に白羽の矢が立つのである。
三笠にはパーソンズ式二基四軸を、肥前にブラウン・カーチス式二基四軸を搭載する事にしたのだ。肥前の改装期間は1909年まで増えたがその代わり高速化を得て二三.一ノットの速度を発揮するのであった。ちなみに三笠は二三.三ノットである。
そして弩級戦艦であるが河内型が既に起工して建造中であった。
「ですが日本の工業力だと弩級は河内型二隻だけでしょう。その後の超弩級に切り替えるしかないです」
「うむ……やむを得んだろうな」
斎藤とそう話す三好だった。その後三好は三笠分隊長乗組となる。
「副砲はどんな感じだ?」
「あ、分隊長。自動化されたので前よりかは遥かに楽です」
三好は古参の兵曹長と話をする。三笠は改装された際、副砲の射撃速度の向上として給弾装置を新式に交換して速度向上をはかった。
また新型の河内型から揚弾装置も新式で揚弾速度も向上、半自動で主砲弾が装填可能となり副砲も給弾装置も交換して速度向上の予定である。
「もう少しか……」
三好はそう呟いた。戦乱の世はもうすぐ迫っていたのであった。
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