戦後編第六話
少し修正しました。
七話は予定だとキューバ危機とベトナム戦争の予定になります
「何とか帝都への空襲は免れたが……」
「代わりに新潟が爆撃されては割に合いませんな……」
10月28日、聯合艦隊は損傷と鹵獲した艦艇を内地に向かわせ、無傷の艦隊は再び釜山にて待機していた。
第二次日本海海戦は聯合艦隊の完勝であった。一隻もの撃沈艦は無く、更には多数の鹵獲艦もあったので第一次日本海海戦のように勝利に沸くーー事は出来なかったのだ。第二次日本海軍海戦があった同日にウラジオストクからTu-4等の爆撃隊270機が日本本土爆撃に向けて離陸していたのだ。
田辺大佐の第一潜水隊による『梅花』攻撃より前の話であった。爆撃隊はTu-4が120機、Pe-8が50機、退役していたのを引っ張り出したIl-6が100機でありTu-4は30機と90機に分かれて神戸・大阪・京都と帝都へ、Pe-8とIl-6は一番近い新潟への爆撃だった。
しかし佐渡島の対空電探が迫り来る爆撃隊を探知、更には日本海で対潜掃討をしていた海防艦『志賀』の対空電探も探知したので連絡は直ぐに将和の代わりに空軍大臣に就任した吉良の元に届いたのである。
「全力迎撃だ!!」
中部航空方面軍を筆頭に全力迎撃が発令された。全都市に警戒警報が久方ぶりに発令されたのだ。最終的にTu-4の爆撃は完全に防ぐ事に成功した。Tu-4を分散したのが裏目に出たのだ。
しかし、新潟爆撃は完全には阻止出来なかった。何とか震電改二32機、橘花改二28機、蒼雷12機が新潟湾上空でIl-6とPe-8の爆撃隊を迎撃したが10数機が新潟上空に侵入、そのまま爆撃を開始したのだ。
高射砲隊も応戦したが新潟市内の5分の1が炎上、死傷者も300人を数えたのである。だがそれでも爆撃隊は全機撃墜するという事で何とか怒りを収める事にしたのだ。
「これが原子爆弾だったら新潟は消滅していたな……」
報告を受けた吉田総理は溜め息を吐きながら新しい葉巻に火を付けるのである。
「それと総理、この戦争の落とし所は……」
「……池田、ドッジから聞いているんだろ?」
「……はい。中国が義勇軍として参戦したと……」
「チッ。南部で抵抗している蒋介石も役には立たんな」
吉田は舌打ちをしつつ葉巻で一服をする。大陸の事情は史実より複雑化していた。ハワイ和平条約後、中国は毛沢東の共産党、蒋介石の国民党に再び分かれて内戦を1949年まで行われていた。国民党が負けるのはアメリカも良しとせず再び国民党に援助を行い、47年には一時半分ずつの勢力を保っていた。将和や吉田にしてみたらそのままの均衡を保ってほしかったが共産党はソ連の援助を受けて態勢を建て直して侵攻をし今では国民党が勢力を持っているのは広東省を中心に広西省、福建省、江西省、湖南省くらいであった。
「取り敢えず、日本はこれ以上はやらない。マッカーサーとの事前協議も仁川上陸までと決めている」
「恐らく航空隊の支援要請は有りましょうが……」
「難民を返すのに忙しいと伝えろ」
大韓民国の難民達は小舟や漁船等で日本に大挙として押し寄せていた。海保も全戦力を出して逮捕したりして韓国に返還させてはいるが不法入国は完全に取り締まれていなかった。その為、不法入国した韓国人による犯罪も多々行われていたのである。
無論、吉田も犯罪を犯すなら容赦はせず警察の武装機動隊や陸軍も軍を出して治安維持に勤めるのである。なお、これに関連して後に不法入国に関する法律等を多数制定し史実以上の取り締まりを行うのであった。
それはさておき、それからの朝鮮戦争はほぼ史実通りの展開となった。たまに日本側から「軍を出そうか」と具申したがマッカーサー、本国のウォレス大統領としては日本が本格的な介入をするとソ連も参戦するのではとなり恐れたのだ。
「日本にもそれ以上の応援を出してもらいたいがソ連の本格的な参戦が怪しまれる」
本音としてはマッカーサーも日本に軍を(少なくとも10個師団)出してもらいたいがソ連がいるのではどうしようもなかった。また、ソ連も日本の本格的な参戦を恐れていた。
(このままではウラジオストクに運んだ太陽を落とさねばならない……しかし、それだけは……)
この時、ソ連が原子爆弾の製造出来たのは一発だけだった。その資金の大半はウラジオストク艦隊の再建に注ぎ込まれていたのだ。だからこそスターリンは慎重にならざるを得なかったのだ。
(何処かで窓口があれば……)
そう思わなければいられないスターリンであった。そんな事はさておき、日本ーー海軍でも鹵獲艦をどうするか頭を悩ましていた。
「『ヴィットリオ・ヴェネト』級は此方で調査はすべきだな」
翌年の1951年1月5日、内地に戻った将和の聯合艦隊は呉にて鹵獲した艦艇を見分していた。
「今回、鹵獲したのは戦艦『ツェサレーヴィチ』『Гангут』で空母は『キエフ』、重巡『シベリア』『グネフヌイ』級駆逐艦6隻です」
「フム……駆逐艦はタイとかに譲渡しても良いかもな」
「『Гангут』は旧式ですが……」
「……実験艦艇とかでも良いな」
「成る程。『キエフ』と『シベリア』は西ドイツに返還しては?」
「さて……向こうが応じるかな……」
後に外交ルートを通じて2隻の返還をそれとなく伝えたが西ドイツは西ドイツで2隻の返還をしてもらったらソ連を刺激するのではないかと議論になり結局は返還は無しとなった。その代わりに改装で艦から降ろした兵装等を返還しキール軍港等で展示されるのであった。
それはさておき、その後の朝鮮戦争は史実通りの展開となり日本もそれ以上の戦力の派遣等はしなかった。
4月11日にはマッカーサーが解任された。ウォレスはマッカーサーを信用していたがマッカーサーの主張に従って戦争を行えば第三次世界大戦にもなりかねないと判断したのだ。この頃になると大韓民国の第二代大統領として許政が就任した。
許政本人は朝鮮戦争までとしていたがそれはアメリカは反対した。大韓民国にシビリアンコントロールを根付かせるまで必要とされたのだ。なお、李承晩はハワイにて軟禁されるのが決定している。
そして幾度なく休戦会談が行われての1953年7月27日、38度線近辺の板門店で北朝鮮、中国軍両軍と国連軍の間で休戦協定が結ばれ、3年間続いた戦争は一時の終結となったのである。
「一先ずは史実と同じくの終結……か……」
「ですが三好さん、戦後の構築やら忙しいですよ」
「……例の国防省創設だろ? まぁ陸海空の大臣だったのを合わせて国防省としての幕僚長にしてその上に国防大臣をか……」
「まぁ史実を考えたらそれが一番かもな……」
「ですな……というわけで国防大臣はお任せしますね」
「ブッ、ちょっと待て堀!! なんでそうなるんだ!?」
「陸海空で顔が効くとしたらもう一人しかいないじゃないですか」
「ウグッ……それを言われると……」
「大丈夫ですよ。サポートとして山本と井上を派遣しますから」
「それ、嫌がらせじゃねーか!? せめて伊藤にしろよ伊藤に!! それか小沢とかをよ!!」
「大丈夫です。多少睨まれますが仕事と私事は切り分けるでしょう」
「大丈夫じゃねーよ!!」
そう堀に喚く将和だったが結局、将和は第五次吉田内閣で国防大臣として組み込まれるのである。また、その日に陸海空軍は市ヶ谷に建設された国防省が創設されその指揮下に組み込まれるのであった。
なお、ソ連は全滅したウラジオストク艦隊の再建に苦悩しつつ資金を出すのである。その為、T-55中戦車の開発が遅れるのは言うまでもなかった。
「全く堀とかも……好き勝手しやがるもんだ……」
「あら、貴方だからこそじゃないの?」
麹町の自宅で将和は夕夏と寝ていた。本日は夕夏の日らしく一戦交えていた。
「けど……また夕夏達に迷惑をかけてしまうだろ?」
「取材依頼? もう対処は慣れたわよ。それに取材依頼は文ちゃんしかしてないじゃない」
美鈴の三女である三好文は戦後に新聞記者を勤めており、将和の単独取材を唯一認められた者でもあったのだ。
「まぁ……問題は山積みだけどな……」
「貴方なら大丈夫よ」
夕夏はそう言って将和に抱きつく。
「だって……貴方は私の夫なのよ?」
「……ものすごーく納得してしまった……」
「あらあら♪」
溜め息を吐く将和に夕夏はクスクスと笑うのであった。
再び日本は一先ずの平和を得るのである。
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