戦後編第四話
時は少し戻る。釜山橋頭堡が完成してから8月7日、連合軍ーー国連軍は最初の反撃を開始した。馬山正面の北朝鮮第6師団(約7,500人)を撃破して釜山西部を安全にすることと、大邱への圧力を緩和するためであった。後に『キーン作戦』と呼ばれる作戦であった。
第25歩兵師団や第5連隊戦闘団など合計2万4千人、戦車部隊として合計101輌のM4A3とM26パーシングがキーン支隊を構成した。その後方では西部方面軍から派遣された日本陸軍第十五師団が展開していたのである。しかし、キーン支隊は史実と同じく北朝鮮第六師団と交戦しキーン支隊は北朝鮮第6師団に4千人以上の損害を与えたが、キーン支隊も損害を受けたのである。
ウォーカー中将は作戦を中止しようとしたがキーン支隊と入れ替わりに交代したのが第十五師団であった。
「現陣地は死守だ。砲兵や戦車は支援要請を出来る限り応えるように」
韓国派遣軍司令官の宮崎繁三郎中将はそう指示を出す。日本軍は冷静に第6師団を攻撃していく。無論、第6師団も戦車の要請をし残っていたT-34中戦車を前面に押し出すが待ち構えていたのは四式戦車であった。
「弾種徹甲、撃ェ!!」
九二式十糎加農砲を元に戦車砲となった四式十糎半戦車砲(50口径)が火を噴く。発射された四式徹甲弾はT-34中戦車の側面を貫通し走行していたT-34中戦車は瞬く間に行動を停止する。それを合図に配下の四式戦車が次々と砲撃をして北朝鮮軍のT-34中戦車を撃破するのである。この為、第6師団は壊滅状態に陥ったのである。
「おのれ日本軍め!!」
第一軍団の金雄中将は第6師団を後方に下がらせると第二軍団の金武亭中将に増援を要請、金中将も要請に答え第1、第8師団の2個師団を馬山に向かわせるのである。これで第8軍の大邱正面の兵力を吸収する目的も達成する事が出来たのである。
そしてモスクワでは日本の参戦にスターリンは頭を悩ませていた。
「おのれヤポンスキーめが!! またしても私の邪魔をする気か!!」
「同志スターリン、ならばウラジオストク艦隊を……」
「待て、まだその戦力はウラジオストクに居らねばならん!!」
この時、ウラジオストクにはソ連海軍がその威信を掛けて再生したウラジオストク艦隊が駐留していた。
戦艦
『Гангут』
『セヴァストーポリ』
『ノヴォロシースク』(旧伊『ジュリオ・チェザーレ』)
『クニャージ・スヴォーロフ』(旧伊『ヴィットリオ・ヴェネト』)
『ツェサレーヴィチ』(旧伊『リットリオ』)
空母
『キエフ』(旧独『グラーフ・ツェッペリン』)
『ミンスク』(旧伊『アクィラ』)
第一巡洋艦隊
『シベリア』(独重巡『プリンツ・オイゲン』)
『タリン』(独重巡『リュッツオウ』)
『ボロディノ』(旧独重巡『アドミラル・シェーア』)
『ワリヤーグ』(旧独重巡『ザイドリッツ』)
『ラーザリ・カガノーヴィチ』
『カリーニン』
第二巡洋艦隊
『クラースヌイ・カフカース』
『チャパエフ』
『チカロフ』
第一駆逐艦隊
『グネフヌイ』級×10
第二駆逐艦隊
『ストロジェヴォイ』級×3
『オグネヴォイ』級×4
『ミンスク』級×3
戦後、ソ連はイタリーに密かに接触していた。イタリーの海軍力をスターリンが欲したのだ。
「早急に海軍を増強する必要がある」
日ソ戦争後、緊急の人民委員会議がスターリンによって行われた。その中でスターリンは海軍の増強を強く推進、直ちに可決された。だが可決されたからはい終了ですというわけにはいかない。
海軍人民委員のニコライ・クズネツォフはスターリンの海軍増強に賛成しつつもスターリンに海軍の現況を素直に報告した。
「同志スターリン、海軍の増強は真に喜ばしい事ではあります。ですが、我がソ連海軍は残念ながら精強には程遠い存在です」
「素直なのは良い事だクズネツォフ。本音ではヤポンスキーの『イズモ』を保有したいところではあるがヤポンスキーは降伏していないからな。そこでだ」
そこでスターリンは数枚の写真をクズネツォフに提示した。
「この写真は……」
「一枚は宿敵ドイツの空母『グラーフ・ツェッペリン』だ。後はレニングラードで放棄されている『ソビエツキー・ソユーズ』だ」
「成る程。確か『グラーフ・ツェッペリン』は自沈したと聞いています」
「密かに自沈場所に人員を派遣して調査している。浮揚さえすれば修理をして我がソ連海軍初の航空母艦『キエフ』となるだろう」
「成る程(艦名まで決めているとなると……実行はされる予定だな)」
スターリンの言葉にクズネツォフは頷きながらそう思う。
「同志クズネツォフ、君に命じるのは戦艦の建造だ」
「戦艦の建造……」
「そうだ、ヤポンスキーの戦艦がマリアナやインド洋で活躍しているのは聞いているだろう? 我がソビエトも大祖国戦争前には戦艦を建造しようとしていた」
「はい、そのために『ソビエツキー・ソユーズ』がレニングラードで建造をしておりましたが……」
「皆まで言わなくてもよい。ドイツとの戦争だからな。それで明日から『ソビエツキー・ソユーズ』級の建造再開をするように」
「ダー同志(明日からかよ……)」
「それと、海軍の予算も多めに振り分けるようになっている」
「СПАСИБО同志」
「君は海軍の再建を優先せよ」
斯くしてクズネツォフは動き出す。予算はスターリンの言葉通り、前年度以上の予算(約五倍)が海軍に振り分けるがそれの割りを食ったのは陸軍である。陸軍はT-44の発展型であるT-54/55を開発していたが予算が削減された事で開発が延期になってしまった。
また、スターリンは占領したドイツ地域から造船工員や技師をソビエトに招致(ほぼ誘拐や拉致に近い)して造船能力を向上に務め、また連合国の権利としてイタリア艦艇を賠償を強く求めた。
当初は米英から無視されてはいたが『アルハンゲリスク』を返還する事で戦艦二隻の賠償が認められたが実際に来た戦艦『ジュリオ・チェザーレ』にスターリンが激怒した。
「もう一度、欧州を巻き込んだ戦争をしたいようだな!!」
スターリンは直ちに三個軍団への出撃準備命令を発令、これに慌てたのはイタリアだった。
「いかん、これでは最初に巻き込まれるのはイタリアだ」
第64代イタリア王国閣僚評議会議長のアルチーデ・デ・ガスペリはソ連の行動に本気だと理解した。そのためガスペリはスターリンと会談をしたのである。
スターリンは38サンチ砲の技術提供と『ヴィットリオ・ヴェネト』『リットリオ』未成戦艦『インペロ』空母『アクィラ』の引き渡しをスターリンが提示し引き渡しに応じれば3個軍団の出撃準備命令は直ちに解除するとの事でありガスペリはやむを得ずこれを了承した。
米英はイタリアの行動を批難し撤回するように求めた。しかしイタリアは「ならうちを守れるようにしろよ、此方はアップアップなんだぞ」(意訳)である。
連合国軍欧州方面最高司令官のアイゼンハワーは「ドイツ側でソ連と決戦があるからもしれない」との方針で然程イタリアに駐屯する連合国軍は少なく、そこを突かれたとも言っていい。派兵しようにも太平洋側にも戦力を張り付ける必要はあるので結局はイタリアの行動を容認するのである。この事で『ソビエツキー・ソユーズ』級の40サンチ砲搭載の実現が可能としたのである。
また、イタリアはソ連からの要望で海軍技術者の提供をしたりと連合国側としてはあるまじき行為をしたがアメリカやイギリスもドイツや日本との戦争で国力を疲弊し、民生に力を入れていたので強くの反論はしなかったのだ。その代償がコレである。更にソ連はドイツ海軍の艦艇である『グラーフ・ツェッペリン』や『プリンツ・オイゲン』等の艦艇も強引に接収してソ連側に引き込んでいた。
それらの艦艇は何れも被弾損傷していたが24時間態勢の修理を行い何とか朝鮮戦争前には修理が終わりウラジオストク艦隊に編入してウラジオストクに回航したのである。
(だがそれでも日本への警告はする必要があるか……)
そして9月14日、スターリンは声明を発表する。
「我が国は朝鮮半島で他国籍軍の大いなる侵略を否定する。他国籍軍が引かなければ我が国は北朝鮮に義勇軍を送る所存である。また、他国籍軍の支配下となっている周辺国をやむを得ず攻撃する場合があり、これには日本も該当する」
スターリンは日本を脅迫したのだ。しかし、吉田は真っ向から戦った。
「我が国は共産主義の思想が日本に入るのを阻止するのも今戦争の目的の一つであり我が国を追い立てようとする思想が共存共栄する事は到底有り得ない事である」
吉田の反論に、国内の日本共産党等の共産主義者達は抗議デモを行い、果てには火炎瓶や投石等で警察に対抗しようとしたがそれは武装機動隊の投入等で抑える事になる。そして翌日15日に国連軍は仁川に奇襲上陸をしたのである。
国連軍はそのままソウルを9月28日に奪還し、南部の釜山を攻めていた北朝鮮軍は退却を開始したのであるがこれに味を占めたのがまたしても韓国軍であった。
彼等は開戦以前から「北進統一」を掲げ、「祖国統一の好機」と踏んでいた。だからこそ彼等は「今こそ祖国統一を!!」と叫び10月1日に38度線を越えたのである。なお、この独断専行にマッカーサーは特に問題と捉えていなかった。マーシャル国防長官の曖昧な返答等もありマッカーサー自身の判断で38度線を越える権限があると思っていたのだ。
また、国連でもソ連が拒否権を行使できる安全保障理事会を避け、10月7日にアメリカ国務省の発案で総会により、全朝鮮に「統一され、独立した民主政府」を樹立することが国連の目的とする決議が賛成47票、反対5票で採択され、マッカーサーの行動にお墨付きを与えたがそれを制そうとしていのが吉田であった。
「ジェネラル、38度線を越えれば中国は元よりソ連軍も義勇軍を出して参戦するでしょう。ここいらで一旦の矛を収めるべきではありませんか?」
「シゲル、シゲルの懸念も理解している。しかし、北朝鮮が存続すれば半島というナイフを喉元に突き付けられているのも同然では無いか?」
「……………………」
結局、平壌が国連軍に占領されたのは10月20日であった。平壌占領を知ったスターリンは毛沢東をけしかけ、人民解放軍を義勇軍として参戦する事になる。また、その陽動としてスターリンはある二つの命令をウラジオストクに発したのである。
「大変です!! ウラジオストク艦隊がウラジオストクを出撃しました!!」
将和がその報告を聞いたのは鎮海湾に停泊している時であった。
「落ち着け、それで通信文は?」
「はっ、ウラジオストクの哨戒に出ていた田辺少将の第一潜水隊からです!! 『我、ウラジオ艦隊ノ出撃ヲ確認ス』他は艦種等記されています!!」
「ん」
通信参謀から通信文を受け取り将和は一目し草鹿に渡す。
「戦艦6、空母2、巡洋艦多数……ウラジオ艦隊の全力出撃ですな」
「あぁ。恐らく狙いは……俺達だろう」
仁川上陸の阻止と思いきや、ウラジオ艦隊の狙いは聯合艦隊であった。経路としては確かに対馬海峡を目指してはいたが……どう見ても狙いは聯合艦隊なのだろう。
この時、鎮海湾に停泊していたのは再編成した第一、第二艦隊と第一航空艦隊であった。
第一艦隊
司令長官 三好将和元帥海軍大将(GF長官兼任)
旗艦『出雲』
第一戦隊
『出雲』『長門』
第二戦隊
『伊勢』『日向』
第五戦隊
『妙高』『那智』『羽黒』『足柄』
第三水雷戦隊
『矢矧』
第12駆逐隊
『妙風』『清風』『村風』『里風』
第19駆逐隊
『山霧』『海霧』『谷霧』『川霧』
第20駆逐隊
『冬潮』『若潮』『宵潮』『風潮』
第二艦隊
司令長官 伊藤整一大将
旗艦『高雄』
第四戦隊
『高雄』『摩耶』
第七戦隊
『八雲』『伊吹』『六甲』『和泉』
第二水雷戦隊
『能代』
第15駆逐隊
『黒潮』『雪風』『天津風』『初風』
第18駆逐隊
『陽炎』『不知火』『夕雲』『風雲』
第31駆逐隊
『長波』『高波』『早霜』『秋霜』
第一航空艦隊
司令長官 山口多聞大将
旗艦『信濃』
第一航空戦隊
『信濃』【『蒼雷』×45『橘花』×45機】
『加賀』【『蒼雷』×45『橘花』×36機】
第二航空戦隊
『翔鶴』【『蒼雷』×36『橘花』×36機】
『瑞鶴』【同上】
第三航空戦隊
『大鳳』【『蒼雷』×36『橘花』×36機】
『神鳳』【同上】
第三戦隊
『河内』『因幡』『岩代』
第六戦隊
『鈴谷』『利根』
第一護衛戦隊
『五十鈴』『長良』
第二護衛戦隊
『阿武隈』『多摩』
第一水雷戦隊
『阿賀野』
第一駆逐隊
『山雨』『秋雨』『夏雨』『早雨』
第六駆逐隊
『高潮』『秋潮』『春潮』『夏潮』
第61防空隊
『秋月』『照月』『涼月』『若月』
第63防空隊
『浦月』『青雲』『紅雲』『春雲』
第66防空隊
『天雲』『八重雲』『冬雲』『雪雲』
なお、他の『雲龍』型や水雷戦隊は仁川上陸の支援に赴いていた。
「……海軍省に打電しろ」
「何と打ちますか?」
そして『出雲』から一通の電文が海軍省に向けて発信されたのである。
『敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ擊滅セントス。本日天氣晴朗ナレドモ浪髙シ』
後に『第二次日本海海戦』と呼ばれる海戦が幕を開けたのである。
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