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ネストキィレター  作者: 光太朗
ネストキィレター
16/20

ネストキィレター 1

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 ルーガルドは、考えていた。

 冷たい石の床に背をつけて、光のない天井を見上げ、ただずっと、考えていた。

 どこかで、間違えたのだろうか。

 国を救いたいのだ。人の作った愚かな文字を取り入れ、他国に乗っ取られるような事態は、どうしても回避したかった。姉のいうように、ネストキィレターと決別するなどと、あってはならないことだ。

 そこに、嘘はない。

 それとも、もしかしたら──どうしても取り去れない渦巻く思念、醜い感情があることが、いけないのだろうか。人の上に立とうとするにはあまりにも人間的な部分がはっきりと見透かされていて、なにか見えない力が、ルーガルドが先へと進めないよう、足を縛り付けているのだろうか。

 だとすれば、間違えたのではない。

 最初から、自分自身が、間違っているのだ。

「僕は……この国を、愛している」

 湿った空気に向かって、つぶやく。

 嘘ではない。

「ネストキィレターを、愛している」

 それも、嘘ではないはずだった。 

 しかし一方で、違うという気持ちもある。愛ではなく、それ以上のものだ。同時に、同等であり、真逆でもあった。憎しみとも呼べるかもしれない。

 カイミーアの王は、ネストキィレターに触れることを許される。

 城の深部には、この国にあってはならないはずの、書庫があった。幼い日、姉のあとをこっそり追ったルーガルドは、その事実を知ってしまった。

 文字を読むことは、できなかった。それでも、見ているだけで、ルーガルドは神秘そのものに包まれるようだった。何度も何度も書庫に通い、書物に目を通した。読めなくとも、そんなことは関係なかった。それらすべてが目に焼き付くほどに、酔いしれた。

 しかし、ユイファミーアが気づいたのだろう。厳重に施錠され、二度と、行くことはできない。

 姉は、あたりまえのように、神の文字に触れるのに。

 自分は、触れられない。

「神の文字に、守られた国」

 遠いところで、自分の声が浮かんでいるようだった。

 ルーガルドは、頬に伝う冷たさに、自分が涙を流していることに気づいた。気づいたが、それだけだった。悲しいとも、情けないとも思わない。悔しさはあったが、涙の理由に直結しない。まるで自分のものではないかのように、涙が流れていく。

 もうどうでも良いというような、投げ出した気持ちがあった。ルーガルドは滴を指先で拭うと、宙に指を滑らせる。

 寝る間を惜しんでシェリアンから学んだ、ネストキィレター。なけなしの敬意を払って、頭に浮かんだ文字を、記していく。

 夢。

 愛。

 欲望。

 希望。

「……空虚」

 最後の文字は、声に出して、書き上げる。

 すぐに、異変が起こった。

「……?」

 ルーガルドの指が辿った軌跡が、光を帯びた。ほんの少しの、かすかな光だ。しかしそれは一瞬のことで、すぐに消えてしまう。

 光ったのは、空虚という文字だけだった。ルーガルドは身体を起こし、己の指を見つめる。

「文字……と、言葉?」

 閃くものがあった。

 それは天から降り注ぐように、ルーガルドの脳を射抜いた。

 なぜ、カイミーアで文字を禁じているのか。

 なぜ、他国でネストキィレターの解読がこれほど進んでいるというのに、未だその力を使うことができないのか。

「誰もが、赤い魔女に、なりうる……」

 処刑場から姿を消した、エスメリアの言葉を思い出す。

 文字は人の禁忌だ。それはこの国の絶対だが、ルーガルドはもちろん、皆が信じて疑わない──文字とは神が作り出したものであり、それを人が使うことなどあってはならないのだと。

 しかしルーガルドは、初めて、疑念を抱いた。

 もし、そうではないのならば。

「文字研究……消えたロイツノーツ……人の禁忌……神の文字……」

 ぶつぶつと口の中でつぶやきながら、ルーガルドは指を噛んだ。強く強く。血が流れ石の床を汚したが、そんなことはどうでもよかった。

「ネストキィレター」

 幼い日、書庫で目にした書物の数々が、脳に浮かんだ。

 そこに記されていたすべての文字が、蘇っていくようだった。

「この、国は」

 そして、唐突に、理解した。

 ルーガルドは血で染まった指を踊らせた。空間を彩色していく。生まれついてからずっと口にしてきた国の言語と、確かに自分のものにしたネストキィレターとが、絡み合い、解け合い、一つになる。ネストキィレターとは、この心に浮かんだすべてなのだと、ただそれが姿を変えただけなのだと、知る。

 理屈ではなかった。

 出入り口のない、石の牢獄。ここに閉じこめるとき、ユイファミーアは文字の書かれた板を手にしていた。つまりこれもルートと同じ、ネストキィレターの力で作り出されたものなのだろう。

 重要なのは、二つだ。

 これがネストキィレターによるものならば、いまのルーガルドの力で、どうとでもなるはずだという確信。そして、文字の板がなければ、閉じこめることのできなかった姉。

「僕には、使いこなすことができる──!」 

 次々と、文字を描き出していく。血の文字は身体の一部のように、牢獄を跳ね回る。

「我が名はルーガルド──ネストキィレターをもって世界に命ずる──光よ、空気よ、物質よ──」

 ルーガルドの言葉と描いた文字とが、感応し合う。赤い光は、ルーガルドを満たしていく。

「我の行く手を阻むすべてのものよ──道を開け、いざなえ!」

 視界に入るすべてが、光り輝いた。

 ルーガルドは膝をつく。まるで身体中の血が流れ出てしまったような虚脱感。気がつくと、床一面が赤く染まっていた。自ら記した、ネストキィレターだ。

 緩慢な動作で、顔を上げる。

 そうして、笑んだ。それは、想像を超える光景だった。

 ルーガルドを囲んでいたはずの石の壁が、消えていた。それだけではない、地下にあるはずの入り組んだ道がすべて、なくなっていた。

 広い広い、先の見えない、空間。

 いま自分が端にいるのか、中央にいるのかもわからない。足が地についている、それ以外の感覚はないのだ。

 しかし、ルーガルドは、理解していた。

 目を閉じると見える光、消え入りそうな小さな一点だが、そこがすべての核だ。その光を目指せばよいのだと、わかっていた。

 力と力は惹かれ合う。

 呼ばれているのだ。

 力を手に入れた、特別な存在として。

「行こう」

 足を、踏み出す。

 不意に、白い影が降り立った。それは一つではなかった。二つ、三つと、数を増していく。

 人の姿をしたそれらは、なにかを訴えているようだった。

 しかしルーガルドは、小さな挙動でそれを振り払った。それを見ようとはしなかった。

「僕は、王になれる」

 不思議なほどに高揚し、そして凪いでいた。

 ルーガルドは瞳を閉じて、確かな足取りで、光を目指した。 












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