武力交渉
離れたところを繋ぐ一つの鍵として用いられる船がある。
人や商品、時には文化も運ぶ。船はさまざまなものをつなぐ存在だ。航海経験がなかった頃はさぞ苦しかったことだろう。
船として思い出される歴史の出来事で最も有名とされるのは黒船来航であろうか、
アメリカが太平洋地域の拠点(補給地)を確保し、アジア貿易を拡大することを目的とされるとされ アメリカは、産業革命により大量生産された製品を中国などのアジア市場で売りたいと考えており、太平洋を横断する蒸気船や捕鯨船の燃料(石炭)、食料、水などを補給する寄港地として、日本に開国を求めたのだ。
開国を求められた日本はあの見慣れない黒船にさぞ驚きを隠せなかっただろう。 日本とアメリカとの間には大きな差があった。
日本は開国ヲすんなり受け入れることはしなかったようだ。
日本は約220年続いた鎖国政策を異国人に渡すのは慎重であったからだ。
ペリー提督はその後、再来航し。今度は武力で威圧しつつ交渉を行い、開国へと向かうことになったのである。
軍事力や物理的な威嚇を背景、または実力行使を交えながら行う武力交渉は弱い国にはどうすることもできない交渉だ。
核問題を背景にアメリカはイラン攻撃を「大規模な戦闘作戦」という形で発表させた。
子どもを含め3千人を超す犠牲を出しておきながら何のための武力行使だったのか、弱い者いじめだったのか
一方で義の心で動いた人がいる。上杉謙信だ。敵に塩を送った故事で知られ、その精神は上越市の林泉寺で培ったとされる。7歳から14歳まで日々座禅を組み、修行を積んだという。
やはり交渉は相手のとの関係を知らなければなにも解決できない。そこには信頼があり、弱い者いじめで手なづけてもうまくいかなくなるからだ。
「宝在心」と呼ばれる16カ条からなる謙信の家訓がある。その一つに「心に欲なき時は義理を行う」。今の為政者たちに言葉の意味を知ってほしい。




