エピソード 3ー9
蜂蜜色の光が差し込み、金色に染まる図書館の片隅。
レーネは本棚を背に、ドレス風の戦闘服の長いスカートの裾を口で咥えていた。露になった白い太股は汗で光り、くるぶしには小さな布地が絡まっている。
なにより、控えめにピースをするその顔は上気して、恥ずかしそうにこちらを睨んでいる。
どう見ても事後である。
その光景を正面で見ている俺は、これが夢なのだと認識していた。おそらく、俺が転生する前、レンとレーネが結ばれたときの記憶を見ている。
思ったよりもレーネがエロ可愛い。
なるほど。人前ではツンツンしてるけど、ベッドの上では素直になるタイプか――と、そんなことを考えていると、どこからともなく囁くような歌声が聞こえてきた。
透明感のあるウィスパーボイス。その心地のよい歌声に惹かれて意識が浮上する。
ぼんやりと目を開けば、魔導具の灯りに照らされたレーネの顔が目の前にあった。どうやら、俺はレーネに膝枕をされているらしい。彼女の繊細な指が宝物を扱うように俺の髪を撫でていた。
「……目が覚めたのね、マスター。身体の調子は大丈夫なのよ?」
「え? あぁ大丈夫だ。俺はどれくらい眠って――っ」
身体を起こそうとした俺は、全身に走った激痛に目を顰める。
「無理をしない方がいいのよ。マスターはエーテルギアの過剰使用で全身の筋肉がヤバいことになっているのよ」
「……ヤバいこと?」
「聞きたいのよ?」
「聞きたくない。それより、俺はどれくらい眠ってたんだ?」
「数時間ほどね」
「なら、いまは夜か」
起き上がるのを諦めた俺は、レーネの膝枕に身を任せる。
「レーネ、おまえは大丈夫か?」
「マスターが助けてくれたおかげなのよ」
「そうか、間に合ってよかった」
そう呟いた俺は、首だけを動かして周囲を見回す。
ヴェルターラインの基地の中ではない。だが、薄明かりに照らされた朽ちた部屋。少しかび臭い匂いには覚えがあった。
「ここはまだ、第二環の中なのか?」
「ええ。残念だけど、魔法生物はまだ周囲にいるわ。私達の場所を把握している訳じゃなさそうだけど、警戒モードが解けた訳じゃなさそうなのよ」
「それは厄介だな。……救援は?」
その問いに対し、レーネはゆるゆると首を横に振った。
「残念だけど、コネクトレインは戦闘で破損したのよ」
「……そうか。そうなると、緊急時の合流場所を目指すしかないな」
「ええ。でももう夜遅いから、夜明けと共に向かう予定なのよ」
「そうだな……と、待て。コネクトレインが壊れた?」
レーネのコネクトレインは、リストレインに組み込まれているはずだ。それが壊れたということは――と見上げれば、彼女の瞳はほのかに紅く染まっていた。
「おまえ、そういう重要なことは先に言え」
慌てて調律術式を使おうと手を伸ばすが、その手が触れる寸前、レーネは首を横に振った。
「この程度なら、平時の行動に差し支えはないのよ。戦闘だって――」
「馬鹿を言うな!」
問題ないと振る舞うレーネを叱咤する。
レーネはリストレインがあるからこそ暴走せずに生きている。平時ならともかく、リストレインなしに戦うのは自殺行為だ。
「……マスターに隠し事は出来ないわね。たしかに、暴走せずに戦うのは無理かもしれないのよ。だけど、暴走した状態でも囮くらいにはなれるのよ」
「もう一度言うが、馬鹿を言うな。おまえにそんなことはさせない」
絶対に二人で生きて帰ると、覚悟を決めてレーネの腕を掴む。
そうして調律術式を使えば、レーネの感情が逆流してきた。それは、死への恐怖――そして、それを塗り潰すほどの、俺を必ず生きて帰すという強い覚悟。
「……レーネ、俺は死なない。だからおまえも死なせない。絶対、二人で生きて帰ろう」
――そう口にした直後、俺は自分が死に掛けたときのことを思いだした。あのときの俺は、こんな半端なまま死にたくないと思った。
複数の女性と関係を持ったのは俺の意思じゃない。でも、事実として俺は複数の女性と関係を持ち、その後は自らの意思で手を出したりもした。
一番宙ぶらりんな状況。
もしも俺がここで死ねば、生き残った彼女達は疑心暗鬼に駆られるだろう。死ぬつもりなんてないけれど、このまま誤魔化し続けるのだけは嫌だ。
だからと、俺は痛む身体に鞭を打って起き上がった。
「マスター、もう少し休んでろ、なのよ」
「ああ。だが、おまえに話がある」
「……急に改まってどうしたのよ?」
彼女の瞳に警戒色が滲んだ。
「言っておくが、俺が囮になるとか、そういう話じゃないぞ」
「……そうなのよ? なら、少し安心なのよ」
だったらよかったんだけどな――と自嘲する。そうして覚悟を決めるために深呼吸をすると、かすかにレーネの優しい匂いが香る。
俺はレーネが好きだ。
それを、今回の任務で再確認した。でも、同時にリーシアやセフィナ達のことも好きだ。いいかげんだと言われるかも知れないが、それが揺るぎない俺の気持ち。
それを棚上げにしたまま、レーネとこれ以上接することは出来ない。
だから――
「俺は、リーシアが好きだ。そして、彼女と何度も身体を重ねている」
「――っ。そ、そう……なんとなく、そうじゃないかとは思っていたのよ」
ショックを受けた顔。怒ったっていい。反射的に殴られたって文句を言えなかった。
だけど、彼女はぎこちなく笑う。
「なら、私を抱いたのはただの遊びだったのね」
「それは違う。レーネを抱いたのは、俺がおまえを好きだからだ」
「……は?」
レーネの顔が訝しげに歪む。
「なにを、言ってるのよ?」
「事実だ」
俺が答えると、レーネが「ふざけないで欲しいのよ!」と声を荒らげた。
「マスターはさっき、リーシアが好きだと言ったばかりなのよ!」
「そうだ。俺はリーシアが誰よりも好きで、だからリーシアを抱いた。でも、レーネが誰よりも好きで、だからレーネのことを抱いた。そのどちらも本当のことだ」
嘘は吐いていない。
だけど――
「……な、なんか、マスターが急に最低なことを言い出したのよ?」
「そうだな。俺もそう思う」
どんな事情があったとしても、俺が複数の女性に手を出したのは事実だ。
だけど、だからこそ、その責任から逃げない。
「二人だけじゃない。俺はセフィナとも寝たし、たぶんカティアやリアナ、それに遠征しているメンバー達とも寝ていると思う」
「む、むちゃくちゃなのよ。そもそも、それだけの子達に手を出して、どうしていままでバレなかった……と言うか、たぶんってどういう意味なのよ?」
レーネが訝しげに尋ねてくる。どうやら、怒りを通り越して、疑問の方が勝ったらしい。
そして、彼女の疑問にどう答えるかは既に決めている。
「言葉通りだ。俺は、それらの記憶が曖昧なんだ」
「……どういうこと、なのよ?」
無茶なことを言っているのに、レーネは真面目に聞こうとしてくれている。そんなレーネのことが好きだと、俺は自分の気持ちを再確認した。
「俺はレーネを選び、その指輪を贈った記憶はある。だけど同時に、リーシアを選び、リーシアに指輪を贈った記憶もあるんだ。そして、他の子とも、な」
「……全員に手を出した、と?」
「いや、実はその辺りの記憶は曖昧なんだ。その子のことが好きで、その子だけを大切にするつもりで指輪を贈ったことは、覚えてるんだけどな」
「なによそれ。記憶が曖昧って、そんな言い訳が……」
レーネは呆れた顔をしたが、不意に軽く目を見張った。
「そう言えば、アマリリスを救って帰還したあの日、私に医務室の場所を聞いたのよ? あのときは、私が覚えているか、たしかめるなんて言ってたけど、本当は……」
「あぁ、よく覚えてるな。あのときは、医務室の場所が分からなかったんだ」
「じゃあ……本当に?」
レーネはそう呟いて、驚きと疑いを混ぜこぜにしたような目を向けてくる。
「……信じては、くれないか?」
「信じがたい話なのよ。でも、嘘にしてはお粗末すぎなのよ」
「じゃあ……?」
信じてくれるかと視線で問い掛けると、レーネは小さく溜め息を吐いた。
「急に全部は信じられないのよ。でも、マスターが私を含め、複数の女の子に手を出していることだけは信じてもいいと思ったのよ」
「そこだけ信じられると、俺としては非常に肩身が狭いんだが……」
出来れば、不可抗力だというところまで信じて欲しい。そんな想いを込めて訴えかけるが、「マスターが浮気をしたのは客観的事実なのよ」と言われる。
「……すまない」
「そうね。許さないと言いたいところだけど……一つだけ聞かせろ、なの」
「なんだ?」
「いまの話、リーシア達は知っているのよ?」
「いや、俺の記憶関連の話をするのはレーネが初めてだ」
「へぇ、そうなんだ。私が初めてなんだ……」
レーネはそう言って、指先で髪をクルクルともてあそび始めた。
なんだ、この子、可愛いぞ。
なんてことを考えていると、レーネが不意にかくんと首を傾けた。
「……ねぇ、マスター、ふと気付いたんだけど……指輪を贈った後のことは覚えていないのよね? たとえば、図書館で私としたこととか……」
「ああ。レーネに一度寝たくらいで彼氏面するなって言われなかったら分からなかった」
「じゃあ……どうして、リーシアやセフィナとは寝たと断言してるのよ?」
俺は不意に視線を逸らした。だが、床を這って詰め寄ってきたレーネに頬を掴まれ、無理矢理に正面を向かされた。
「ねぇ、マスター? どうして覚えているか、教えろ、なのよ?」
「そ、それは、その……」
「その?」
「リーシアやセフィナとは、前回の任務の後にも、その……やっちゃってます」
逃げ切れないと答えた直後、レーネにとんと胸を押された。俺はその不意打ちに抗えず、ぽてりと後方に倒れ込んだ。そんな俺のうえに、レーネが這い寄ってくる。
「……レ、レーネ?」
「マスターが私を抱いた記憶、ないと言ったわね? なら、ちょうどよかったのよ」
「……な、なんで?」
「私がマスターに翻弄されたりするはずないのよ。だから、練習の成果――こほん。私がマスターに負けたりなんてしないってこと、身をもって教えてやる、なのよ」
そう言って舌なめずりすると、レーネは俺のズボンのベルトに手を掛けた。その姿は小悪魔そのものだが、ベルトを握る彼女の手は小さく震えていた。
そして付け加えるなら――夜のレーネはやっぱりヨワヨワだった。




