エピソード 2ー13
「……なんだ、これは」
淡々と書かれた――だけど悲痛な覚悟を背負った日記の一文。なにより問題なのは、ホープギアの犠牲、という一文だ。俺はその理由をたしかめるためにページを遡った。
8月7日
今日は私の娘が5歳になる誕生日だ。久しく生まれていなかったハーモニア適正者が生まれ、そして5歳になったことを喧伝するために、都市を上げてお祝いされることになった。
娘は嬉しそうにしているが、事情を知る私としては少々複雑である。
追記:母の形見のネックレスを贈ったら、一生大事にすると喜んでくれた。
いつか、娘がかつての私のように、ネックレスをつけて意中の異性とデートをする日が来ると思うと複雑な心境だ。
――と、最初の一ページにはそんな文面が書かれていた。
その後は、二人目の子供はハーモニア適正者でなかっただとか、試験官ベイビーなどの研究もしているが、やはり結果は芳しくない、といった内容が見受けられる。
どうやらこれは、ハーモニア適正者を娘に持つ研究者が書いた日記のようだ。毎日ではなく、なにか重要なことがあったときだけ日記に残しているようだ。
そして、俺はそこから2年後の8月7日のページに目を通す。
上の娘が7歳に、そして下の息子は1歳になった。
どちらも私の子供だけあって可愛い。だけど私の娘以降、ハーモニア適正者はこの国に一人も生まれていない。この時代に生まれてしまったことを、二人はいつか後悔することになるのかもしれない。
そう思うと、申し訳ない気持ちで一杯だ。
――と、母親としての苦悩が綴られている。
そして状況が変わったのは更に1年後だ。
そこには、ついにインフラ以外のマギアギアを停止させることになったと書かれていた。
採掘した魔石を動力源とすることで、最低限の機能は維持しているが、それ以外の施設はすべて止まり、人類もパニックに陥っていると、その悲痛さが日記を通して伝わってきた。
そして更に2年ほどが過ぎ――
6月23日。
今日、上層部から新たな装置の開発を命じられた。ハーモニア適正者を擬似的に暴走状態に移行させて、生み出される膨大な魔力を動力に変えるという非人道的な装置だ。
その装置を誰が使うことになるのかは考えたくもない。
7月28日。
予想通り、私の娘がそのポッドに入ることが決まった。だが、まだ10歳にも満たない、未来ある娘にそのようなことをさせる訳にはいかない。
娘が大人になれば、ハーモニア適正者を生んでくれるかもと訴えてみたが無駄だった。10年後ではなく、いま膨大な魔力が必要なのだという訴えに、私は言い返すことが出来なかった。
それに、子供達がいまの暮らしを続けられるのは私が研究者だからだ。私がこの計画を拒否すれば、上の娘ばかりか息子もどうなるか分からない。
選択の余地は――ない。
8月2日。
娘がポッドに入ることを了承した。小さな弟と、いつもがんばってくれているお母さんのために、私もがんばる――だそうだ。
私はそんな娘を前に泣くことしか出来なかった。
8月7日。
娘は10歳になり、いよいよ魔力を供給する装置に入ることになった。
その装置は人類の希望――ホープギアと名付けられた。
別れの挨拶を交わした娘が、自らホープギアの中に入っていく。
これが、人類にとって必要なことだと理解している。それでも、私は「本当にいいの?」と確認した。娘が嫌だというのなら、世界のすべてを敵に回しても子供達を連れて逃げるつもりだった。
たとえそれが、破滅への未知だとしても。
でも、娘は笑ってこう言った。
「私はお姉ちゃんだから」――って。
娘もまた、弟のために自分を犠牲にしようとしている。
それに気付いた私は泣くことしか出来なかった。
だが、本当は分かっている。
たった一人の娘の幸せと、数百万人の数十年の安念。どちらかを選ぶというのなら、その答えは決まっている。私は母親である前に、この街の統治する人間の一人だから。
だから、せめて犠牲となる娘の命が人類の未来を紡げるように、私も全力を尽くそう。
たとえ、その先に地獄が待っているのだとしても。
ヒビキ・ヴァレンティ
それを読み終えた後、俺はしばらく動けなかった。だってこれが事実なら、ホープギアはMAHS患者の治療用のポッドなんかじゃない。
それどころか、MAHS患者を――
そのとき、研究所の奥にある機械から駆動音が聞こえてきた。
「なにがあった!?」
声を荒らげ、設備の元へと駆け寄った。
「落ち着いて。マギアギアに魔力を流し込んで、装置を動かしただけよ」
セフィナの答えを聞いて、俺は静かな駆動音を響かせる装置を見つめた。その装置の真ん中には、SFに登場するコールドスリープの装置のような筒状のポッド。
あれがホープギアなのだとしたら……と息を呑む。
そして永遠にも感じられる時間が過ぎ去り、ポッドが開いた。
途端、中から黒く濁った水が流れ出す。
そして水がなくなったポッドの中には――子供とおぼしき白骨死体が一つ。
「これは、子供の遺体でしょうか?」
なにも知らないリーシアが呟いた。
そんな彼女の横でポッドを覗き込んだ俺は、白骨死体の首にネックレスが掛かっていることに気付いてしまった。
日記に登場したネックレス。
いつか成長した娘が、好きな相手と出かけるときにつけるのを夢見て、祖母から母に、母から娘に託された夢のカケラ。
娘が一生大切にすると受け取ったネックレスだ。
「――うぐっ」
吐き気を覚えた俺は口を押さえてうずくまる。
「マスター! 大丈夫ですか?」
リーシアが声を掛けてくれる。だが、反応することは出来なかった。
だって、これは……こんなのは、治療装置なんかじゃない。
「それは、その装置は……治療用のポッドなんかじゃない」
「そうだ。その装置は――」
不意に新たな女性の声が響く。とっさに振り返ると、研究所の入り口にヴァネッサが立っていた。彼女はすべてを知っているのか、皮肉たっぷりに口を開く。
「それはMAHS患者を生体部品とし、都市に魔力を供給する――生きた魔力炉だ」




