エピソード 1ー1
「くぅ~~~っ! 新章のPVもさいっこうに、わくわくするなっ!」
自室にあるPCモニターの前で歓喜する。俺は仕事帰りに買ったビール缶を片手に、いま観たPVのゲーム、 Chord MAHSを起動した。
ダークファンタジーの世界観で展開される今作は、俺が数年前からハマっているソーシャルゲームで、神シナリオでありながら、課金圧の少ない良作として高い人気を集めている。
そして、だからこそ、俺はこのゲームに生活費を除いた給料の大半を注ぎ込んでいる。
全ユニットを完凸し、ストーリーもすべて解放。課金指輪を全ユニットにプレゼントして、好感度も限界を突破してカンストさせている。
そんなゲームに新章のアップデートが来た!
メインストーリーが解放され、新キャラも実装された。その第一弾がPVに登場したアマリリス。おそらく、ヴァネッサも次回辺りのピックアップガチャに登場するのだろう。
想像するだけで心が躍り、仕事の疲れが吹き飛んでいく。
まずは、アップデートと共に販売を開始したお買い得パックをすべて購入。ガチャを回すための画面に移動して、ガチャボタンを押すタイミングを計った。
「――よしっ、いまだ!」
ガチャボタンを選択、そして――俺の意識は闇に落ちた。
「マスター、起きてください、マスター?」
いつもはスピーカー越しに聞いていたリーシアの声がずいぶんと近くで聞こえる。
もしかして、パソコンを付けたまま寝落ちをしたかな? とゆるゆると頭を振りながら目を開くと、リーシアの整った顔が視界に映った。
その事実に強烈な違和感を抱きながら起き上がろうとした――瞬間、体に鋭い痛みが走って呻き声を上げる。直後、「マスター!」という声と共に身を乗り出したリーシアに抱き留められた。
ここに来て、俺は違和感の正体に気付いた。
「……リーシア?」
「はい、マスター」
優しい声が耳元で響く。彼女と触れ合った部分から体温が伝わり、甘い香りが肺を満たしている。モニター越しにしか見ることの出来なかった推しキャラが、現実の空間に存在していた。
……いや、待て、ちょっと待て。
「ここは……?」
「ここはヴェルターラインのマスターの部屋ですよ」
「ヴェルターライン?」
それは、俺がハマっているソシャゲ、Chord MAHSの主人公達が所属する組織の名前だ。そして、マスターと呼ばれるのは、プレイヤーキャラのレンだけだ。
「……どういうことだ? 俺は夢でも見ているのか?」
「マスターはMAHS患者の女性を救おうとして負傷したんです」
脳裏によぎったのは、さっき見たばかりの新章のPV。
まさか……
「それって……アマリリスの?」
「……アマリリス、あの子の名前ですね。残念ながらお母さんは亡くなってしまいましたが、娘さんの方は無事に治療を受けています」
「そう、か……」
間違いない。ここはChord MAHSの世界で、それも新章PV後の時間軸。ということは……俺はレンに転生した、ということか?
「マスター、大丈夫ですか? どこか、まだ痛いところはありますか?」
「あ、いや……大丈夫だ。少し、混乱しただけだ」
誤魔化しながら身を起こす。リーシアが離れ、腕の中にあった温もりが零れ落ちていく。代わりに、フワリと優しい匂いがした。
「マスター、あんな無茶はもう止めてください。マスターは一人の体じゃないんですよ」
「あ、ああ、すまない」
とっさに謝ると、リーシアは少しだけ表情を和らげた。
俺はそんな彼女を観察する。
Chord MAHSのメインヒロインで、ヴェルターラインの創設メンバーの一人。レンのユニークスキル、調律術式を研究していたセフィナが、その技術の応用で最初に救ったMAHS患者。
好感度が最大になった時のイベントでは、暴走状態になって死ぬところを、レンの調律術式によって救われ、以降はレンに命を捧げる覚悟を決めるという内容だった。
そして課金指輪をプレゼントする、好感度限界突破イベントでは、夜の屋上でずっと共に戦うと誓ってくれる。
一途で優しい彼女は、誰がどう見てもレンに惚れている。プレイヤーとしては、もう付き合っちゃえよと言いたくなるような関係性なのだが、恋人になるような描写は一切ない。
……まあ、そこは健全なゲームたるゆえんだろう。
俺に限らず、多くのプレイヤーは複数のキャラの好感度を上限まで上げている。それが付き合っていることになるのなら、二股どころでの騒ぎではない。
複数の女性に手を出している設定よりは、曖昧にして、パラレルっぽく処理した方が自然なのは事実だ。
それでも、屋上でのシーンは強く心に残っている。何度も、リーシアと付き合えばいいのにと、プレイヤーながらに思うほどに。
でも……そうか。
ここがChord MAHSの世界で、俺がレンに転生したのなら、ゲームの都合なんて関係ない。ヒロインの誰か、たとえばリーシアと付き合うことだって可能なはずだ。
それどころか、ヒロインの全員と結ばれることだって出来るだろう。
なんて、俺はそんなことを望んではいないけどな。
俺だってモテたいと思うし、ハーレムモノは好きだ。
だけど、現実と物語は違う。
現実で複数の女性に手を出せば大変なことになるのは目に見えている。修羅場になって相手を泣かせたり、自分が刺されたりするのは絶対にごめんだ。
だから、俺は推しの誰か一人と付き合いたい。
たとえば――と、俺はリーシアに視線を向ける。
ヴェルターラインのエースと呼ばれる、小柄ながら大人びた顔立ちの女性は、ジャケットにチェックのスカート、そして黒のストッキングという服装をしている。
思慮深い性格の頑張り屋。
柔らかなミントグリーンのロングヘアに、優しい緑色の瞳の持ち主でもある。
そんな彼女はレン――つまりは俺のよき理解者で、献身的な性格をしている。そんな彼女と付き合い、純情な彼女にあんなことやこんなことを教え込む。
純情そうな女の子は夜は乱れる――とか最高では? とか不埒なことを考えていると、不意に彼女の顔が近付いてきた。内心を見透かされたかと焦っていると、彼女の腕が俺の首に回される。
そして――
「マスター、もう無茶はしないでくださいね。……んっ」
彼女の唇が、俺の唇に押しつけられた。リーシアにキスをされている。その事実に驚くと同時、彼女の舌が俺の唇を割り開いて口の中に入ってきた。
どう考えても大人のキス。
その事実に驚いているあいだにも彼女は情熱的に俺を求め――しばらくしてから身を離した。
「……マスター」
「お、おう?」
混乱のまっただ中で、それでも絞り出すように返事をする。そんな俺に対して、リーシアはつま先立ちで俺の耳元に顔を寄せると、艶っぽい声で特大の爆弾を放った。
「今夜もご奉仕させてくださいね」




