エピソード 1ー10
「――セフィナ。あの夜のことはすまなかった」
俺は出し抜けに頭を下げた。
途端、向かいの席から不機嫌そうな気配が伝わってくる。
「……あの夜のことは、なかったことにしようと言ったはずよ?」
「蒸し返して悪いと思ってる。だが、男として、ケジメを付けておきたかったんだ。その、なかったことにする上で、な」
転生する前のレンがやったことで、俺は覚えてない――なんて言い訳はしたくない。セフィナは魅力的な女性だ。現実に出会って、あらためてそう思った。
だけど、リーシアとセフィナとレーネ、三人と同時に付き合うことは出来ない。いまの俺が出来るのは、彼女に期待させないことだけだ。
だからと、頭を下げ続けていると、不意に氷がグラスに落ちるカランという心地よい音が聞こえてきた。それからウィスキーを注ぐ音と、マドラーで混ぜる音だけが部屋に響く。
不意に、「頭を上げて、マスター」と優しい声が響いた。恐る恐る顔を上げると、セフィナは感情を押し殺したような、透明感のある微笑みを浮かべていた。
「分かってる。リーシアのためなんでしょ?」
見透かされたというバツの悪さと、分かってくれたというこそばゆい嬉しさ。俺は複雑な感情を抱きながら、「……ああ。俺は、リーシアを選ぶ」と絞り出した。
「……そっか、やっぱりね」
「すまない」
「いいわ、許して上げる。正直、思うところはあるけど、なかったことにしようと言い出したのは私。それに、貴方がリーシアのためにケジメを付けたこと、嬉しく思う自分もいるの」
「そう、か……」
リーシアを妹のように可愛がっている。献身的な慈愛の心を持つ彼女だからこその結論。彼女はリーシアのために、自分の気持ちに蓋をすることを選んだ。
そこに、どれだけの葛藤があるのか、俺には分からない。
だけど、一つだけ確実なことがある。
それは、彼女にそんな想いをさせたのは俺だ、ということ。
「セフィナ、すまない」
「私は貴方の決断を尊重する。だから謝る必要はないわ。それより、私はこれから、貴方にどんなふうに接すればいいのかしら?」
「それは……いままで通りでいいんじゃないか?」
「いままで通りって、どんな関係?」
試すような視線。でも、ここで迷う必要はない。
「決まっている。色々なことを打ち明けられる友人で、志を共にする戦友だ」
「……友人で戦友、か。悪くないわ。なら、今日は戦友として飲みましょう」
セフィナはふっと笑い、ロックグラスを差し出してきた。俺はそれを受け取り、セフィナの前でグラスを掲げてみせる。
「いいな。なら――ヴェルターラインと俺達の未来に乾杯」
「乾杯」
セフィナはそう言って、グラスを傾けた。それに合わせ、俺もウィスキーを口にする。香ばしい木樽の香りが鼻に抜け、果実のほのかな甘みが口に広がった。
前世の俺はウィスキーをあまり飲まなかったけれど、これはいいものだと直感的に感じ取った。
「……いいお酒だな」
「ええ、特別なときに飲む、とっておきだもの」
「そうか……」
セフィナはそう言って、感情を押し殺したような微笑みを浮かべる。
それに気付いた俺は無性に胸が苦しくなった。セフィナの好感度を上げたときに解放されるプロフィールのフレーバーテキストに、こんな一文があることを知っているから。
セフィナはヴェルターラインのドクターで、MAHS患者の希望の光でもある。そんな彼女は、多くの患者を救い、その何倍にも及ぶ数の患者を看取ってきた。
「――だから、私は辛いときにこそ笑うの。それがみんなの希望である私の役目だから」
そう呟いて、彼女は今日も、感情を押し殺したような微笑みを浮かべる。
幼なじみを救えなかった彼女が自らに課した責務。
献身的な彼女を弄んだ自分が許せない。同時に、この選択は仕方のないことだったとも分かっている。リーシアとセフィナ、二股を続けて幸せな未来が待っているとは思えないから。
だから――と、俺は気付かない振りをして、ウィスキーを飲み干した。
「マスター、いい飲みっぷりね」
「たまには、な」
「そう、じゃあ今日はとことん付き合ってもらおうかしら」
セフィナがロックのおかわりを作る。
そうして語るのは、ヴェルターラインを創設したときに思い出話だ。
セフィナはMAHS患者を救う実験をおこなっており、リーシアはその被検体だった。そして俺と出会い、セフィナはリストレインを発明、MAHSを抑制することに成功する。
そうして作ったのがヴェルターライン。
いまは多くのメンバーがいるけれど、当時はその三人に加え、謎の支援者、後にガチャキャラとして登場した、カティアという女性を加えたメンバーで設立された。
それが数百人規模に膨れ上がり、施設も基地と言えるレベルにまで発展した。レンとしての思い出は靄がかかっているようだけど、プレイヤーとしての思い出は色濃く残っている。
「……懐かしいな」
「そうね。あの頃はなにもかもが大変で……そう思えば、いまは幸せよね」
「高級ウィスキーも飲めるしな」
そう言って空になったグラスをテーブルの上に置くと、セフィナがおかわりを作ろうとした。だが、そのボトルは既に空になっていた。
「もう一本、新しいのを持ってくるわ。――とっ」
「危ないぞ」
足取りがおぼつかないセフィナが倒れ込んだ。俺はとっさに手を伸ばし、自分が座るソファの方に引き寄せる。ぼすんと、セフィナが俺の腕の中に倒れ込んだ。
「……ごめんなさい、思ったよりも酔いの回りが早かったみたい」
「ペースが早かったからな。それより、ケガはないか?」
「ええ、ケガはない……けど……」
俺の腕の中、唇が触れそうな距離にセフィナの顔があった。お互い、なにも語らない。押しつけられた胸を通し、セフィナの鼓動、あるいは自分の鼓動が強く感じられた。
十秒か、二十秒か、沈黙の中でどちらともなく目を閉じて――
翌朝、俺は朝陽のまぶしさと、香水の匂いで目を覚ます。腕の中にはあられもない姿のセフィナが眠っていた。現実逃避したくなるが、真っ白なシーツには罪の痕跡が残っていた。
なにより、酔ってはいても、脳裏には昨夜の記憶が焼き付いている。
言い訳の余地もなく、俺は自分の意思で許されざる一線を超えてしまった。
ここから入れる保険は――あるのだろうか?




