対話と相槌
大都会、新宿に佇むこの喫茶店は様々な人物が訪れる。
大きく分ければ暇つぶしに来る者と、それ以外だ。かくいう僕もその暇つぶしをしているのだと思う。
その喫茶店では老婦人と、おそらくその老婦人の娘であろう人物が働いている。店内には仕事中のサラリーマンと、イヤホンをつけてスマートフォン片手にショートケーキを頬張る若い女性と、僕と対面に座っている彼女のみである。ここは本当に新宿なのだろうか。先程この喫茶店には様々な人物が集うと言ったが、訂正するとしよう。
僕の前に座り、何か言いだそうとしている彼女は僕の恋人だ。僕があのスーパーマリオだとしたら、彼女はピーチ姫に当たる。彼女の仏頂面は今にも泣きだしそうで、1UPキノコでも差し上げたいくらいだ。
なぜこうなったかというと、僕が別れ話を切り出したからだ。いつの時代も別れ話というのは胸が痛く、いい気分のするものではないのだろう。異論は認める。
頬杖をついて窓の外を眺める彼女の視線は、下校途中の高校生カップルを捉えていた。その顔は、どこか懐かしさを感じているようだった。楽しそうに、愛おしくて仕方なさそうな彼らの顔を見ると、少し目の奥が熱くなった。
このままではらちが明かない、僕は咳払いをしてから口を開いた。
「こうもだんまりされると、何を考えてるかわからないよ」
僕は嘘をついた。彼女が今考えているのことはさすがの僕でもわかる。
「うん、ごめん」
彼女は鼻を啜りながら言った。先程彼女のもとに運ばれたメロンソーダは氷が溶け、色も薄くなっていることから多少の時間が経過していることがうかがえる。あと一切れ残っているサンドイッチは僕が食べるのか、彼女が食べるのかわからないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
「先に謝っておくけど、もし泣いたりしたらごめんなさい。でも私泣いたりするのは違うと感じているわ。」
井上陽水のようなことを言うなぁ。と思ったが僕は口には出さなかった。
「泣くことがいけないとは思わないけれど。」
「ええ、そうかもしれないわね。でもあなたの意志は固まっているのでしょう?」
僕は驚いた。いつも通り彼女は頑なに反対して、駄々をこねると思っていた。
「意外だな、すんなり受け入れてくれるのかい?」
「そうね。あなたは半端な覚悟でそのようなことを言い出すとは思えないもの。」
面を食らった気分だった。素っ頓狂な顔をしていなかったか心配だったが、彼女は再び外を眺めていたのでそれは杞憂に終わった。
「理由は聴かないでおきたいの。聴いたら私、立ち直れそうにないわ。」
これもまた嘘だろう。
「そうか。わかった。」
そのような答え方しかできない自分の弱さを、僕は恥じた。
おそらく彼女は知っているのだ。それは僕が彼女を心から愛していることと、僕が彼女の隠し事をすべて知っていることも。
彼女が全く使わないような化粧品の購入履歴も、彼女が苦手な女性用の香水もすべて不要になった。
全く、泣きたいのは僕の方だ。先程から幾度か彼女の携帯電話が鳴っているのも、彼女が外の時計を何度も確認していることも、彼女が僕を焦らせて不安にさせる。
しびれを切らして僕は彼女に言葉を投げかけた。
「じゃあ、これで最後だね」
この言葉を発したとき、僕はどのような顔をしていたのだろう。
彼女は相変わらずそっぽを向いている。あれだけ見つめ合ったのに、これで最後なのだろうか。そう思うと僕は、彼女に強い嫌悪感を抱いた。
今すぐ言ってやりたい。君が悪いのだ。君が僕を捨てたんだ。曖昧なままの道を選ぼうとしたのは君だ。それに僕が気づいていることに君は気付いているくせに。と。
「ええ、今までありがとう。ここの会計は気にしないでね。最後くらい払わせてよ。」
「そうかい、ならお言葉に甘えようかな」
僕は一人で立ち上がり、最後の一切れを口にした。パンは固くなってレタスはしおれてお世辞にもおいしいさは感じ取れなかった。ただ、トマトの酸味が僕の居心地の悪さをより一層強くした。
僕が彼女に紹介したこの喫茶店も、もう来ることはないかもしれない。
「じゃあお暇するよ。どうもありがとう」
「ええ気を付けて。今までありがとう」
そうして僕は喫茶店を後にした。
電車に乗り、最寄り駅についてから僕はシャワーを浴びた、水の量がいつもよりほんの少しだけ多いが、文字通り水に流した。
泣かなかった自分に拍手だ。そう言い聞かせた。
人間というのは、優しい嘘をつける生き物だ。僕の行為は善だろうか、悪だろうか。
性善説か性悪説かなど、僕にはわからないしどうでもいいことかもしれない。
それは環境によってどちらにも転がるのだろう。あえて言うのだとしたら、「性偽善説」だろうか。
くだらないことを言っていたらいつものように笑われてしまう。
そう思って僕は部屋の明かりを消した。