森の黒山羊に出会った僕
雨が強く降る夜、僕は傘をささずに路地裏にいた。
「どうしてこんなことになったんだ」
あの日、僕の人生は狂い始めた。
その日、僕の両親は離婚した。理由は父が浮気をしたかららしい。
その次の日からは母に育てられた。僕はこれでも幸せだった。
一ヶ月がたった頃、僕の母は家で首を吊って死んでいた。
僕は慌てて警察に連絡をしたが恐怖のあまり声が出せずにいた。
近くに通りかかった警察の人が僕の異変に気付いて近寄って来た。
警察の人も首吊りを見て最初こそ動揺したものの急いで応援を呼んだ。
10分くらいすると遠くからサイレンの音が聞こえてきた。精神的にショックを受けていた僕は駆けつけてきた警察の人と一緒に離れにいた。
応援に来た警察の人が僕に事情聴取をしに近づいてきた。
「君の名前を聞かせてくれるかな」
警察の人は優しい声色で話しかけてきた。
「黒山…天斗」
僕は震える声で自分の名前を言った。
「黒山天斗君だね、簡単にでいいんだけど見つけた状況を教えてくれるかな」
「家に帰ったら…母が首を吊ってた…」
「怖いのに教えてくれてありがとうね」
僕から話を聞いた警察の人は僕の家のほうに向かっていった。
その後のことはあまり覚えていない。あの出来事がショックすぎてその日の記憶だけが欠落しているのだ。
そこから数ヶ月後、僕は住んでいたアパートを追い出された。
アパートの家賃が払えずしびれを切らした大家さんに部屋の荷物をまとめて出てけと強く言われた。
僕は必死に大家さんに訴えかけたが言葉を聞いてもらえずそのまま部屋に入ってしまった。
僕は15歳にして家を失った。
その後は街を徘徊し気づけば夜になってしまっていた。
暗くなった大通りを歩いていると雨が降り始めてきた。
僕は少しでも雨を防ごうと路地裏に入り込んだ。だが雨が防げるわけもなく僕は雨に打たれていた。
今日、家を失った感情と母が自殺したということを思い出してしまい心が疲弊してしまった。
立っているのも疲れたため僕は座り込んだ。
「僕はここで死ぬのかな…」
雨により徐々に体温が奪われていく中そんなことをつぶやいた。
しかし、このつぶやきすらも雨の音が打ち消す。
少し経つと誰かが通る音がした。
きっとこの人には帰る場所がある。そう思うと自分の状況が惨めに思えてきた。
その足音は僕の近くで止まった。不思議に思った僕は音が聞こえたほうに頭を動かした。
そこには青系の髪をした女の人が立っていた。
「やっと、やっと見つけたのですよ」
女の人が僕のほうを向いてそんなことを言った。
「もう…一人で遠くに行くのは危ないでしょう?ずっと君のことを探していたのです」
傘で顔はよく見えないがなんだか危ない気がする。僕の直感がそう言っていた。
「ほら、もう迷子にならないように手を繋ぎましょ?」
僕はこの人が何を言っているかわからなかった。探していた?僕のことを?
それはない、だってこの人とは初めて会うはずだから。
「あ、あなたは…誰なんですか?」
「覚えていないのも当然ですよね、ですが君はこの世で生まれ落ちたときからずっと私の…」
最後のほうは小声で何を言っているのかが聞き取れなかった。
「雨が強くなってきましたね。続きはまた後程に…。私たちはこれからずっと一緒、時間ならたくさんありますからね」
ずっと一緒?この人が何を言っているのかはまだ分からない。だが不思議と恐怖はない。
「さぁ、おいで?帰りましょう。私たちのお家に」
僕は差し出された手を取った。
「ふふふ、じゃあ行きましょうか」
女の人がそう言った直後、世界が静止した。
「あ…え?」
僕は困惑しながら辺りを見渡した。降っていた雨も少し遠くにいる人も光も、何もかもが止まっていた。
「驚かせてしまいましたね、ですがそれは些細な問題です」
次に女の人が指パッチンをすると黒い渦のようなものが出てきた。
僕は恐怖のあまり腰をぬかしてしまった。
「あらあら、怖がらせてしまいましたね。でも大丈夫ですよ。この先に私たちのお家がありますから」
女の人は僕を立ち上げらせ、手をひいて黒い渦に入った。
「ここは…」
辺りを見渡すとそこは森だった。
「もうすぐで私たちのお家につきますよ」
そう言い女の人は僕の手を取り再び歩き始めた。
歩いている途中、僕は興味深そうに辺りを見渡した。見たことのない花、木の数々。ここはどこなのだろう。僕はだんだんと不安になった心を少し落ち着かせた。
「着きましたよ。ここが私たちのお家です」
そこには普通の一軒家が立ってた。
「まずはお風呂と言いたいところですが、もう夜も遅いので体をふいてすぐに眠りましょうか」
そう言い家の中に入る。中もいたって普通だ。キッチンがありテーブルと椅子がある。少し狭いが一人が住む分には十分な広さだった。
「では、お部屋に案内しますね」
手をひかれたまま奥にある階段を上った。
「ここが新しいあなたのお部屋ですよ。まずは体を拭きましょうか」
棚の上に置いてあったタオルで頭を拭いてくる。
「寒かったでしょう?しっかりと拭いて風邪を引かないようにしないとですね」
一通り拭き終わりタオルを置いた。
「じゃあ、ここで寝てくださいね?あなたが眠るまで私がそばにいてあげます」
そう言い俺をベットの上に運んだ。優しく毛布も掛けてもらいすぐに眠気がやって来た。
「ふふ、おやすみなさい。私の大事な子ヤギちゃん」
僕が寝る寸前に何か言っていたが睡魔にあらがえず僕は眠りについた。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
「もしもーし、起きてますかぁ?」
「んん…」
誰かに呼ばれている気がする…。
「早く起きてください、朝ご飯が冷めてしまいます」
「ん…。あぁ…」
体を揺らされて僕は眠りから覚めた。
「おはようございます、子ヤギちゃん。早速ですが朝ご飯を食べましょう?」
僕が目を開けると頭から角を生やした女性が僕の横に座っていた。
驚きのあまりつい叫んでしまった。
「わあっ!!」
「あらあら、どうしたんですか?そんなに怯えた顔をして」
「あ…あなたは一体、何者なんですか…」
「お姉さんですか?何者と言われても…お姉さんはお姉さんですよ?」
お姉さん?僕に姉なんていないしまず、頭から角を生やした人なんて僕は見たことすらない。
ここは一体どこなんだ…。
「ああ、そういえば角を出しっぱなしでしたね、これで怯えていたのですね。でもまあ、しまうのも面倒くさいのでこのままにしますね。そんなことより朝ご飯を食べましょう?あなたのために張り切って作ったんですよ」
「ご、ご飯?」
僕がそう言うとお腹が鳴ってしまった。僕は恥ずかしく顔を赤くしてしまった。
「ほら、お腹もなっていますから。さあ、行きましょう?」
僕はお腹が空いていたのもあり女性の手を取った。
僕の手を握った女性は僕のことを立たせて一階に下りた。一階に下りるととてもいい匂いが香ってきた。
「さあ、座って。一緒に食べましょう」
「は、はい…」
僕は言われた通りに椅子に座った。
「では、いただきます」
「い、いただきます」
僕は置いてあったフォークでウインナーのようなものを刺した。
そうすると刺した部分から油がこぼれてきた。お腹が空いていたのもあり、僕はすぐに噛り付いた。
「お、おいしい…」
「ふふ、それならよかったです」
僕がそう言うと女性は笑って喜んだ。
ウインナーのようなものを食べた後に手前に置いてある茶碗を手に取った。
茶碗の中には米のようなものがある。僕はお米のようなものを口に運んだ。
先ほど食べたウインナーのようなものとよく合い、ご飯が進む。
お米も噛めば噛むほど甘みが出てくる。
「気に入ってもらったようでお姉さんはうれしいです」
そう言った女性はすでにご飯を食べ終わっていた。
食べ終わった食器をシンクに置き僕に近づき言った。
「子ヤギちゃんごめんね?今日は用事があって一緒にいてあげられないの。一人でのお留守番は寂しいと思うけど我慢してね?お姉さんはいつでも君のそばにいるから」
そう言い女性は玄関の近くに置いてあったバッグを手に取った。
「じゃあ、行ってきますね」
そう言い僕に手を振りながら家を出た。
家に取り残された僕は用意された食事を食べきり、食器をシンクに置いた。
やっと一人になれた安心感があり、僕は深いため息をついた。
「はあぁ…。一体ここはどこなんだ。僕が知っているような場所じゃないぞ」
近くにあった窓から外を見た。そこには木々が生い茂り、空は曇りのように暗かった。
「とりあず、ここから逃げなくちゃ。ご飯を用意してくれたのはありがたかったけど色々と不自然だ」
そう思った僕は扉に手をかけ、開けた。
そこは先ほど窓から見た景色と同じだった。
「とりあえず、まっすぐ行ってみるか」
周りの景色が同じに見えるため複雑な道を行くと迷子になるかもしれないと思った僕は直線に進み始めた。
数分が立ったころ急に風が吹き始めた。
それも目を開けていられないほどに。
「やっと…やっと見つけました…。勝手に家から出たらだめでしょう?」
風が吹きやみ目を開けたらすぐ近くに見知った顔の女性が立っていた。
その女性はにっこりと笑っているが、どこか恐ろしく見えた。
「なんで、家をでたのですか?…もしかして、私から逃げようとしたのですか?」
僕は考えていたことを言われてしまって驚いてしまった。
「へぇ…。鎌をかけたんですが、そうなんですね…」
しまった。しかし、そう思ったころにはすでに遅かった。
「子ヤギちゃんは私から逃げようと思ったのですね。どうして…どうしてですか?なんで私から逃げようとしたのですか?私は君のことを愛してます、この世の誰よりも。それなのに君は私から逃げようとしたのですね。これはいけませんね、また誰かにそそのかされたのですね。でも大丈夫です、お姉さんが来ましたからもう安心です。さあ、私たちのお家に帰りましょう?今日はずっと一緒にいてあげますから」
「い、いやだ…」
僕が拒絶すると女性から笑顔が消えた。
「なんで、なんでなんでなんでなんでなんで。君は私と一緒に居ればいいの。他のことなんてどうでもいいでしょう?だってお姉さんがいるのですから。なんで君は私のことを拒絶するの?私の何がダメなの。
私は君以外いなの。私が君を愛するみたいに、君を私のことを愛してよ。ねえ、何か言ってよ、ねえ」
「あ…あぁ」
僕は恐怖あまり言葉を出せずにいた。そうすると、女性が再び喋り始めた。
「はあぁ、あんまりこういうことはしたくなかったのですが仕方がないですね。子ヤギちゃんは自由にさせてあげたかったのですが逃げ出してしまった以上、何も対策しないというのはいけませんからね。
では、お家に帰りましょうか」
そういい、僕のほうに近づいてくる女性。
僕は恐怖あまり腰が抜けてしまった。
「あらあら、かわいい子ヤギちゃん。怯えた顔もとてもかわいらしいですよ?」
そんなことを言いながら僕の手を握る女性。
そうすると女性が僕を手を引っ張り僕のことを抱きしめた。
「ふふ、いつか抱きしめたいと思っていましたが、それが叶うなんて夢みたでお姉さんはうれしいです。
じゃあ、帰りましょう」
そう言われた瞬間、頭が猛烈に痛くなった。まるで、鈍器で頭を殴られているような感覚に襲われた。
「ほら、着きましたよ」
そういい、女性は抱きしめるのはやめた。
「な、なんで…家に…」
「それは内緒ですよ」
僕は驚いていた。結構な距離にいたはずなのに一瞬にして家にも戻ってきたのだ。
なにか、頭痛と関係あるのかと疑ったが結局何もわからず考えるのをやめた。
「あ、それと子ヤギちゃんにはこの家から出られない呪いをかけました」
「…は?」
僕は唐突にそんなことを言われ素っ頓狂な声で言ってしまった。
「また逃げられたりでもしたらお姉さんは今度こそ壊れてしまう気がするのですよ。なので、保険としてお家から出られない呪いをかけちゃいました。でも君が悪いんですよ?私から逃げようとして家から出るなんてことをするから」
「の、呪い?何、ふざけたことを言ってるんですか?一体、何者なんですか…。あなたは」
そう言うときょとんとした顔で僕のほうを向いてきた。
「そういえば自己紹介がまだでしたね。それではお姉さんのことを教えてあげましょう。
私は千匹の仔を孕みし森の黒山羊、シュブ=ニグラスと言います。よろしくね?子ヤギちゃん」
「シュブ…ニグラス…?」
シュブ=ニグラス。聞き覚えがあると思ったらこの名前はクトゥルフ神話に登場する邪神のことだ。
じゃあ、目の前にいるのが本物のシュブ=ニグラス?
そう思うと怖くてたまらなかった。
「そんなに怖がらないでほしいです。別に取って喰ったりはしないのですから。私はただ子ヤギちゃんと一緒に居たいだけなんですよ?」
分からない、これが本心なのか嘘なのか。だが仮にこれが本当だとしたらどうして僕に執着するのだろうか。
「なんで、どうして僕に執着するんだ…?」
「なんでと言われても…。君が私だけの子ヤギちゃんだからですよ?」
「い、意味が分からない」
「意味なんていらないのですよ。君が私の子ヤギちゃんならそうなる運命なんです」
本当に言っている意味が分からない。
この女の人が本当にシュブ=ニグラスだとしたら僕はこの人の子になるということ。
本当に意味が分からない。マジこの人?おかしいだろ。
「じゃあ、お姉さんはお出かけに行ってきますね。しっかりとお留守番してるのですよ?」
そういい、女性は家から出た。
ここからシュブ=ニグラスとの生活が始まったのであった。