第四話「補習」
「ファナル・ベチーナ君、そろそろ補習が始まりますよ」
「あ、リスレット先生。もうそんな時間でしたっけ。すみません」
「構いませんよ。一緒に向かいましょうか」
いつの間に傍に来ていたのか。
神殿から出て来たリスレット先生は優しく微笑んでくれていた。
金髪を後で編み込んだ大人の女性。
物腰も柔らかく口調も丁寧で、これが大人の女性かと最初は圧倒された覚えがある。
「ベチーナ君は座学が苦手でしたね」
「苦手というか、この国の歴史やら何やらは初めて聞くのでわからなくて」
「まぁ、そうですわね。けれど、この国で生きていくのなら知っておかなくては困る知識です。あなたを預かる身として、蔑ろには出来ませんわ」
「はい……」
本当を言うと、座学はあまり好きではなかった。
全く知らない世界の話を1000年分学ぶだなんて興味も持てないし、魔術理論やら何やらも固有能力があるせいであまり身が入らない。
もちろん、知っておけば今後役立つだろうことはわかる。わかるけれど、身体を動かしていた方が性に合っているからと、つい言い訳をしてしまっていた。
「全く、教師の前でそう嫌そうな顔をしないで下さい」
「……あはは、すみませんリスレット先生」
「戦闘訓練を続けるのなら、それと同じくらい座学もしっかりと受けて頂かなければ」
「覚悟しておきます……」
フィオラ・リスレット先生は僕を預かってくれている先生で、こちらの事情を知ったうえで色々と教えてくれている。
戦闘訓練も付き合ってくれる、数少ない実戦経験のある先生だ。
こんなに優しい人なのに、戦闘になるとかなり激しい攻め手をしてくる。有名な英雄の親族らしく、守護精霊も相まって強い人だった。
「この国の地理は覚えて来ましたか?」
「ええっと、王都を中心に西のリーデン、東のルモニ。南部の海岸線までを含めてシュテリヒという地域になっていて、北方に険しい山々に囲まれたルンヘルト、東に多様な生産を誇るアトルツ。西には、ええっと戦地イクザーム」
一緒に補習室に入ったのもあってか、特に挨拶もなくそのまま授業が始まった。いきなりの問いにちょっと焦ってしまう。
まだお昼前の補習室は明るく、陽射しに照らされて空気中の塵がきらきらと瞬いていた。教壇を半円状に囲むように並ぶ机たち。今その場にいるのは僕一人だ。
答え終えてから席へとついて、座学へ挑む。教壇についたリスレット先生は、そんな僕の姿勢に苦笑しつつ、スライドに大きな地図を出しながら続けてくれた。
「なんとなく地名を覚えて来た、くらいでしょうか。良いでしょう。アトルツの先、最東端にもグリュルト同盟と国境を接するヴェクミューレや、未開の地トライグなどもあります。今回は近場の事という事で、北方ルンヘルトの話をしましょうか」
「はい」
少しドキリとする。
「聖王国が魔物を撃退し、東へと国土を取り戻していく中、山々に囲まれて孤立していたルンヘルトの救援は遅れていました。始まりの十人が一人「火竜」のラゴニアがこの地を奪還し、救世の英雄と呼ばれるようになったのですが。このあたりの伝承は残っていますか?」
「はい。王暦69年の出来事です。えっと、今は824年だから約750年も前の話になっているんですね」
救世の英雄伝説については僕もよく知っていた。小さな頃から何度も聞かされた大英雄のお話。多分、聖王や先生の親族よりも多く語られていたと思う。
「まだ各地が分断され、そもそも豊かな地ではなかった事もあり、英雄は北方に残りました。異界化の激しい地域だったため治めるのは困難で、そのためにも多くの支援と優遇が北方になされる事となります。その特権が、戦乱ののちにルンヘルトの不穏を引き起こしました」
「それも、知っています」
内外の反感と、増長してしまった北部の人たち。果てに聖王への不敬、蜂起から「聖処断」と呼ばれる大事件が起きる。
国民として恩恵を受けていた守護精霊の剥奪。誰もが当たり前のように享受していた大きな力。当たり前のものを取り上げられ、その後魔物の脅威から彼らがどうなったのか。
それを知る僕としては、やっぱりこの学園でやらなければいけない事があった。