量子力学で異世界転移を語る先輩と、連れていかれそうな僕
「――すなわち、広義のエヴェレット解釈やドイチュの立場を取ることで、全可能世界の実在を主張できる」
理論科学部(別名実験しない部)の部長である望月先輩が、眼鏡を光らせ、おさげを振り振り独演している。
聴衆は約一名、僕のみだ。あとは幽霊部員ばかりで、たまに部の所蔵品であるラノベやコミックを返却してはまた借りていくほかに、出入りしない。
僕自身は、入学式当日に先輩からチラシを受け取ってしまったのが運の尽き、なし崩しに入部届を書かされていた。
「エヴェレット解釈って、量子力学? の話ですよね? ストックホルム?解釈とか」
「コペンハーゲン。いまわざとボケたっしょ?」
僕の発言に、先輩は苦笑しながら講壇を離れ、最前列にいた僕の隣の椅子を引き、ひょいと座る。
「どの解釈にしろ、観測するまで結果が確定しないってのは変わらないんですよね?」
「いいねえ、なかなか勉強してきたじゃないか」
眼鏡の奥で先輩の瞳が楽しげに揺れる。
箱の中の猫と違って、観測するまでもなく眼鏡取らずとも美少女だ。
「エヴェレット解釈は多元宇宙論と本質的には同等って話みたいですけど、結局、他の世界には行けないわけで、考える意味ないんじゃないですか?」
「物質のやり取りは不可能だろうね。でも、意識が異世界へ渡りうる可能性までは完全否定できない。量子脳仮説を援用することで……」
「脳みその構造は量子効果がもたらされるには大きすぎる、って何かで読みましたが」
独演モードに戻りかけていた先輩は、僕に口を挟まれ、きっと振り返った。
「〈意識〉とは何か、まだ人類は定義できていない。電流の流れが磁場を生じさせ、磁場を変動させることで電流が現れるように、意識とは情報の流れによって発せられる現象にすぎないのかもしれない。人間が何かを手に取ろうと思う以前に、脳はすでに手の神経へ信号を出しているという実験結果もある。ならば自由意志は存在しないのか? 私はそう思いたくない」
「それと、多元宇宙や異世界を肯定することの関係って、何です……?」
しどろもどろで僕がつぶやくと、先輩はにぃと笑って僕の肩に手をかけた。
「たとえすべての結果に対応する全可能世界が予め用意されていたとしても、個の立場からは、一意の特定世界を〈現実〉として選択したのだ、と主張できる。ほんのささやかな差でも、異世界は異世界」
言葉を繰り終えた先輩のくちびるは、何かを示唆するかの如く、わずかに開きぎみのまま……