第9話
わたくしは応接室へとフェダーク卿をお連れします。彼は玄関ホールでも廊下でも、鋭い視線を周囲に投げかけ続けていました。
やはり騎士さまは初めて入る屋敷などには警戒するものなのかしら?
「お掛けになって?」
応接室に入り、ソファーを指し示します。ヘドヴィカが掃除してくれているので、この部屋も清潔に保たれています。
彼は困惑した様子で仰いました。
「ソファーが傷みます」
確かに甲冑姿でソファーには座りませんものね。
でも知っていますのよ。騎士の甲冑はお馬に跨るために腿の裏からお尻にかけては鋼で覆われていませんもの。座れない訳ではないのです。
「騎士さまのための椅子がこの離宮の何処にあるか存じませんし、お客さまを立たせている訳にも行きませんわ。わたくしを助けると思ってお掛けになって?」
そう言うと彼は腰の剣を外し、ソファーに立て掛けて座って下さいました。
わたくしは彼の正面に腰掛けます。彼の眉がぴくりと困惑に動きました。
「待て、そこに座るのか」
「ええ、お客さまに応対いたしますわ」
フェダーク卿は口元に手をやり、しばし考える様子を見せました。鋭い眼光が睨むようにこちらに向けられます。
わたくしは緩く首を傾げました。
「……では貴女は侍女ではなくヤロスラヴァ姫?」
「まあ、大変。わたくしったら名乗り忘れてましたわ!」
胸の前でぱちんと手を合わせます。
相手に名乗らせてこちらは名乗り返していないなんて何たる失礼を。
きっと卿もわたくしを使用人とでも思って聞かなかったのですわ。
「わたくし、ヤロスラヴァ・レドニーツェと申しますの」
そう言うと彼は慌てたように立ち上がり、ソファーの横で片膝を突きました。
「これはレドニーツェの末の姫君とは知らず不敬を」
「構いませんわ。名乗り忘れたのはわたくしですし、姫と言っても名ばかりですもの」
卿には改めて座っていただきます。
「しかし、ヤロスラヴァ姫自ら出迎えとは……不用心過ぎる」
わたくしは首を横に振りました。
「他に人がいないのだもの。仕方ないわ」
彼の眉根が寄ります。
「使用人は?」
「朝晩に食事と水だけ運びに来るわ」
「護衛は?」
「外で兵が見張っているでしょう?」
彼は顔を顰めました。
「見張りは護衛ではない」
「……ごめんなさい」
わたくしは頭を下げます。頭上から溜息を吐く音が聞こえました。
「姫、貴女を責めている訳ではない」
では卿は何に怒っていらっしゃるのかしら。
でもわたくしに怒っているのでないなら、わたくしの為に怒ってくださるということよね。
「どうも……すまんな。口下手で人を不快にさせたり、怖がらせる」
そう言って視線を外されました。
なるほど。騎士さまらしく、力強く真っ直ぐに相手を見据えてお話しなさいますから、女性や子供たちには特に怖がられるのかもしれませんね。
「いいえ、わたくしを心配してくださったのでしょう?」
わたくしは笑みを浮かべます。応えはありませんでしたが、肯定ととって良いでしょう。
「ねえ、フェダーク卿はなんで北の離宮に来てくださったのかしら?」
何か思い出したのか不快げな表情を浮かべられます。
「宮廷に巣食う雀共に騙されたのさ。北の離宮に悪魔が住んでいると。黒騎士の武勇以って討伐して欲しいとな」
「まあ、悪魔さんですか。見かけたことはありませんわね」
「だろうな」
もし悪魔さんでも居ればお話相手になってくれたかもしれませんのにね。
「でも、雀さんたちはなぜそんな嘘を?」
「武装した厳つい顔の男が行けば、姫が恐れるだろうとでも考えたのだろうよ。悪趣味なことだ」
なるほど。
「わたくしを悪魔であると討伐させようとしている訳ではないのですね?」
彼はぎょっと驚いた表情を浮かべました。
「俺は姫がどうしてここに一人でいるのか知らん」
「はい」
「とは言え、流石に一国の姫を王の許しもなく斬らせようとすることはなかろうかと」
わたくしは頷きます。
彼は立ち上がり、再び片膝を突いて頭を下げました。
「お騒がせいたしました。御前失礼仕ります」
えっ。
「帰られてしまうのですか?」
「悪魔がいないとなれば特にすることもありませんから」
せっかくのお客さま。せっかく久しぶりに人とお話できましたのに。もう帰られてしまうのですか。
フェダーク卿は立ち上がります。ああ、帰られてしまう。
「あのっ!」
「なんでしょうか」
「明日も、来ていただけ、ますか?」
「来る理由がありませんな」
ええと……。
「な、何もおもてなしもできませんでしたし。お茶とか……」
「不要です。お一人では準備などもできぬでしょう」
卿は突き放すような物言いですが、これはわたくしを案じての言葉だと解ります。でも今はそういうのは要りませんのに!
「あ、悪魔!」
彼の眉がぴくりと動きます。
「悪魔っぽいの用意しますから明日の同じ時間に来て下さい!」