第8話
霊廟から出ると時刻はお昼を少し回ったところ。太陽が少し西へと傾いています。霊廟の入口、日陰に待機していたヘドヴィカに迎えられました。
「お疲れ様です、姫様」
「ええ、ごめんなさいね。ちょっと待たせちゃったかしら」
ヘドヴィカが薄らと笑みを浮かべます。
「いえ良いのですよ。私たちには時間は無限にございますので。全てはヤロスラヴァ様のご都合のままに。魔術の勉強はいかがですか?」
「それがね、聞いて!」
と今日の授業について話しながら北の離宮に戻ります。
「姫様お帰りー。食事用意できてるよ。手を洗っといで」
「ありがとうイザーク」
離宮の玄関を抜けると香ばしい香りと甘い香りが漂います。王城の使用人たちは昼食をもはや届けてはくれません。
おそらく、イザークがどこからか持ってきた材料を使ってパンを焼いてくれているのと、コンポートをさらに煮詰めてジャムも用意してくれたのでしょう。
近くの井戸から汲んでくれた清浄な水が用意されています。
特に汚れてはいませんが、霊廟にいましたからね。死者の穢れは病気を招くとも言われているのです。
袖捲りして肘の辺りから指先まで丹念に洗い流し、水浄化の魔術まで使用してさらに清めました。
そしてイザークの用意した昼食兼おやつをいただいたのです。
皿の上にはラードが塗られて刻まれた野菜が載ったパンと、たっぷりとジャムの塗られたパン。
わたくしがそれに齧り付いていると、ヘドヴィカが頭をぐるりと巡らせました。
彼女は玄関の方を見ながら言いました。
「姫様。北の離宮に人が一名向かってきます」
「え、ええっ?」
昼のこんな時間に訪なんて、ずっとなかったことです。
「誰かしら。使用人の方? それともお父さまやお母さまかしら?」
しかし、ヘドヴィカは首を横に振りました。
「いえ……、甲冑を着込まれた武人。しかしこれは王城の兵や騎士ではありませんわ。その顔に見覚えはありませんし、甲冑の形状も異なっています」
ヘドヴィカが生前、神より賜った加護は遠隔視。加護は死に際して神の御許に送られたとのことですが、魔術を学んで再現しているそうです。
「だ、誰かしら。本当にここに向かっているの?」
「そうですね。霊廟や城壁ではなく、明らかにこの離宮に向かっています」
わたくしが慌てていると、扉を叩く音が聞こえてきたのです!
「本来なら使用人である私が出向くのが作法でしょうが……」
ヘドヴィカが残念そうに言います。
そうね、でもお客さまも幽霊にお出迎えされたら困っちゃうものね。
「わたくしが迎えますわ。あなたたちは隠れてて」
「りょーかい、姫様気をつけて」
「狼藉を働かれそうになったらお呼びください。すぐに駆けつけますので」
そう言って二人は音もなく滑るように部屋から姿を消しました。
わたくしはぱたぱたと玄関へと向かいます。
「はいはーい、お待ちください!」
玄関へと辿り着き、扉を押し開けます。
目の前には鈍く輝く塊がありました。
ん? ああ、甲冑ですわね。兜だけ外して左手で抱えています。
見上げると顔が見えました。随分と背の高い男性のようです。黒い髪、引き締まった精悍な顔立ち。年の頃は二十代後半くらいでしょうか。灰色の瞳が少し驚いたように見開かれ、わたくしを見下ろしています。
じっと視線が絡みます。
彼は徐に口を開きました。
「……すまないが、ここが北の離宮で相違ないか」
わたくしはこくりと頷きました。
見たことのない方です。きっとレドニーツェのお城に不慣れなのでしょう。でも北の離宮の名を告げたということは、ここを目的地として来たということ。
「ええ、そうよ。ここが北の離宮。あなたはお客さまかしら?」
「客かは分からんが、ここの噂を聞いて訪ねたのだ」
噂? なんでしょう。でもお話しすることがあると言うことはお客さまと言って差し支えないのではないのでしょうか。
「お客さま、あなたのお名前を伺っても?」
彼は胸に手を当て、軽く頭を下げました。
「名乗りが遅れて失礼、お嬢さん。俺はダヴィト、黒騎士ダヴィト・フェダークと……」
「黒騎士!」
はしたなくも叫び、彼の言葉を遮ってしまいました。
世相に疎いわたくしでも知っています。黒騎士、それは中央国家群の中で、ただ一人最強の騎士が名乗れる称号ということを。
だって黒騎士とは黒騎士を倒すことでしか名乗れないのですから。
「それは素敵なお客さまだわ! フェダーク卿、ようこそ北の離宮へ!」
わたくしは淑女の礼をとり、彼を離宮へと招き入れたのです。