第69話
ξ˚⊿˚)ξ本日3/6話目
前へ。全ての力を速度に、そして次に振る一撃のために。時間が極端に遅くなる。それは知覚が、認識が加速しているからだ。
引き伸ばされた時間の中、マティアスが迫る。彼は俺に向けて大剣を突き出さんとし、だがその動きが引き戻される。
俺はいま殺気を放出していない。だが魔道具で恐怖を感じないはずの彼が臆したのだ。いや、臆したとは少し違うか。彼は保険を取ったのだ。
剣で刺せば俺は死ぬ。だが、死んで尚、前へと進み剣を振ってくるのではないかと。そう思わせたのだ。
誰だって死にたくはない。加えて彼は皇子だ。勝つこと以上に生きることが優先される。
たかが黒騎士如きと相打ちになる訳にはいかんのだ。
改めて大剣が振られる。
俺の持つ宝剣と正面から当たるように。
マティアスには自分の方が膂力で、加護で、武器の質量で優っているという意識もあろう。つまり、俺の一撃を正面から受け切って身の安全を確保し、全力で撃ち込んだ隙だらけの俺を斬る方が確実だと、そう考えたのだ。
––それが驕りだ。
剣の魔力が俺の意志に呼応した。蒼焔が流星のようにたなびく。
互いの口から裂帛の気合いの声が漏れる。
そして剣は振られ、焔と銀の弧が激突する。
轟音。
互いに跳ね飛ばされることはなく鍔迫り合いのような形に。力は拮抗した。
「馬鹿な……余は"戦王"だぞ!」
マティアスが唸る。"戦王"には膂力で拮抗されたことなどあるまい。それは俺の一撃にかける覚悟、彼の迷いが生んだ拮抗だった。
「マティアス。遍歴の旅において、俺は竜と戦っていたのだ」
人相手ではない、魔獣と、竜と。人間より遥かに力強きものと剣を打ち合わせていた経験が生きている。俺は笑みを浮かべる。鍔迫り合いのさなかのそれは不恰好な笑みであろうが。そして続けて口を開く。
「今日は死ぬには良い日だ」
これはひとつの合言葉である。"殺戮者"の加護による死の気配、恐怖。それを自分に向けるための。
心臓が握りしめられ、魂が凍てつく。死の大鎌が俺の首を落とす。だがそれはリアルすぎる死の幻影にすぎない。
それを超克するのだ。
死と生の狭間。決して交わらないその二つが接する境界。そこに至ってはじめて使える力がある。単なる筋力ではない、魔力でもない。生命力であるのかもしれないし、だがそれ以上の力。運命を燃やすのだ。
解放された力が"戦王"の膂力を超えた。宝剣が大剣を押し込んでいく。
「馬鹿なっ……!」
さらに"殺戮者"の加護が起動するのを感じる。ただの胴薙ぎ、鎧越しであれば大した傷も負わぬはずの一撃が、致命の一撃になると。
剣が加速する。
青の焔が銀の刃を砕き、金の鎧を断った。
マティアスはどう、と仰向けに倒れ、俺も膝をつく。引き伸ばされた時間が戻ってくる。
滂沱の如く汗が流れる。心臓は早鐘のように打ち鳴らされ、呼吸が乱れる。全身の筋肉が震えるが、僅かに気息を整えて立ち上がる。
俺が勝者なのだから。
「よ、余の……降参……である」
倒れたマティアスが掠れた声を放つ。
腹から流れた血は赤い血溜まりを作っている。身体を両断できていないのは鎧の下に魔術の護符でも仕込んでいたのだろう。明らかな致命傷だ。だが即死ではない。
おそらく治癒の奇跡を使える司祭を従軍させているのだろう。すぐに治療に入ればここから傷を癒せるほどの。
俺は剣の切先を向けた。
「降伏は受け入れぬ。身代金も取らぬ」
「馬鹿め……余を殺せば……帝国が黙っていないぞ」
「愚かなるマティアス・ツォレルンよ。俺がお前を殺すことで、帝国はもう俺たちを攻められぬのだ」
俺は息を大きく吸い、全ての将兵に聞こえるよう告げる。
「黒騎士は決闘を受けねばならぬ。だが黒騎士に挑む決闘の結果、どちらかが不具となる傷を負っても、死んだとしても。本人も家門の者もそれを恨んではならず、それを理由としての決闘・私闘を禁ずる」
黒騎士の掟である。
マティアスの顔が蒼白となった。血を失っている以上に。
「帝国が兵を出せば……」
「最も高潔な騎士たる白騎士が、帝国に騎士の誉れはないと宣言するであろう。近隣諸国は、教会は帝国に敵対し、帝国の全ての騎士もまた帝国を見限るであろう」
俺は介錯のため剣を振り上げようとしたが、既にマティアスは事切れていた。
俺は切先を天に向ける。
「ダヴィト・フェダークが一騎討ちに勝利した! この勝利を我が姫、ヤロスラヴァ殿下に捧ごう!」
そこまで言って力尽き、膝をついたのだった。