第63話
ダヴィトがクッションを拾い直して馬車から出ます。
わたくしの意志に従い、骸骨の巨人の左手が馬車を掬い上げるように持ち上げます。
「ふわっ……」
床が迫り上がっていく不思議な感覚。
地面に置いた右手にダヴィトが乗るのが見えました。掌を上にして親指を立てた形。
ダヴィトの足が中手骨、掌の部分にあたる骨を踏みしめます。彼の右手は親指の関節の辺りを掴みました。そしてわたくしを見て頷きます。
「立って」
がくん、と馬車が揺れました。
巨大骸骨兵はしっかりとした足取りで、軽々とわたくしとダヴィトを持ち上げます。下を見れば地面が遠い。四階くらいの高さでしょうか?
城にいた頃はこのくらいの高さに登ったことはありますわよ。でも床が揺れているの怖いですわ!
「姫様! 下は見ないで前を見る!」
ダヴィトが叫びます。窓から正面を見れば木の梢が正面に、遠くを見れば夕陽は空を橙に染め上げ、軍が陣を敷いているの見えます。我が国のものでしょう。ツォレルンに占領されている砦は丘の向こうでここからは見えません。
深呼吸を一つ。そうですわね。怖がってもいられません。わたくしはまだ壁に囲われていますけど、ダヴィトは身一つで手の上に乗っているのですし。
「進軍、前へ」
巨人がゆっくりと歩き始めます。そして通常サイズの骸骨兵たちが整然と行進を始めました。
あっ、あっ。すごい揺れる。
がくんがくんと一歩ごとに揺れながらレドニーツェ軍の陣へ。陣が大きく左右に分かれて道を作っています。
兵たちの、騎士たちの顔にあるのは明らかな恐怖。仕方ありませんわね。
「スラヴァ!」
わたくしの名が呼ばれました。一人の煌びやかな甲冑を装備した男性が立派な軍馬の鞍上にいます。……どなたでしょう。隣にはノートラント伯と彼の騎士たちがいらして、こちらに手を振ってきました。
わたくしはとりあえずパレードのように手を振り返します。
ダヴィトが困ったような顔でこちら声をかけます。
「姫様、彼は貴女のお兄さんですよ。プシェミスル殿下です」
「まあ、中兄さまだったのですか! お髭も生えていたし分かりませんでしたわ!」
わたくしには三人の兄がいて、プシェミスル兄さまは二番目の兄なので中兄さまと呼んでいました。
「スラヴァ! いずれ話をしよう!」
そうですわね。わたくしには兄や姉がいたのですが、やはり全く忘れられていましたし、わたくしも記憶の隅に追いやってしまいました。彼らはどうなっているのでしょうか。でも、それも全てはこの戦いよりも後の話ですわ。
骸骨は足を止めません。
中兄さま以外に誰もが沈黙している中、ダヴィトが掌の上で声を張り上げます。
「我こそ黒騎士"殺戮者"ダヴィト・フェダーク! そしてこちらに座すが我が姫、我が主人、"霊王"ヤロスラヴァ・レドニーツェ殿下である!」
彼は堂々と、まるで吟遊詩人がその歌を披露するかのように朗々と。
「我々はこれから敵本陣を強襲する! 手勢は姫の手により冥府より蘇りしエーガーラントの精鋭、復讐者たちだ!」
しかし応えはありません。
「作戦は単純、姫がその御力により城壁を破る! 俺が敵将を討つ、それだけの簡単な話だ! 俺たちに手柄を独占されたくないなら……」
彼はぐるりと兵たちを見渡しました。
「この冥府の軍勢の一翼としてついてくるがいい。では、さらばだ!」
そう言って陣の間を抜けて行きました。
わたくしは後ろを振り返り、そしてダヴィトを見ます。
「誰もついて来ませんわね」
陽がほとんど落ちて暗くなっていますが、ついてくる人影は見えません。
彼は肩を竦めます。
「まあ、わざと思いとどまらせるように言葉を選びました。無謀な作戦に付き合わせる必要はありません。特にプシェミスル殿下が出ようとしても、周りの騎士が止めるでしょう」
「そうなのですか?」
「復讐と言ったことと、冥府の軍勢の一翼と言ったことです。俺たちとエーガーラントの死者たちが主で、参加したものが従となる言い方ですから、王族や貴族の一門は参加できますまい」
「なるほど」
「付いてくるのは……」
その時、背後から少数ではありますが鬨の声が上がりました。そして走ってくる足音。
「黒騎士卿に続け!」
「姫殿下にいいとこ見せろ!」
「手柄取りに行くぞ!」
漆黒の旗印の下に、数十の兵が駆けて追いついてくるのが見えました。
ダヴィトが口元を歪めて言います。
「馬鹿ばかりです」