第60話
ξ˚⊿˚)ξめりくりですわー。
世界に魔力が浸透します。想起するのは冥界の門。あるいは巨大な孔。それそのものに、あるいはその向こうまで声を届けるのです。
「霊王の字を以って、我ヤロスラヴァが命ず。開け、絶望の門。逆巻け、黄泉の大河。反転せよ、生と死の理……」
術式の対象は霊や死者ではなく世界の境界です。
それ故、わたくしの魔力が空へ、大地へと吸い込まれるようにどんどんと消費されていきます。
「そして我は請願す。偉大なる神より預かりし権能に従いて、常世の神使よ、官吏よ、民よ。現世の代行者たる我にその力を貸さんことを」
わたくしの魔力を呼び水に、膨大な魔力がこの平原に溢れます。
かつての霊王が、なぜ魔王と呼ばれるほどの存在たり得たのか。それはこの力、自らの魔力を越える力を行使できる故です。
「死せる者たちの復讐が為にこの力を行使せん。我は復讐姫、同胞よ。我が下に集え」
大地が揺れ、カラカラと乾いた音が無数に重なり合います。骨に霊なるものが取り憑き、動かしているのです。自分を貫く杭から身体を引きぬき、落ちた髑髏を拾い上げて立ち上がります。
「なんということだ……」
ノートラント伯が呆然と呟きました。
平原にあった数千の骨は今やわたくしの命を待つ配下。わたくしは絶望の門を閉じ、彼らの中へと歩みを進めます。そして手を振って、正面、国境の砦の方向を指さしました。
「征きます」
肯定の声はかたかたと揺れる骨の音。
「世界よ、刮目なさい。霊王の行進を!」
ここに軍が生まれ、進軍を始めました。
…………
戦において砦や城を攻めるのはどうしても困難を伴う。攻め手は守り手の数倍の兵力が必要とされるのだ。
こちらには城攻めに有用な加護を持つ者がいない。魔術師はいても、分厚い壁を抜けるほどのものはいなかった。
俺の殺戮者の加護に関して言えば、生き物を殺すには有用だが、生物ではない城を攻めるのには向いていない。
城に篭られ、時折り俺のいない場所を狙って奇襲が仕掛けられる。
じりじりと兵力が削られていく。そしてそれ以上に本格的な冬が迫ってきている。
誰もが危機感を募らせている。そんなある日の午後であった。
「伝令! 伝令!」
本陣に蒼白な顔色の兵士が駆け込んできた。
「わ、我が軍の、こ、後方より新手が!」
後方より新手だと。王都から援軍が来るというような話は届いていない。となるとツォレルン軍が俺たちに気づかれぬよう回り込んでいたのか?
「所属と数は!」
「わ、わかりません!」
殿下の額に怒りが浮かぶ。当然だ。こんな不正確な報告は許されるものではない。だが、兵士は続けた。
「あ、あれは冥府の軍勢です!」
本陣にいた騎士や士官らは首を傾げるが、俺には何よりも明らかな言葉だった。
兵に近づいて問う。
「それを率いる人間はいたか?」
「わ、分かりません! ただ先頭に骨の馬に引かれた骨の馬車がいるのを見ました!」
なるほど。
「プシェミスル殿下、俺は援軍を迎えに行きます」
「援軍、迎えに……? まさか!」
殿下は俺に頭を寄せる。俺は囁く。
「間違いなくヤロスラヴァ殿下でしょう」
なぜこんな戦場まで来ることになったのかは分からないが。殿下は緊張した面持ちで言う。
「わ、私も行こう」
「いえ、できれば殿下には援軍である旨を兵たちに説明していただけるとありがたい」
「そ、そうか。分かった」
そういう訳で俺は単騎、馬へと跨がり、ここに来るときに通った道を逆走する。
冥府の軍勢という言葉、そして兵に見えるということは、少なくとも霊だけではない。あの平原に晒されていた死者たちが骸骨兵として姫に従っていることは間違いないのだ。
馬の腹を拍車で押せば、拍車に込められた魔力が馬に活力を与え、飛ぶような速さで走る。そうして街道を行けば、こちらに向かって歩む無数の白骨死体が見えたのだった。
駆けてきた馬の脚が止まる。恐怖に怯える馬を宥めながら並足で前へ。こちらに気づいたのか、骨の軍勢も止まった。そしてその中から骨の馬に引かれる、骨でできた馬車が軍勢の前へと出てきて止まった。
扉が開く。
我が姫だ。
具現化したシェベスチアーン氏に手を引かれ、ドレス姿の姫が地に降り立ち、こちらを向いて手を振る。
束ねられていない黄金の髪が風に踊って煌めいた。
俺もまた馬から飛び降りた。俺は跪こうとし、だが彼女が歩く様な速さの小走りでこちらにやってくるのを見て、彼女の身体を受け止める。
羽根のように軽い衝撃が、俺の全身を震わせた。
「……ヤロスラヴァ姫?」
俺が名を呼べば、彼女はえへへとはにかむように笑みを浮かべた。
「来ちゃいました」
「……来ちゃいましたか」





