第57話
俺は前へと歩きながら、腰の剣、我が姫より賜りし宝剣を抜く。数百年に渡り霊廟に安置され、錆一つない神秘の剣身にカイェターン殿の膨大な魔力による付与が輝く。
「鏖殺する」
––空気が水の如くに重みを増す。
俺が殺意を、憎しみを、怒りを、悲哀を、あらゆる負の感情を込めて剣を抜くとき。味方である者たちですらそう言う。
相対する者はいかばかりか。
前衛で盾を構えていた兵の一人が、俺が近づくだけで溺れるようにもがき斃れた。
倒れた兵は後続にとどめを刺させればよい。
踏み込む。
城壁のように堅牢な横陣に、罅が入ったようなものである。
盾持ちの後ろで、長槍を抱えて棒立ちしていた兵の喉を剣で突いた。
何の抵抗もなく剣は指ほどの深さに沈み、引き抜けば呼気と共に鮮血が散った。
踏み込む。
別の槍持ちの横をすり抜けざまに脇腹に剣を突き立て、捻って抜く。
鎧の隙間、脇の下、大腿動脈。
即座の治療、または治癒の奇跡の加護なくしては確実に死に至る場所に一撃ずつ入れて前へ。
ここでやっと意識を取り戻したかのように両軍から鬨の声が上がる。
「フェダーク卿に続け!」
「奴を止めろ!」
両軍が衝突した。
剣など戦争では使いづらい武器だという。
当然間合いの長い方が強いのだ。どの兵も槍や弓を持つ。騎士は馬に乗り機動力を高める。
だが一度間合いに入ってしまえば。敵陣の中央にいるなら。
槍を振れば隣の味方にぶつかる。弓は味方が邪魔で射掛けられない。
つまり一方的に切り捨て続けられる。
視線を周囲にやる。既に十数人に致命傷を与えたが、ここにきて敵軍が動き出した。俺を囲うように円陣を組み直そうとしている動き。
立て直しが早い。おそらく指揮官が精神系の加護を持っているのだろう。統率者か泰然自若の系統か。
ずいっと円陣の中央に男が躍り出た。全身を覆う板金の鎧、腰に剣を履き、背後には紋章入りの旗を掲げる従者。
騎士だ。体格も良い。
おそらく先ほど俺が殺気を込めた時、馬から放り出されたはずだが、こうしてすぐに前に出てくるのだ。優れた騎士であろう。
男は大きく息を吸って叫んだ。
「やあやあ! 我こそはツォレルンの赤き––!」
俺は身を翻すと、手近な円陣を組む兵士の右手首を斬り落とす。
剣を地面に突き立て、右手のついたままの槍を奪うと、それを全力で騎士に投擲した。
「は?」
槍の穂先が鎧と当たって甲高い音を立てる。刺さってはいない。だが衝撃で名乗りは途切れ、よろめいた。
俺は再び剣を手にするとツォレルンの騎士に向かって駆ける。
そして相手が困惑している隙に盾を肩で支えてぶちかます。ショルダータックル気味のシールドバッシュ。騎士が仰向けに倒れた。俺は足で胸を踏みつけると、兜の面甲の隙間に剣を突き入れた。
戦場が奇妙な沈黙に包まれる。
「卑怯な!」
「俺は貴様らと決闘をしにきたのではない。殺しに来たのだ」
剣を引き抜き刃を見る。隙間を狙ったとは言え金属とぶつかり、顔面の骨も断ったが刃こぼれの一つもない。素晴らしいな。
ぐるりと首を巡らせ、自軍の方を見る。
びくりと彼らの足が一歩後ろに下がった。
「おい、誰が止まって良いと言った?」
沈黙。ぶるぶると手の震えていた逸物男が両手で旗竿を握りしめた。
「う、うおおぉぉ!」
咆哮する。そうだ、それでいい。
兵たちが動き出した。槍を盾を突き出して前へ。敵陣に切り込んでいるんだ。それだけで敵は殺せる。
正面を見れば完全に勢いに呑まれているツォレルン軍。先ほど卑怯なと言ったのはどいつだ。将を、指揮官を殺さねば。
兜に羽根飾り、あいつか。
俺が踏み出せば敵が退く。目が合った。
「こ、降伏を……!」
「いらん」
駆け寄って首を刎ねる。
「捕虜も身代金もいらん。死ね」
鮮血が噴水のように上がり、雨のように降り注ぐ。
兵士たちの空気が変わった。
「う、うわぁ!」
「逃げろ!」
今殺したのが指揮官か。先ほど想像していた統率系の加護が切れて兵たちの士気が瓦解する。
「追撃!」
…………
逃げ惑う兵たちを散々追い回して殺した。
振り返れば時は夕刻、平原は夕陽と血潮で紅に染まっている。
俺は兜を脱ぎ捨てる。湯気が上がった。
兜は敵兵のやたらに振り回された槍が当たり、少々ひしゃげて、返り血で真っ赤に染まっていた。
いつの間にか割れていた盾も捨てる。
兜を脱いで明るく開けた視界に斜陽が眩しい。
「終わったか?」
「はい! 閣下!」
逸物男が答えた。俺は屈み込み、敵の騎士が羽織っている上衣で剣を拭って鞘にしまう。
緊張が切れたのか自軍の多くがその場で地面にへたり込んだ。
「七割は殺したか?」
まあ数えてはいないが二百人以上は倒れているだろう。
「こっちは何人死んだ?」
逸物男に尋ねれば点呼がとられる。
「五人です!」
「そうか。まあまあだな」
「ひっ、は、はい! まあまあです!」
「重症者は? いるなら介錯するが」
「ぜ、全員元気です!」
「そうか?」
俺が視線をやると全員が急いで立ち上がった。
ξ˚⊿˚)ξ異世界恋愛作品のヒーローの所業ではない(今更)。





