第56話
同胞の死者たちを弔ってやりたい。誰もがそう思うが、いまその時間や埋葬に割ける労力はない。そして本来であれば陣を張るのに適した平原が死者の毒に汚染されているのだ。
「フェダーク卿、貴殿はこの地の出身であるな。どう見るか」
移動中、大将であるプシェミスル殿下が俺を呼び意見を求めた。ヤロスラヴァ姫の兄である。俺は馬を寄せる。
「止まれぬ以上は進むか退くかしかありません」
「退くことはない」
エーガーラントの砦はレドニーツェ側の壁が低く、ツォレルン側の壁が高く作られている。時間をかければこちらへの防衛が厚くなるように改装されるだろう。そしてここから王都までの間でツォレルンを止められる程の軍事拠点はない。
どうしても攻めねばならぬということだ。
彼の持つ地図を借り、指で数カ所を示す。
「この先に全軍が陣を張れる場所はない故に、手勢を分ける他ありません。その上に砦から近くなると言うことは各個撃破される可能性も高くなります」
「逆手に見れば半包囲しているとも取れるか……。しかし両翼、特に左翼の突端が危険すぎるのでは?」
殿下はそう呟いた。山の峰が張り出している関係で左翼側が突出する形になっているのだ。
「俺が行っても構いませんが」
そういうことになった。
正直、殺戮者の加護は軍同士の正面からのぶつかり合いにはあまり向いていない加護ではあるのだ。
「フェダーク卿よ」
「は」
「妹の件、すまなんだ」
彼は馬上で俺の瞳をじっと見つめ、顎を引いた。
「殿下の謝ることではないですし、その対象は俺ではありません」
「いや……そうだな。スラヴァに直接謝るべきであるか。卿に告げるべきは、スラヴァを救ってくれたことへの感謝か。ありがとう」
「御言葉、有難く頂戴致します。それでは」
殿下の命で俺の下に五十名程の兵が預けられ、半日かけて左翼の突端に移動する。
「お前たちを指揮することとなったダヴィト・フェダーク。黒騎士だ」
五十人の視線がこちらに集まる。士官からこの五十名の兵士の加護の一覧を渡されたが、戦において極めて強力なものはいない。結局のところ強力な加護の者は既に騎士などに取り立ているはずだし、いたとしても王子の周りに集められるであろう。
「寄せ集めのお前たちに、部隊を指揮する能力などない俺、そして連携も取れていない俺たちだ。取れる作戦など無いに等しいからな。陣形は偃月陣とする」
偃月陣と言われても兵たちはもちろん知らない。説明すると、正気かという視線でこちらを見る者が増えていく。
偃月陣とは将が先頭となり、他の兵が全てその後ろについていく形、上から見れば欠けた月のように部隊を配置する陣だからだ。
「マジか……」
逸物男が思わずといった様子で呟く。
「俺は至って正気だ。お前たちは兵として基本の横陣や方陣の訓練をしたかもしれんが、それは常人同士のぶつかり合いのためだ。イカれた加護持ちがいる場合は、それをどうやって生かすべきかに全力を尽くすんだよ」
強大な魔術師が自軍にいるのであれば、それを中央に置いて兵を円陣にするのが最良だし、俺みたいのは突出させることに意義があるということだ。
「お前たちにとって不幸なのは、ここが最も激戦となるであろうことだ」
兵たちの唇が緊張に引き結ばれる。
「お前たちにとって幸運なのは、お前たちが死ぬのは俺が死ぬより後ということだ」
俺は歯を見せて笑う。
実際にはそう単純なものではない。だが、そう思ってついてくれる方が生き延びられるというものだ、互いにな。
…………
こちらの手勢は五十、馬は使わず中央が突出した三角形に布陣し、大楯を構えた者を周囲に配置して護りを固め、ゆっくりと前へ。
ツォレルンの兵士が横陣に並ぶ。奥には騎士か貴族の紋章が描かれた旗が三旒。騎馬は十騎。
「武装を捨て降伏せよ! さすれば命までは取らぬ! こちらはツォレルンの精鋭五百! 貴様らのような寡兵など鎧袖一触ぞ!」
中央にいる男が叫び、降伏を勧告する。
五百はいないな。輜重入れれば五百の部隊なのかもしれんが、実際の布陣は三百程度だろう。それでもこちらの六倍はいるわけであり、兵の多寡は明らかである。
俺は叫ぶ。
「勧告は無用! 平原に我らが同胞たちの死体を並べ、そのような言葉が信じられると思うか! 我が望みは貴様らの死、ただそれだけよ!」
遠方で銅鑼が鳴り、喇叭の音が響く。中央で戦闘が始まったのだろう。
中央の男が弓兵に合図を送る。
「射かけよ!」
数十の矢が影を作り、降り注いだ。
「防御!」
男たちが天に盾を掲げて屈む。木に金属の刺さる音が響いた。苦悶の声はなし。
俺は盾の中から抜け出して軍の先頭に立つ。後ろに続くのは逸物男。
「掲げろ」
「ぬおおぅ!」
逸物男が旗竿を振り上げた。そこに描かれるのは俺の、ダヴィト・フェダークの紋章。漆黒の布地に紋章の縫い取られたそれは、黒騎士のみに許されるものだ。
笑みを浮かべる。
ツォレルン軍に動揺が走った。
俺が黒騎士となった時の戦に参加していた者もいるだろうからな。
「三十八代黒騎士、"殺戮者"ダヴィト・フェダーク。推して参る」
そう告げて面甲を落とした。