第55話
「うぇっ……」
逸物男が唸った。
「ひでぇ……」
「なんてことをしやがる……」
猥談していた兵、ちなみにあだ名は左曲がりと亀首らしいが、その二人も唸った。
あまりにも凄惨な光景が広がっていた。それを目の当たりにして朝の食事を地面にぶちまけている者も多い。泣き出す者もいる。
俺は口元に布を巻き付けた。死者の毒を吸わぬように。
「……話には聞いていたが酷いものだ」
北西へと進軍を続け、レドニーツェの王都からエーガーラント領へと向かう街道を丘の上から見下ろす。エーガーラントの良質な牧草地であったはずの平原、その街道沿いに無数の死体が並べられているのだ。
磔に、串刺しに、あるいは槍の上に首が晒されている。
エーガーラントがツォレルンに攻められ、その時のエーガーラント領の死者、あるいはツォレルン統治下で反抗的であった者が処刑された姿という。
ここには俺の実父や実母、幼き頃の友もいるかもしれない。間違いなく言えることは、養父である騎士ボフミル・フェダークはここに野晒しとなっているということだ。
「お前たちも口元を覆え。死者の毒を吸わぬように」
死体のほぼ全てはもう白骨化しているので腐敗臭はほとんどない。だが、でっぷりとした蟲が地を這う。何を喰っていたかは明らかだ。
「うす」
男たちはのそのそと外套を口元に巻き付けた。
結局この三人は俺の従者のようについてくるようになった。軍としても俺への伝令を担当する従者がいないので誰かつけておきたかったのだろう。
「兄貴は平気なんすか……?」
「騎士だから伝令から状況を先に聞いていたので心構えがあっただけだ。それにこれも戦のならいではある。……悪趣味極まりないがな」
彼らは頷く。
少し遠くにいる指揮官の方を見る。ヤロスラヴァ姫の兄にあたる王子の一人だ。だが、あまり胆力がない様子、この景色を見て顔を青褪めさせている。
俺は指揮官ではない。だが騎士として、個の武勇が最高と賞賛される黒騎士として、あるいは仕える我が姫の名誉にかけて。
臆するところを見せる訳にはいかんのだ。だから周囲の兵たちに聞こえるように声を張る。
「奴らの目的は俺たちの士気を下げることだ。だからお前たちは凹んでいてはならん。それは敵の思う壺ということだ」
側にいた三人も、周囲の兵たちも頷いた。
「怒れ。同胞を殺し、その死を辱めた奴らに怒れ。死したる同胞に、必ずや仇を討つと誓え」
幾人かは目に力が戻った。
「王都に父母や妻子、愛する者がいるか。俺たちが負けると言うことは、この光景が王都でも発生すると言うことだ。それで良いのか」
幾人かが悲壮な顔で槍を握った。
「分かっているか。お前たちがここで立ち向かわねば、娼館のマリーちゃんは敵の手に落ちるということを」
「そりゃあだめだ!」
「そうだ! マリーちゃんは俺のだ!」
「馬鹿野郎、俺のだ!」
三人の馬鹿が声を上げ、男たちに笑みが戻る。
「夜、マリーちゃんに自慢してやれよ。俺はこの戦場で二番目に活躍した男だとな」
「二番目……?」
「一番活躍するのは俺だからな」
「そりゃあねえっすよ!」
亀首が叫んだ。
俺は口元を覆う布を取って笑みを浮かべて見せる。
「レドニーツェの美しき末姫の噂を聞いたことがあるか。俺が主と仰ぐ姫君、ヤロスラヴァ殿下だ」
遠くにいた兵たちまで寄ってきて耳を澄ます。
指揮官の王子が身を震わせた。霊王であるとか、うちの国王にも問題はあるとか。それをここで言う必要もあるまい。
「なぜ彼女が国民の前に姿を見せなかったのか。ツォレルンの皇子、マティアスと婚約してたのが一方的に破棄されてさ。それが元で幽閉されることになったんだとよ。……許せねえんだよなぁ」
思わず殺気が漏れ、近くの兵たちが身を震わす。
「だけど運の良いことに」
剣を抜き、エーガーラントの砦を指した。
「ツォレルンの司令官はそのマティアスらしいんだ。……なあ、お前ら。力を貸してくれよ。俺はマティアスを斬り殺したいが、さすがに俺一人じゃそこまで行けないんだ」
逸物男が手を上げて叫ぶ。
「黒騎士閣下ぁ! 姫君は美人っすか⁉︎」
俺はゆっくりと頷いた。
「クッソかわいい」
「やってやりますよぅ!」
左曲がりが叫ぶ。俺は剣を振り下ろした。
「行くぞ」
「応!」