第52話
お父さまは続けます。
「……ここを去るつもりかね」
「ええ」
「どこへ行く」
「我が騎士のもとへ」
「ツォレルンとの戦場であるが」
「苦戦なさっているのでしょう?」
お父さまの目が僅かに開きます。
「……なぜそう思うか」
「わたくし、離宮にいてもこの王宮の噂をそれなりに仕入れられるのですわ」
結界ゆえに王城の中心部に霊が入ることはかないませんでしたが、噂とはあらゆる場所で囁かれているものですもの。まあ、その結界も先ほどお爺さまが壊してしまいましたけど。
「霊が……」
兵のどなたかが呟いた声が響きました。不気味そうに周囲に目を走らせますが、いまそちらに霊はいませんわ。
ああ、そうですわ。
「お父さま、わたくしを勘当してくださいまし」
「スラヴァよ、余らと縁を切ることを望むか」
「というより、ツォレルン帝国と戦いにいきますので、わたくしと繋がりがあるのは宜しくないかと」
お父さまは天を見上げて溜息を吐きます。
「良い。そもそもマティアス皇子との婚約が破棄されたとき、スラヴァを幽閉すると言ってしまった余に責があることだ。スラヴァが迷惑でなければレドニーツェを名乗り続けて構わん」
「あら、わたくしだっていつか嫁ぎますわよ」
わたくしが笑みを浮かべると、カイェターンお爺さまが袖で目元を拭う振りをされます。
「うっうっうっ、スラヴァちゃんが嫁ぐだなんて儂泣いちゃう……。もう目も無いんじゃけどな!」
場を和まそうとしたのかどうかはわかりませんが、お爺さまがいつものアンデッドジョークを言ったところ、反応は劇的でした。
「ほ、骨が喋ったぁ!」
「さっきの巨人は幻じゃなかったのか!」
腰を抜かす近衛兵の方々。
あー……。そうですわね。お爺さまはさきほど巨大な幻影出されてましたものね。お爺さまの顔を見ると、筋肉もないのに笑みを浮かべていると確信できる雰囲気を醸していました。
「ふははははは!」
突如お爺さまが立ち上がり、宙に飛び出して高笑いを始めます。
「ひいっ!」
「儂こそ封印から解放されし屍王カイェターンなるぞ!」
「ひいいっっ!」
宙に浮いて謎の光を全身から放ちながら名乗りを上げます。なんですのこれ。
「……カイェターンだと?」
お父さまの呟きにお爺さまが外套を翻して杖を突きつけます。
「そう、儂こそ最後にして至高の大魔導カイェターンなり!」
「お爺さま、話が進まないのでステイですわ」
「あ、はい。スラヴァちゃん」
お爺さまがわたくしの横に戻ります。
「スラヴァ、その屍王を、カイェターン大魔導すら使役しているのか?」
わたくしは首を横に振ります。
「いいえ、お父さま。わたくしが今日この日まで生き延びることができたのは北の離宮の裏手にある霊廟、そこに封印されていたカイェターンお爺さまと、それよりも古き王の霊たち、それに仕えた霊たちに助けられてのことです。そして霊たちはわたくしの霊王の加護の下にありますが、カイェターンお爺さまは自ら屍王となられ、いわゆる死霊ではありませんので支配などしておりませんわ」
「そう……なのか……」
お父さまはあまりにも多くのことがありすぎて混乱しているような表情と、どこか納得したような表情を浮かべています。
わたくしが生きていることと、魔術を研鑽していることへの納得でしょうかしらね。
「さて、わたくしはこのまま旅立とうと思いますが、カイェターンお爺さまを残していきますわね」
カイェターンお爺さまが無駄に外套を払って顎に手を当てて彼らを見やります。
「今回の件の説明とか後始末をしてくださるとのことなので」
お爺さまはわたくしの頭を撫でると、再び馬車から飛び降りました。そして兵たちに叫びます。
「宜しくの!」
「ひいっ!」
お父さまは頭痛がするかのように頭を押さえました。
「そうか……。感謝する。達者でな」
「ええ、お父さまもお達者で。お爺さま、行って参ります」
「うむ、ではまたの」
近衛兵たちが道を譲り、首のない馬に引かれた二台の馬車がその間を抜けていきます。
––これは後の世に、真夜中の太陽事件、死霊の行進事件などと呼ばれる一夜となったと言います。
平民たちも真夜中に明るく照らされた城を、そこに現れた巨大な骨の影を見ていますし、その後で王都のメインストリートを走る、首のない馬と骨でできた馬車を見ていますから。
貴族の子弟である近衛兵や高位の司祭らに死者・行方不明者が三十名余、さらにレドニーツェ王妃が発狂し、一週間後に衰弱死をとげることとなったのです。
非業の死をとげた末姫の呪いとか噂されたらしいですわよ。