第50話
カイェターンお爺さまがわたくしの眼前から袖を離すと、そこには紅蓮の火柱が立ち昇っています。熱せられ、白く輝く鳥籠。中の人々は悲鳴を上げる間も無くこと切れたのでしょう。もはや炎の中に人影すら見ることが叶いません。
ぱちん。お爺さまが指を鳴らすと、術式は解除されました。籠も炎も消えて、焼け焦げた地面に僅かな燃え残った金属などが残るのみ。
「これで、終わりでしょうか?」
「いえ、近衛たちがこちらに向かっています」
わたくしが呟くと、そばに近づいてきたヘドヴィカから返答が。なるほど、それはこれだけ目立てばそうよね。と、わたくしは頭上に輝き、周囲を昼のように照らす光をちらりと見上げます。
近衛、王族の身を護ることのみをその意義とする騎士たちの精鋭であると。ただ、その精鋭とは剣や馬術といった武力よりも、家柄や見目の良さなどが重視されているとも言いますが。
ともあれ、煌びやかな鎧を身に付けた方たちが現れると、彼らはわたくしたちから少し離れたところに止まって、左右に展開します。彼らは右手に槍を持ち、左手には揃いの方形の盾。その盾を地面に固定するように構えました。
兜で顔色は伺えませんが、少し腰がひけているようにも思います。
中央、盾を構えた方々の一歩後ろにいるのはこの隊の隊長でしょうか。外衣の裏打ちの色が異なり、兜の装飾の形も異なっています。
うーん、前にいらしたズィクムント近衛長ではないのですわね。
ヘドヴィカが耳打ちします。
「おそらく彼らは夜番だったのでしょう。王城、正門の方では兵が集められています」
なるほど。真夜中ですものね。
隊長らしき人が叫びます。
「動くな!」
「動いていませんわ」
「ぶ、武装を解除しろ!」
「なにも持っていませんわよ」
わたくしは両手を開いて見せます。
「そ、その周囲で浮いているものはなんだ!」
これにはお爺さまが答えます。
「我が魔術を込めた宝珠じゃよ。武器ではないな」
「貴様ら、魔術の行使を止めろ!」
「え……。宜しいのかしら」
「解除しなければ抵抗と見做す!」
彼の合図で天を向いていた槍の穂先が横に。わたくしたちの方へと向きます。
えーと……。お爺さまを見上げます。
「向こうがそう言ってるのだから構わんじゃろ」
わたくしは霊たちを振り返ります。彼らはわたくしに笑みを浮かべて頷きました。わたくしは頷くと目を瞑り、お爺さまの手を握りました。
二人で声を揃えて言います。
「全解除」
刹那、世界は闇に包まれます。
「め、目がっ」「誰か光を!」
動揺の声。彼ら、夜だと言うのに松明や洋燈の準備していないのですもの。それだけ明るかったということでしょうけど。
お爺さまの手の感触が、冷たい骨へと変わっていきます。幻覚系の術式も解かれたのでしょう。
そしてわたくしの横を、無数の気配が通り過ぎていきました。
わたくしが解除した術式は具現化、そして霊支配。
わたくしは怒っている霊たちを鎮めていたのです。
霊王であるわたくしに刃を向けた王妃とその協力者に。王族に刃を向け、高圧的な態度を取る近衛たちに。
そう、ここにいた霊たちの多くは王族なのですから。
霊たちが近衛に取り憑いていきます。盾が倒れ、金属同士が擦れ合う音。
目を瞑っていたために少し早く闇に慣れた視界の中で影が苦悶に踊っています。彼らは互いに剣を突き刺しあったり、兜を脱ぎ捨てては自らの首を絞めたりしているのです。
そして静かになりました。
お爺さまが問います。
「さて、スラヴァちゃんはどうしたいかね?」
「この国にいるべきではない。少なくともこの王城には。そう思います」
「そうじゃなあ、それが良いかもなあ」
骨の姿に戻ったお爺さまは嘆息されます。
「では、どこに行きたいのかね?」
そう問われても、わたくしはこの王城の外に出たのは八歳の時の一度だけなのです。行きたい場所など浮かびはしない。わたくしの頭の中に浮かぶのはただ一人の男性の顔のみ。
お爺さまはめそめそと泣き真似を始めました。
「おお、スラヴァちゃんが恋する乙女の顔に……! あの男と付き合うだなんて、お爺さまの瞳が黒いうちは許しませんよ!」
「お爺さま、二度ネタは許しませんよ」
「アンデッドジョークに厳しい!」
そう言って笑い合います。
「ま、良いじゃろ。行ってくるが良い」
その言い方だとお爺さまは来ないように聞こえます。
「お爺さまは?」
「儂はお前のお父さんとちょいとお話ししてやらんとな。後から追いつくわい。……ご先祖様がたよ」
お爺さまは近衛の死体に話しかけます。むくりとみなさんが起き上がり、そのうちの一人がお返事されました。
「なんじゃい」
「儂は今から馬車を用意しますので、スラヴァちゃんの荷物と、自分の骨と、霊廟の宝物を詰めるだけ詰め込んでくだされ」
「じじい遣いが荒いのー」
「ちょうど若い肉体に取り憑いてるでしょう」
「なるほど、それもそうじゃ」
そう言ってぞろぞろと死者たちは北の離宮へと向かいました。