第48話
魔力の込められたわたくしの声に、白き靄は身を震わせて床に蟠ります。
しかしそれらはふるふると震え、また起きあがろうとしました。
「ひれ伏せ」
重ねての呪言。霊支配を二度使わされるのは初めてですわね。
霊は床にうつ伏せになったような状態で顕現しました。
「霊王ヤロスラヴァが汝らに問う。我に刃を向けんとしたのは何故なりや?」
––主命による。
思念が返ってきました。
「汝らに刃を持たせたのは誰か?」
––……司祭様が。
周囲の王の霊たちが騒めきます。ふむ。王威に従わぬは、相手が無垢なる赤子、同格の王、そして……。
「神の道を誤りし狂信者よ。命じたのがどこの教区の司祭か述べよ」
––ボーヘム。
わたくしは諦念と共に呟きます。
「母の、王妃の出身地ですわ。母の一族には教会の関係者も多いので間違いないでしょう」
––は、は。母親にすら死を望まれる魔王め……!
予想していたことではありますが、胸がちくりと痛みます。
「否。我は魔王にあらず、霊王なり。大いなる神の加護を曲解せしは敬虔なる信徒に相応しくないと知れ」
問いかけや命令ではないため、三人からの応えはありません。ただ、彼らの恍惚としたような思念が感じ取れます。
––これで俺も、大いなる神の御許へ行ける……!
司祭の命に従い、聖戦のために死ねば、死後の幸福が約束される。
洋の東西を問わず、古来からありふれた洗脳であり扇動です。わたくしのような小娘にもわかることが、なぜ大人である彼らは分からないのでしょうか。
八つ当たり気味な思考だと自覚できます。これから行うのは戦術的に正しい行為でもない。
それでも生と死の狭間を知る加護、霊王を賜るわたくしにとって、それは許せぬ妄言であるのです。
「霊王の字を以って我、ヤロスラヴァが請願す。天国の門は、輝きの門は閉ざされんことを」
––……?
「我は汝らに刻印す。汝らは咎人であると。大いなる神のおわす永遠の楽園に相応しくない魂であると」
––や、やめろ。
わたくしの指が翠の炎に包まれます。わたくしはその指を彼らに近づけました。
「絶望の門は汝らの為に開かれたり。官吏達は車輪を手に汝らを出迎えん」
––やめろーっ!
わたくしの指が彼らの額に順に触れると、無数の骨の手が地より湧き出て白き魂を掴み、地下へと引き摺り込んでいきました。
わたくしの身体がふらりと倒れそうになり、ヘドヴィカたちに支えられました。
「姫様……っ!」
「ああ、ごめんね。ありがとう、ヘドヴィカ」
彼女たちは泣きそうな顔でこちらを見つめています。霊は、涙を流せないのですが。
「おいたわしや、ヤロスラヴァ様」
ううん、とわたくしは首を横に振りました。
「もちろんショックではあるんだけど、分かっていたことだから」
わたくしは立ち上がります。
「ごめんね、ちょっと魔力を使いすぎちゃった」
反抗的な霊であったので支配のために魔力を二度使ったこと。それと天の門を閉じるためにわざわざ審判を使う必要などなかった。
あれはただの自己満足のようなものです。
「いいえ、姫様は正しいことをなさいました」
霊たちはみなわたくしに甘い。
「その通りじゃ」
もう、カイェターンお爺さままで。
「汝は霊王という神の加護持つものとして正しき裁きを為したのだ。悔いてはならぬ」
「でも、わたくし、次の敵が現れた時に対応する魔力を使ってしまいましたのよ」
しかしお爺さまは否定します。
「否、それも問題ない。スラヴァちゃんが敵が王妃であると明かしたことにより、儂が介入する理由ができた」
「なぜでしょう。これは家族の、王族の争いですわ」
「うむ、争いの相手が国王であれば介入できぬ。だが、王妃は王家の血を引かぬ。故にヤロスラヴァ、汝に加勢することができるのだ。王家の、我らの血を引く娘よ」
なる……ほど?
骨の鼠がおもむろに手を天に掲げました。
「世界よ刮目せよ! 大魔導カイェターンの復活を!」
霊廟の方向から魔力の焔が立ち昇りました。
鼠さんの骨が崩れ落ちます。これは……単純な解呪の魔力。
ですがその魔力は絶大で、部屋がカーテン越しにも白く染まっていきます。
王城の上空で、落雷のような、まるでシャンデリアが落下したかのような破裂音が何度も響きます。幾重にも張られた王城の魔術的結界が解呪の術式ひとつで全て破られたのでしょうか。
––ふはははははは!
ご機嫌そうなお爺さまの高笑いが響きます。
わたくしは窓に近寄り、空を見上げました。
まるで真夜中の太陽が昇ったかのように、巨大なる輝ける光球を天に打ち上げ、王城の尖塔ほどに巨大な屍王の幻影が顕現しています。
––ふはははうひょひょひょひょゲホッゲホッ。
笑いすぎて咽せたようです。