第41話
ダヴィトは決闘の後に陛下、お父さまとの会談の様子についてお話しして下さいました。
「忘却、ですか……」
「はい陛下はそれにより忘れさせられていたと。俺が姫のことを伝えたため、記憶が戻ってきたような言動をされています」
わたくしはお母さまの加護について記憶がありません。それはそもそも聞かされていなかったのか、わたくしもその忘却の加護の対象となっていたのか。
今の手紙にはそのことは記されていませんでした。
万一の情報の流出を防ぐためでしょうか。直接会って話すつもりであったのかもしれません。
「フン!」
足元から鼻で嘲うような声がしました。カイェターンお爺さまの鼠です。
わたくしはそれを掬い上げました。
「お爺さまいらっしゃいまし」
「うむ。今の話は聞かせてもらったぞ」
ダヴィトは微妙に渋い表情です。まあ、盗み聞きといえば盗み聞きですからね。とは言え、家族のようなものですし、文句を言うほどでもないということでしょうか。
「ご不満な様子ですが、どう思われましたか?」
「まずスラヴァちゃんたちは忘却の加護がどういうものか知っているか」
わたくしは首を横に振ります。ダヴィトが言いました。
「精神操作系の希少な加護であり、記憶を封じたり薄れさせる神の慈愛の顕れであると。実際に記憶を封じる務めをなさる神職もいると」
「そうじゃ。希少で強力ではある。だが精神系最上位、眠りの女王のような王位の加護ではない」
最上位加護は王や女王と名付けるのが通例。精神に作用すると言えば眠りもそうですが、眠りの妖精女王の名のそれは確かに物語などで有名です。
「王位の加護ではないと問題なのでしょうか?」
「うむ、王位であればそれを望まぬ相手にも効果を及ぼせる。だが忘却とは、忘れたいことや興味のないことを忘れさせる加護なのじゃ。覚えておきたいことまで忘れさせることはできぬ」
……っ!
それは……。
お父さまもわたくしのことを忘れたがっていたと言うことで……。
「じゃからそんなおざなりの謝罪では……、何をする!」
お爺さまの鼠がダヴィトに摘み上げられました。
「カイェターン、偉大なる古代の魔術師よ。お怒りはとてもよく理解できます。ですがもう少し伝え方というのがあるでしょう」
「ええ、その通りですダヴィト卿。そのク……鼠はこちらで処理しておきましょう」
ヘドヴィカが表情に怒りを浮かべています。
ダヴィトの手からお爺さまの鼠を騒霊で掴むと部屋から出ていきます。
ダヴィトはわたくしの前に跪きました。彼の姿が歪んでいます。彼が手をわたくしに差し出しました。
わたくしが動かないでいると、彼の手が顔へと伸びます。
「失礼」
彼の手、そこに握られたハンカチがわたくしの頬を、目尻を撫でました。
わたくし、泣いて……。
「ただ……わたくしは……」
ダヴィトの顔が歪んでいきます。その度に彼の手がわたくしの目尻のあたりを拭ってくださいます。
「わたくしを……見て欲しいだけでしたのに……」
わたくしの背中と後頭部に手が回され、わたくしの顔がダヴィトの鎖骨のあたりに押しつけられました。彼の服に涙が珠のように溢れます。
「……不敬を、お許しください」
低い声がわたくしの耳元で囁かれました。
厚く、熱い筋肉に頬を預け、脇の下の服を握りしめます。
大きな手が後頭部を優しく叩きました。繰り返されるそれはとても優しい動きなのにわたくしの涙はますます溢れ、押し殺そうとしても嗚咽が漏れてしまいます、
…………。
ふと、気がつくとわたくしはベッドで横になっていました。
「おはようございます、ヤロスラヴァ様」
ヘドヴィカの声がします。顔を傾ければ、わたくしのベッドの脇に座る彼女の姿。
彼女は手を伸ばし、私の目元にひんやりとした布を当てます。
「えっと……」
「目元を腫らしておられますので」
「あっ!」
顔が熱く、赤く染まっていくのを感じます。
そうです。わたくし、ダヴィトの前で泣きじゃくってしまいました。布団を引っ張り上げて顔を隠します。
ヘドヴィカが笑った気配がしました。
「だ、ダヴィトは?」
「姫様が泣きつかれて眠ってしまったのでこのベッドまで運んで貰いましたわ。ええ、膝の下に手を差し込んで軽々と持ち上げになって」
ひえぇぇぇ。
「彼は元々登城の予定があったとのことで、姫様の世話をくれぐれもと私に頼み、着替えて今は城へと向かっています」
わたくしは窓の方に顔を向けます。
青い空が広がっています。まだお昼にはなっていないでしょう。そんなに長く寝ていたわけではないようです。
「ええ、殺気を振り撒いて向かわれましたわ」