第37話
シェベスチアーンの目と耳を借りてエントランスホールの様子を窺います。
ダヴィトが玄関の扉を開けると、兵士数名を従えた貴族のような風体の人が入ってきました。
あまり人の年齢というのは分からないのですが、きっとダヴィトたちより年配で、少しお腹の出た人です。
彼はダヴィトを見てぴくりと眉を動かし、ノートラント伯を見て明らかに驚いた表情を見せました。
つまり、フェダーク卿がここにいると聞いていたが、ノートラント伯がいるとは聞いていない。そういう表情です。
兵士の方々はあからさまに怯えた表情。それは彼らがここに幽霊が出るというような噂を聞いているのか、それとも目の前に黒騎士ダヴィトがいるからなのでしょう。
「ダヴィト・フェダークである。貴公は北の離宮に何用か」
ダヴィトが問うと、煌びやかな服装に身を包んだ男性は咳払いして言いました。
「私は偉大なる国王陛下よりの御命によりてこちら北の離宮へと参った使者である。ヤロスラヴァ姫に取り継がれたし!」
まあ、お父さまからの使者だそうです。初めてですわ。
「国王陛下の使者であると」
「いかにも」
使者の方は頷かれ、ダヴィトはちらりとノートラント伯の方に視線を向けました。
「どう思う」
伯は頷かれます。
「その外套、確かにレドニーツェの王族からの使者が纏うものに相違あるまい」
「私を疑うか! それは叛逆とも見做されますぞ!」
伯はゆっくりと前に出て、慇懃に紳士の礼を取られました。
「滅相もない。私は忠実なる陛下の臣下ですし、御使者が陛下の使者であると信じたい気持ちでいっぱいですとも」
「信じたい……?」
使者の方は眉を顰めます。
伯は悲しそうに首を振られました。
「ええ、王家の使者であれば、使者が行くという使者を事前に立てるのが当然。ですがそのような話を姫殿下からもフェダーク卿からも伺っておりませんので」
「そうだな。ここ数日、北の離宮に訪れているが、そのような者を見たことも、聞いたこともない」
こくこくとわたくしは頷きます。
確かに王家の使者は家長が出迎えるのが当然のしきたりです。ですので、使者が行くという使者が先に向かうのは当然と言えましょう。
ダヴィトが伯に問います。
「つまりどういうことだ? それは何を意味する?」
「使者が正規の者であると仰るなら、彼がヤロスラヴァ殿下を舐めてるってことだ」
まあ。わたくし、舐められているのですか。
伯は続けます。
「どうせ必ず離宮にいて予定もないだろうとな」
ダヴィトは使者の方達のほうに向き直りました。彼らは後退ります。
ダヴィトは手にしていた剣を、その鞘を見せつけるように示します。そして柄に手をかけました。
「なるほど、では無礼打ちに斬り捨てても問題ないな」
「ま、待て!」
「では急に来た理由を言ってみると良い」
「ぐっ、黒騎士が名誉ある称号とはいえ、王家のことに介入する権利はない。そもそもここ北の離宮の立ち入りは王によって禁じられているのだ。立ち去りたまえ!」
「断る」
「断る」
使者の方はダヴィトの問いには答えませんでした。
そして二人は使者の方の要求を即座に断ったのです。
「なっ……」
「俺、ダヴィト・フェダークはヤロスラヴァ殿下を自らの主人、我が姫君として守護すると誓った。騎士の主従の誓いに余人がとやかく言う権利はない。たとえ親や王であってもだ」
ダヴィトがそう言えば、ノートラント伯も続けます。
「私がその誓いを見届けましたよ。さて、先ほども申しましたように、私は忠実なる陛下の臣下ですからね。王命であれば立ち去りましょう」
使者の方は少し安堵の表情を見せました。ですが伯はにやりと笑みを浮かべて続けます。
「だが信用できんな」
「何、王の使者たる私の言葉を信用できないと申すか!」
使者の方は激昂します。
「陛下の使者である貴方の言葉は嘘がないと思っているとも。だが状況に矛盾がある以上、そこまで無条件に是ということはできん」
「む……、矛盾だと?」
「ええ。私はここに来るまで多くの兵とすれ違ったが、誰も咎めはしなかった。ここへの立ち入りが禁じられているという使者殿の言が真であるというなら、近衛は全て王命を無視する大罪者だ。北の離宮の衛兵のみならず、近衛の長まで処刑されていなければおかしい。違うかね」
近衛とは王の直属の兵ですから、王命に従わねばならない。王によって出入りが禁じられているなら、ノートラント伯らの出入りを咎めなかった兵たちはみな処刑されるほどの罪ということなのでしょう。
「む……」
「玉璽入りの書を以て示したまえ。それと近衛の処断まで為されたなら、ここに出入りはしないと誓おうじゃないか」
ダヴィトは鞘鳴りの音を響かせました。兵士たちの顔が青褪めます。
「立ち去り、王に告げよ。我が姫君と言葉を交わしたいなら、使者を立てるのではなく、御身自らこちらにいらすようにと」
使者の方たちは逃げるように離宮を後にされました。