第36話
大きな鯉をいただいて、次は口直しのお菓子です。
厚みのある直方体のクッキーは棺桶。その形と中身が空洞になっていることから名付けられたものです。暗い色の皿に幽霊のような形に生クリームが添えられていて、クッキーにはチョコレートなどで棺桶の継ぎ目や飾り、聖印が描かれていました。
「すごいわ!」
「すごい技術ですが、霊廟に行った後にこれは……」
わたくしはナイフでクッキーを割って、フォークでクリームをたっぷりと載せて口に運びます。その間も伯は躊躇している様子。おいしいのに!
「ひひ、すいませんね。霊廟こそが俺たちの家、棺桶こそが俺たちの寝床なもんで」
イザークが笑います。
「ああ、すまんな。いただこう」
伯はそう仰るとクッキーをくちに運びました。眉が優しい弧を描きます。甘いものが嫌いなレドニーツェ人はいませんわ。そういうことです。
ヘドヴィカが紅茶を給仕して回っています。お菓子に合わせてということでしょう。
イザークが厨房へと向かいながら言います。
「んじゃー後半の準備もしておくのでご歓談を」
中休み、ということですわ。
「フェダーク卿は満足いただいているかしら」
「ええ、とても。これほどの料理をいただけるとは思っても見ませんでした」
フェダーク卿は頷き、二人を見ます。
「はい! こんな美味しい食事は初めてです!」
「美味しすぎて祝宴なのに喋ることを忘れてしまうのが、唯一の難点ですな」
まあ、本当だわ。女主人としてもっと話を振らなくてはならないのに。
「ああ、そうです。ヤロスラヴァ姫」
フェダーク卿が思いついたように声を上げられます。
「何かしら」
「これからはフェダーク卿はおやめください。もう俺は殿下のものなので」
わたくしのもの……! 何か背徳的な響きすらありますわ!
思わず目が泳ぎます。
「な、な、なんとお呼びすれば」
「ファーストネームを呼び捨てにするのが一般的でしょうか」
「だ、だ、ダヴィト」
「はい、殿下」
彼は笑みを浮かべてそう言いました。
わたくしは顔を隠して首を振ります。もう一度です。
「で、ではダヴィト」
「はい、殿下」
「貴方がわたくしを姫と呼称するとき我らがではなく我がと冠することを特別に許可いたしますわ」
一息で言い切りました。
「……はい、我が姫君」
ダヴィトもまたぷいと顔を背けました。
壁際でヘドヴィカがにやにやと笑みを浮かべています。
ノートラント伯とヴィートさんが身を寄せて話し始めます。
「おい、ヴィート。どう思う?」
「す、素敵だと思います」
「そっかー。私はどうもこの場にいるのは邪魔なのじゃないかと思いはじめたところだ」
「……そんな気もします」
などとお話ししていた時でした。
「ご歓談中失礼します」
ヘドヴィカが声を掛けました。
「兵二名を護衛に使者が一名やってきます」
ダヴィトはそれを聞くや即座に立ち上がり、剣を取りました。
「対応してきます」
「私も行こう」
ノートラント伯爵も立ち上がりました。
「姫とヴィートはここに。ヴィート、何かあったら姫をお護りするように」
「はい。お二方、よろしくお願いいたします」
「はいっ、一命にかえましても」
「みなさまにご対応いただくとはこのシェベスチアーン汗顔の至り。しかし、よろしくお願いいたします」
執事としては対応を人に任せるのはという思いがあるのでしょう。ですが死者が出迎えるのはね。
イザークが顔を覗かせました。
「なんだ、祝宴は中断かな」
ダヴィトは言いました。
「必ず戻ってきて続きは食う。メインの肉がまだだろう?」
コース料理ならこの次が肉ですものね。実際、この食堂にはじゅうじゅうと焼ける脂の匂いが漂っていて、期待が高まっていたところだったのです。
「そうだな。伯爵が良い肉をくれたんでね」
「料理長の手腕に期待している。ではヤロスラヴァ姫、対応して参りますので、今度は覗きに来ませぬよう」
この前、ノートラント伯がいらしたときに廊下の隅から覗いていたことを注意しているのでしょう。
大丈夫。わたくしは頷きます。
ダヴィトが踵を返しました。彼らの姿が食堂から消えた頃、ノッカーが叩かれる音が邸内に響きました。
「シェベスチアーン、視界を貸して」
そう、知覚共有の術式をかけて、彼に覗き見に行って貰いますから大丈夫なのです。