第35話
杯を手にすると、ノートラント伯が咳払いを一つ。
「では改めて我が友、ダヴィトが心から忠義を尽くそうという主人を得たことを祝して。ヤロスラヴァ姫が忠実にして勇猛なる騎士を得たことを祝して。この善き日に。乾杯」
「乾杯」
そうして祝宴は始まりました。
シャンパンというものを初めて口にします。口の中や喉でぱちぱちと泡が弾ける不思議な感触。
冷たく爽やかですが酒精が鼻腔をくすぐり、かっと熱くなったようにも思います。
「おいしい……」
そう呟くとフェダーク卿と目が合いました。
「酒は初めてですか?」
伯とヴィートさんがはっとした顔をなさいます。
わたくしは頷きました。
レドニーツェ国ではビールの生産が盛んで、通常、大体十歳くらいから少しずつ酒精の弱い色の薄いビールやホットワインなどから嗜むようになります。酒精の強い蒸留酒は大人にならないと飲めないとか。
幼い頃、兄や姉たちが少しずつ飲んで顔を赤くしていたのを思い出します。
ですがわたくしは八歳でここに幽閉されてしまいましたから。そのような経験はありませんものね。
「二杯目は果実水にして様子を見ましょう」
シェベスチアーンが言いました。
さて前菜のチーズとエリンギです。もにゅもにゅ、しゃきしゃきして美味しいです。酸味と、このほんの少しの量が食欲を増します。次のお皿が欲しくなるのですね。
「キャラウェイシードで香り付けしたローストポークです。付け合わせの酢キャベツと一緒にお召し上がりください」
茶色い肉の塊に白い酢キャベツが添えられています。ローストポークは普段の食事でも良く出るものですが、この香りは初めてですね。飴色の玉葱の甘味と、酢キャベツの酸味が肉の旨味と合わさってとても美味しい。
俵型のパンが置かれました。一緒に食べればもちろん美味しいのでしょう。フェダーク卿やヴィートさんはさっそく手を伸ばされました。
わたくしは……お腹がいっぱいになっちゃうのは困りますからね。やめておきましょう。
「スープは大蒜と根菜のコンソメスープを」
黄金のスープが湯気を上げてます。ああ、もう食べる前から美味しいと分かるわ。
皆さん祝宴というのに口数も少なく真剣に料理に向き合っています。
「どうっすか、フェダーク卿、皆さん」
イザークが厨房から顔を出しました。
みなが口々に彼を褒めます。
「ここでこんなに素晴らしいコース料理をいただけるとは思わなかったよ」
ノートラント伯が仰いました。
わたくしとは異なり、ちゃんとそういった晩餐などにも行かれるであろう伯爵がそう言われるのであればやはりイザークの腕前は素晴らしいものなのでしょう。
イザークは頭を下げます。
「伯から宴用に素晴らしい食材をいただいたおかげっすよ。次がメインなんでここで切り分けますね」
「おお、アレかね」
伯の言葉にイザークはにやりと笑みを浮かべました。
シェベスチアーンによって巨大な覆いに覆われた皿の載った台車が運ばれ、騒霊によってテーブルの中央に置かれます。
「生命力が強い魚であり、幸運の象徴でもある。縁起物なんでフェダーク卿の無事と活躍、幸運を願うには最適のものでしょう。普通は揚げ物にするのが一般的なんですが、立派なものだったんで姿を生かしてみました」
覆いが取られます。ふわりと芳醇な香りが放たれました。大皿には巨大な魚が横たわっていました。
「鯉の姿煮です。内臓抜いて軽く表面を焼いた後、オリーブ油と白葡萄酒で煮込みました」
イザークは簡単そうに言いますが、魚の周囲には沢山の香草、しかも明らかに何種類も組み合わせたものが浮いています。乾燥トマト、唐辛子、オリーブの実もです。
イザークは切り分けた身と煮汁を温められた取り皿の上に盛っていきます。
ナイフを入れればほろほろと抵抗なく切り分けられる身をフォークで口に運びます。美味しい!
「こいつは感服した」
伯爵が唸ります。
「鯉料理はあくまでも縁起物であって、決して美味いものという認識はなかったが……私が今まで食べていた鯉はなんだったというのだ」
イザークはへへっと笑いました。
「料理人冥利に尽きますね」