第34話
叙任式が終わりました。
フェダーク卿は多くの霊たちからわたくしのことをしっかりと護るようにと、ついでに可能ならこの国も護ってやってくれというようなことを口々に言われています。
そこにフランチェスカ女王の霊がやってきてわたくしに耳打ちしました。
「ヤロスラヴァ、貴女にこれを」
騒霊の力で浮いた古びた小箱がわたくしの手の中に。
「これを死出の旅路の導き、祝福の対価にお受け取りください」
小箱をちょっと開ければ、金貨と宝石の光が溢れました。
「こんなに……ですか?」
「まだまだこれは一部と思っていただければ。妾たちの感謝はこの程度で表せるものではありません。……いいからお受け取りなさい。これから貴女の騎士の給金を出すのですよ」
フランチェスカ女王に返そうと思いましたが、その言葉を聞いて動きが止まりました。そうです、わたくし一人であればお金もかかりませんが、フェダーク卿を雇う分のお金は稼がないといけません。
「それと貴女の身の回りのものを彼に買わせるのでしょう。ちゃんとドレスも買いなさいね。それはあなたの騎士のためでもあるのだから」
フランチェスカ女王はそう言いながらノートラント伯とフェダーク卿を手で示して姿を消しました。主人のわたくしが貧相な姿であれば、仕えるフェダーク卿まで舐められる。そう教えてくださったのです。
ノートラント伯爵は妙に疲れた様子で聖堂の長椅子に腰掛けておられました。
「ノートラント伯。見届け、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそこの……何だ。死者の国に迷い込むような貴重な体験をさせていただきました」
わたくしが礼をとれば彼も立ち上がって頭を下げようとしたので、座ったままで良いと押しとどめます。
「先ほど伯がお持ちいただいた食材を、使用人たちが料理をいたしております。ぜひお召し上がりいただければと」
イザークと、それとシェベスチアーンら何人かの霊が残って北の離宮で祝宴の準備をしてくれている筈です。
横にいたヴィートさんの表情が固まり、ノートラント伯が息を呑まれました。
「あー、それはやはり、死者の使用人である訳ですな」
「もちろんですわ」
カイェターンお爺さまや霊たちは食事は食べられぬから楽しんでいるようにというのでお別れです。
わたくしたち四人とヘドヴィカで北の離宮へと戻って扉を開けると、じゅうじゅうと肉の焼ける音とぴちぴちと油の跳ねる音が響いていました。
竈の上で鍋が振られ、ボウルをへらでかき混ぜる音も。
そして何より暴力的なまでの匂い!
ソースの塩気のある香り、フランベして飛んだ酒精の香り、果実を煮詰めているすこし酸っぱさのある甘い香り。わたくし一人の料理を温め直して味を整えるのとは本質的に違う、これぞ料理という雰囲気です。
「お帰りなさいませ、姫様。皆様。フェダーク卿、おめでとうございます」
シェベスチアーンが出迎え、腰を折りました。
「ただいま、シェベスチアーン。素敵な香りね」
「ええ、イザークめが数百年ぶりに全力を出すなどと嘯いておりますので。ですがどうやら腕は錆び付いていないようですな」
わたくしたちは桶に汲まれたぬるま湯と布で手を洗い、浄化の術式を使って身体を清めます。
そして食堂が綺麗に飾りつけられ、ぴかぴかに磨き上げられた銀器が並んでいるのを横目に奥の厨房を覗きました。
「すごい! イザークすごいわ!」
そこには無数の鍋とフライパン、包丁が踊っていました。騒霊により無数の器具を同時に操り調理しているのです。
「は? え?」
後ろで覗き込んだ伯が絶句しました。
イザークは手元で葱を細かく刻みながら、呑気な声を出します。
「あ、姫さんおかえり。もう並べちゃっていい感じ?」
「ええ、いいわ。イザーク、そんなに沢山同時に料理できたの?」
彼は笑みを浮かべました。
「竈の王の才は死したる時に神に返したが、料理の腕前が失われたわけじゃあないさ。死霊に時間は無限にあったんでね。いつか包丁を握るときにかつてできなかったことができるようになってなきゃ面白くないだろ」
「素敵よ、イザーク。食堂で待ってるわ」
わたくしたちはテーブルにつきます。
「えっと……僕もここに座っていいんですか?」
ヴィートさんは遠慮されたけどもちろん良いに決まってるわ!
三人で食べるより四人で食べた方が美味しいもの。
ヘドヴィカとシェベスチアーンが皿と飲み物を給仕します。
「まずは食前酒の薬草酒でございます。若いお二人には酒精が強うございますので別に発泡酒をどうぞ」
フェダーク卿とノートラント伯の硝子の器には緑がかった淡い金色の、わたくしとヴィートさんの器には泡立つ淡い金色の液体が注がれました。
「前菜はチーズのマリネ、付け合わせはエリンギのピクルスでございます」
目の前にはオイルと香辛料のかかった四角いチーズがころんとお皿に転がり、その脇にはカットされたキノコが添えられていました。