第32話
わたくしは手提げ燈をヴィートさんに持ってもらい、フェダーク卿とノートラント伯爵と共に小振りな建物の前に立ちました。彼らには見えませんがヘドヴィカの霊も一緒です。
イザークは屋敷に残り、ノートラント伯の従者の方が持ってきた食材を調理すると言っていました。
「ここは聖堂、ですか?」
ヴィートさんが誰ともなく呟いたのに、わたくしは首を横に振ります。
「いいえ、ここは入口に過ぎません。目的地は、この先です」
扉を開けるとそこから続く、暗く冷たい石造りの下り坂を降りて進んでいきます。今まではこのあたりにも霊が多く出ていたのですが、先日わたくしが解放と使役の術を使ったからか出なくなりました。
「これはなかなかくるものがあるね……」
ノートラント伯が仰います。フェダーク卿は動じた様子を見せませんが、ヴィートさんの腰は明らかに引けています。
ですが、石に反響する冷たい足音や、手提げ燈の火が揺れるたびに、独自の意志を持つかのように揺らめく影は、心胆を寒からしめるものでしょう。わたくしは……慣れてしまいましたが。
通路が終わり、封印された扉の前に立って言います。
「この先が今は使われていない、王家の秘された霊廟です。みなさまよろしいですか?」
みなが頷かれるのを見て、わたくしは扉の中央に嵌められた宝玉に手を翳しました。
「偉大なる開祖ルドヴィークの末裔たるヤロスラヴァ・レドニーツェの名において命ずる。開け、死の門」
重々しい音と共に扉は開かれ、暗闇が広がります。
「おお……」
上がる感嘆の声。
わたくしたちが霊廟に足を踏み入れた、その刹那。
空中から逆さ吊りの白骨死体が何体も落ちてきました。
そのうちの一体が歯を飛ばしながら大声で叫びます。
「うわぁ!」
「ひゃあぁぁぁ!」
「ぎゃあぁっ!」
上がる二つの悲鳴。
ヴィートさんが取り落とした洋燈は地面より生えた白骨の腕が受け止めます。
「お爺さま……やると思いましたわ」
頭蓋骨が一つ正面に浮かび上がります。
「うひょひょひょひょ! なんじゃ、二人が驚かなかったのは残念じゃが、残り二人がとても良い反応を見せてくれたから良しとするかの!」
そう言えばフェダーク卿から反応がありませんでしたわ。
ちらりと見上げれば、呆れたような表情を浮かべられました。
「姫様が悪戯をしかけたそうなお顔をなさっていらしたので。心構えができていただけです」
「そ、そんなこと、ないデスわよ?」
お爺さまは飛んでいった歯を拾いながら笑います。
「ひょひょ、悪戯をするのは儂じゃったがな。スラヴァちゃんも期待してたということじゃろう!」
わたくしは目を逸らします。ヘドヴィカが溜息を吐きました。
「す、す、スケルトン?」
「ふはははは、我こそは屍王カイェターンぞ!」
腰の抜けたヴィートさんとノートラント伯に向けてお爺さまが、ばさりとローブを翻してご機嫌に名乗りを上げます。
「り、屍王!?」
「大魔導カイェターン!?」
はいはい、お爺さまに付き合ってると時間がいくらあっても足りませんわ。わたくしはフェダーク卿の上衣の裾を引いて奥へと進みます。
霊廟の最奥へ。そこには霊たちを鎮魂するための聖堂があるのです。
「これは立派な……」
正面には岩を削って作られた神像、それ以外にも数多くの聖人像が並びます。
「実はここ、千年前は岩塩坑だったようなのです。塩の多い部分を切り出した残りをこうして聖堂や霊廟として使用したのですね」
「左様、それ故にこの地を我らは都としたのよ。どれ、久しぶりに灯りを灯そうぞ。……魔術拡大、点火」
追いついてきたお爺さまが骨の指を天井へと向けると無数の火花が散りました。詠唱に一言加えるだけで魔術を増幅させ、範囲に使用したのです。
火花は壁際に、そして吊り燭台に設置された蝋燭に火を付けます。
聖堂の全体が照らされます。
茶色から灰色の岩の地面には古式の紋様がモザイクタイルのように。壁面には神話の場面と王国の建国記の場面の絵が並んでいますが、それは全て彫刻によるものです。
天井からは燭台が三基吊るされていますが、それらは塩の結晶。純白の石が蝋燭の灯りに透けながらも照り返し、白く柔らかい光がわたくしたちに降り注ぎました。
「素敵でしょ?」
「なんと美しい場を用意して下さったのか。感謝いたします」
わたくしはフェダーク卿から手を離すと、段差を上がり、聖堂の神像の前に。そして魔力を解放します。
「具現化」
聖堂いっぱいに古代の王や妃たちが、それに仕えた者たちの姿が現れます。彼らは皆、穏やかな微笑を浮かべ、わたくしとフェダーク卿を見つめています。
伯爵たちはぎょっとして居心地悪そうにしながらも前へ。見届け人としてフェダーク卿の側へとやってこられました。
いつの間にか神官のような服をお爺さまはお召しになっていました。
金糸で縁取られた青き法衣から髑髏と白骨の手が覗いています。
「似合うかの?」
「お似合いですが、浄化されないか心配です」
お爺さまは咳払いのような声を一つ出すと、普段とは違う朗々とした声を放たれました。
「神よ、遍く世界の全ての民に、その御力の一部を貸与してくださる慈悲深き神よ」