第29話
覗いていたのがバレてしまっては仕方ないので、わたくしはとてとてと前へ出ます。
伯爵とフェダーク卿は少し睨み合い押し合っておられましたが、観念したようにフェダーク卿が横へと移動され、伯爵が前に歩み出て、右手を胸に、左手を横へと伸ばして膝を折られる紳士の礼をとられました。
「初めまして。ノートラント伯、ラドスラフ・カシュパルと申します。お会いできて光栄です、殿下」
「ヤロスラヴァ・レドニーツェです。よろしくお願いします、ノートラント伯爵」
わたくしも礼を返します。
ノートラント伯がわたくしの手を取ろうとする動きを取られましたが、その機先を制するようにフェダーク卿がわたくしと彼との間に立ちました。
「さあ、挨拶も済んだらとっとと帰るがいい」
伯は肩を竦めます。
「早速護衛騎士気取りかい?」
「伯のような巨大な虫はさっさと追い払わねばな」
何か近づけたくない理由がおありなのでしょうか?
「まあ、君の懸念はわからなくもないがね! そもそも決闘して王城に行ってここにきたと思えば、まだダヴィトは殿下の騎士ではないのでは?」
「む……」
「ふふ、私を追い払う権利をまだ有していないだろう!」
「むむ……」
わたくしは声を掛けます。
「叙任式をお急ぎですか?」
伯は手を叩きました。
「おお、叙任式! それはめでたい! もちろん親愛なるダヴィト君が殿下の騎士となるというなら、彼の仮の主人だった私も式典に参加すべきだよね!」
「ええ、それはぜひお越しください」
フェダーク卿ががしがしと頭を掻き、胡散臭げな半眼でノートラント伯を見つめました。
伯は小声でフェダーク卿に仰います。
「わかってるだろうが、騎士か貴族の立ち合いがいるぞ」
フェダーク卿はため息を吐きます。
「そうだな。ありがとうと言っておくが……」
「おくが……?」
「叙任式に参加すること、後悔するぞ」
ちょっと待っててくれとフェダーク卿は伯に仰って、エントランスホールの端にわたくしを連れて行きます。
声を顰めてお話しです。
「実際、叙任式をしていただけるのはありがたく、またとても名誉なことですが、宜しいので?」
「もちろんですわ」
「その……場所は王家の霊廟で?」
わたくしは頷きます。
「この離宮の少し北に今は使われていない王家の古き霊廟がありますの。そこの祭壇は立派なものですし、どちらにしろ、その……この離宮にはフェダーク卿を雇うための資金や差し上げられるものがありませんの。一度お越しいただいて、見ていただければと」
「そこは俺やラド、ノートラント伯が入っても良いものですか?」
足元を鼠がととと、と走り寄ってきました。
「大丈夫じゃ。財を盗み出すような不埒な真似などせんじゃろう?」
「無論です。俺も、彼も」
フェダーク卿が頷かれました。
「ちと、渡せるものなど今夜見繕っておくでな。叙任式は明日の午前中でどうじゃ? どちらにしろ出兵もある。そんなに時間はないのだろう?」
「助かります」
そういうことになりました。
わたくしとフェダーク卿は伯の元に戻ります。
「という訳で叙任式は明日の午前中だ。朝また来るように」
「分かった。準備するものは?」
「俺の私物を持ってきてくれるか?」
「構わないが……ダヴィトはどうするんだ」
「俺はここの離宮の前で寝る」
「ええっ!?」
わたくしは思わず声を上げます。
「なぜ外で寝るんですか?」
「殿下の騎士でもない俺が、中で眠らせていただくわけにはいきません。少なくとも今日一晩は俺が勝手に押しかけて護衛しているというていでなくては」
「そもそも、今日から屋敷を護衛する必要があるんですか……?」
「ある」
「あります」
二人の声が重なりました。
「陛下やご家族がヤロスラヴァ殿下を城内に戻す可能性がある。それは殿下にとって本来あるべき姿ですが、意に沿わぬ形では困る」
とフェダーク卿。これは幽閉がより厳しくなる、例えば尖塔や地下といった牢に入れられる可能性のお話ですわね。
次いでノートラント伯が仰います。
「決闘の場で殿下が存命であり、王家に幽閉されているとこいつが言い出しました。殿下は幼い頃からその美しさと聡明さで知られていました。私も実のところ一目でもお目に掛かりたいとここにやってきましたが、そういった者が押し寄せたり、場合によっては短絡的に攫おうとする不埒者も出るやもしれません。護衛は必要です」
ふーむ、誰もわたくしのことを見てくれない日々が続いていましたので、ぴんとはきません。ですが遠い昔の記憶では確かにわたくしは愛されていた。
そういうこともあるのかもしれません。
わたくしは頭を下げました。
「フェダーク卿、護衛よろしくお願いいたします」
「はっ、必ずや」