第27話
その日の夕方、なんとフェダーク卿が北の離宮にいらしてくださったのです!
わたくしはヘドヴィカよりそう聞くと、つい玄関まで早足で歩いて、エントランスホールでお出迎えしてしまいました。
「いらっしゃいませ、フェダーク卿!」
「ええ」
わたくしはその場でスカートを摘み、膝を折って、身体を前に。深く淑女の礼をとります。
「おめでとうございます、フェダーク卿。決闘での勝利に寿ぎを」
わたくしが頭を上げると、彼は灰色の目をぱしぱしと瞬かれました。
「ありがとうございます。既に決闘の結果をご存じでしたか」
「ふふ、使用人の霊に観に行って貰いましたの」
「……なるほど」
フェダーク卿は頷くと、頭を下げられました。
「謝罪を。断りなく決闘の後、姫様の名を出してしまいました」
わたくしは首を振ります。
「ええ、知っているわ。でも謝らないで。き、貴婦人の誉れですもの。わたくし、とっても嬉しかったのよ」
わたくしはそう言って彼に頭を上げるように促します。
頭を上げられた彼は眉を寄せ、口を何度か開いては閉じると言い出しづらそうな動きをし、言葉が放たれました。
「お願いしたいことが御座います」
「言ってみて」
わたくしがそう言うと、彼は徐にその場に跪かれました。
「ヤロスラヴァ・レドニーツェ殿下。御前を俺の遍歴の旅、その終焉の地とさせて頂きたい」
わたくしは息を呑みます。
それは……! その言葉の意味は!
彼の灰色の瞳が伏せられました。
「俺は……御身の前に屍山血河を築くことによってしか、御身を護ることのできぬ、忌まれし加護の担い手です。ただ、黒騎士の名は僅かにでも抑止力となりましょう」
わたくしも床に膝をつき、彼の顔を覗き込みました。
「フェダーク卿、貴方はわたくしの騎士となると申し出てくださいますの?」
「ええ、本来であれば俺のような礼儀知らずの田舎者が殿下の騎士になりたいなどと、ありえぬ申し出でしょうが」
確かに、これでもわたくしは国王の娘、王女です。それに侍る騎士といえば近衛の精鋭、それは腕前というよりは見目や出自を重視したものが就くのが当然です。
しかし……。
「わたくしは見捨てられた王女、騎士も、侍女も、使用人も。わたくしに仕えようとする生者はおりません。逆に、わたくしの護衛などに人生を捧げるのは黒騎士卿にとって役不足というものでしょう」
「俺では相応しくないと仰るなら騎士でなくとも良い、ただの門番でも構わない」
「いえっ! 光栄です。ですがわたくしでは……」
言い淀んでしまいます。
「お、お給金もお払い出来ませんし……」
うう、情けないですわ。頬が赤く染まるのを感じます。しかし卿は優しくわたくしを見つめて言ってくださいました。
「金には困っていませんよ。貴女にお仕えすることを申し出ていてあれですが、これから戦で稼いできますし」
「そ、そういう問題ではないのです! 忠義と奉公にはそれ相応の対価を払うのが主人の務めなのです」
その時、足元から声が響きました。
「大丈夫じゃよ、スラヴァちゃん」
カイェターンお爺さまの使い魔である鼠さんの骨です。
「スラヴァちゃんの横に男が立つのは気に食わんが……こら! やめよ!」
フェダーク卿が鼠さんを摘み上げました。
「この無礼な鼠は……?」
鼠さんは鋼の手甲の中でじたばたと暴れますが、もちろんフェダーク卿の手はびくともしません。
「あ、あの……わたくしのお爺さまです……」
「これが?」
わたくしはカイェターンお爺さまについて説明いたします。
フェダーク卿は地面にそっと鼠を放しました。
「やれやれ……酷い目にあったわい……」
「カイェターンといえば、歴史的な英雄、物語の主人公ではないですか。まさかこんなところで地面を這ってるとは思いませんでしたよ」
「まあのう……否定もできんわい。ともあれ、受けよヤロスラヴァ」
「しかしお金が」
「金ならある。霊廟に腐るほどな」
「それは! 死したる王たちの副葬品ですわ。わたくしが使って良いものではありません!」
そう言うと、部屋の中に霧が満ちました。フェダーク卿が警戒の体勢を取ります。霊たちが彼にも見えるほどまで、具現化に近い状態となっているのです。
「なるほど、これが霊王の力……」
「霊王よ、我らが末裔よ」
落ち着いた女性の声が響きました。
霧の中から歩み出たのは、宝冠を被り、王笏を手にした女性の姿。レドニーツェの歴史で唯一の女王、フランチェシュカ女王の霊です。
「フランチェシュカ様」
彼女は座り込むわたくしに手を差し出しました。
「妾は、いや妾たちは貴女に感謝しているのですよ。霊王ヤロスラヴァ」
「感謝……」
「貴女の大いなる力により祝福を頂いたことで、妾の配偶者は死の河を渡り、絶望の門を越え、輪廻へと安らかに旅立つことができたのです。これがどれほどの恩であることか」
背後の霧たちも肯定の意を示します。ああ、それを喜んでいただけたのですね。
「改めて感謝を。そして妾たちはその対価を支払っておりませぬ」
「対価など!」
彼女は首を横に振りました。
「先ほど貴女も言っていたことですよ。相応の対価を」
足元のお爺さまが言います。
「な、お金はあるじゃろう?」