第26話
「まずは理由からですが、女官たちに乞われたからで御座います」
「は?」
「北の離宮に悪魔が出るので退治してほしいと」
「何を申しておる?」
陛下が眉根を寄せる。
「いえ、言葉通りの意味で御座います。先だって登城した際に、そう呼び止められましたので」
陛下の返答がないので言葉を続ける。
「それと理由はもう一つ。衛兵も碌に立てておらぬからです。俺が離宮に辿り着くまでの間、誰何する者が一人もおりませんでしたから」
「そう……であったか……?」
陛下はどこか考え込むような、惚けたような声を発する。
「オンドジェイ陛下、貴方はヤロスラヴァ姫を放置し、手を下すことなく殺そうとしていらしたのか。そして忘却しておられたのか」
「無礼であるぞ!」
壁際に控える近侍の者が声を荒げた。
「無礼ぃ……?」
自分の喉から発せられたとは思えぬほど低い声が出る。
武器を携帯してはいない。だがそもそも殺戮者の加護は武器が無くとも殺意か、それに準じる強き感情があれば起動する。
近侍のものが泡を吹いて床に倒れた。
そう、俺は怒りを覚えているのだ。
近衛の兵が手を剣の柄に置く。だが俺が視線を向ければ剣を抜くことは叶わず、その動きは止まる。
「王の姫を悪魔と呼ぶ女官、姫のおわす離宮に近づくものを誰何もせぬ兵、それらと俺、どちらが無礼であるのだ!」
俺は拳でテーブルを叩く。その音で別の近侍が倒れた。
「俺が離宮へ行ったという連絡が上に行かぬ体制、そもそも何年も家族たる姫を放置している王族はなんだ!」
俺は陛下を睨む。
陛下は口髭を震わす。
「ヤロスラヴァ……」
「ええ、貴方の娘です。よもや忘れていたとは言いますまいな?」
「まて、あの娘は今何歳だ?」
俺は流石に反応の不自然さに首を傾げる。
「御歳十六であると仰っていました」
「ばかな!」
陛下が叫び、俺は首を振る。
「食事が満足に与えられておらぬのと、淑女教育をきちんと受けてはいらっしゃらないでしょうから少々幼く感じはしましたが、それでもその程度の年齢に俺の目にも映りました」
「十……ではないのか」
「惚けておられるのか健忘症なのか。王として父として相応しき言葉とは思えませんな」
陛下は背もたれに背中を預け、天を仰がれた。
「いや、その通りだ。彼女の生年は覚えている。確かに十六だ。今思い出した。余は忘れさせられていたのだ。妻の……王妃の持つ加護に」
「ほう?」
「これは公の場では秘してくれ。彼女の賜った加護は忘却だ」
精神操作系の加護か。忘却とは神が辛い記憶を封じたり薄れさせる慈愛の顕れと言われる。教会にはそのような務めの神職もいるが、間諜などに向くとされる加護の一種である。
「彼女は、八年前に愛した娘が霊王を賜ったショックで暫く臥せっていた。それは回復したが、忘却していったということか。恐らくは彼女が無意識のうちに加護を発露させたのかと思うが、余を含む王族やそれに接することの多い近侍や女官たちほど、ヤロスラヴァのことを忘れさせられていた」
「王妃殿下の為人を知らない俺には無意識なのか、善意によるものかあるいは悪意か分かりかねます。ただ、陛下が本当に忘れていたのだろうということはまあ真でしょう」
俺は鼻で笑い、陛下は自嘲の笑みを浮かべる。
「感謝しよう。だがなぜだ。余が嘘をついているとは思わぬのか」
「俺が為政者であれば霊王を碌に監視もせずに冷遇などしない。ただそれだけのことです」
「待て、冷遇と言ってもそもそも幽閉には理由がある」
「ええ、姫からお話は伺いました。ツォレルンの皇子との婚約とその破棄に関する話でしょう。それを遵守するなら対外的に冷遇しているように見せるのは必要です。ですが決して放置してはいけなかった」
「……うむ」
俺は内心で嘆息する。分かっていない。陛下が愚王という話は聞いたことがないが、忘却の効果が残っているということか。
「八年間、そう八年もの長きに渡って、どうして使用人一人いないヤロスラヴァ姫が生活できたと思いますか。どうして正気を保っていられると思いますか」
「まさか……」
「彼女は立派な霊王ですよ。陛下はそれを責めはしますまいな?」
俺は立ち上がった。
「待て、話は終わっておらん」
「何か」
「ヤロスラヴァは、魔王なのか」
「霊王の力を十全に扱うことが魔王であることとは一致しますまい」
「彼女は……余らを恨んでいるか」
「それは存じ上げません。俺が感じた彼女は泥濘より咲く蓮が如くに、気高き魂と清らかな性根の持ち主ですが、そこまで深く御心に立ち入れた訳ではありませんから」
なぜならたった数日会っただけだからな。その程度の俺が最も今の彼女に近しい生者であるというのが問題なのだ。
俺は踵を返す。
「何処へ行く」
「北の離宮の門前を護らせていただこうと思います。狼藉者が来ないとも限りませんので。では、御前失礼いたします」





