第21話
翌日の朝は雲ひとつない晴天であった。秋も深まってきた頃だが、季節が戻り、昼には少々暑くなりそうな程に。
俺はラドの従者の手を借りて鎧を着込んでいく。
そばの椅子にはラドが座っていて、俺の支度を眺めている。
「まさかいきなり決闘を吹っかけられて帰ってくるとはな……」
彼は肘置きに凭れるようにしながら嘆息する。
「ああ。いつものことだ」
「しかも昨日の今日で決闘ときた」
「早い方が都合が良い」
「そういうものか?」
俺は頷く。
「面倒ごとは早めに終わらせるに限る。戦の準備もあるというのに」
「それはそうだ」
従者が胴を留め金で固定している間、指を組み、関節を揉む。肩を竦めては落とし、首を振る。
「緊張しているのか?」
「いや。身体を動かしやすくしているだけだ。……見にくるのか?」
ラドは驚いたのか肘置きからがくりと身を落とした。
「おいおい、当然だろう」
「そうか。……見応えはないぞ」
「なぜだ」
「一瞬で終わらせる」
「これでも一応調べてきたんだがな。エドムント・ボハーチェク。三十手前で、王都近郊の若手の騎士の中では随一と言われている。喧嘩っ早いのでも有名で、近衛に入れなかったのはその性格のためで、単純な実力なら近衛の上位ともやり合えると」
ラドが王都の女性たちと浮名を流すのは情報収集の為だというのは知っている。どうしても辺境にいると、王都には疎くなる。短期間で沢山の噂を手に入れるのはそういった側面からの情報収集も大切なのだろう。
無論、彼自身が女好きであるからでもあるが。
「加護は?」
「加護は頑健系の上位のもので、鉄塊の身体だとか。斬られた剣の方が折れたという話だ」
なるほど。騎士や兵士といった武人として、最良の加護の一つだろう。
だがまあ、俺には関係がない。正確には俺の有する加護には関係ないか。殺戮者に防御は役に立たぬのだ。
従者の少年、ヴィートといったか。彼が言う。
「ご歓談中失礼します。フェダーク様。お預かりした布ですが、腕に回すには少々長さが足りず……」
「む……」
昨日、ヤロスラヴァ姫から頂いたドレスの袖である。
かなり長めに切り取ってくださったが、幼き姫の細腕のものを俺の腕、それも甲冑の上に巻くのは無理か。
俺は兜の上部を叩く。
「兜の飾りにしてもらえるか?」
「房飾りみたいにつけて貰えるよう、すぐに針子に頼んできますね」
「ああ」
ヴィートは兜と布を持って部屋を出ようとし、ラドが止める。
「ねえ、その布かなり歴史を感じさせるんだけどさ。めちゃくちゃ上等なやつじゃない?」
絹の手触りは滑らか、それにつけられた透かし編みは極めて細いリネンによる精緻な月桂樹の意匠。
すらりと伸びた葉の根元に花の咲く、栄光と勝利を示すものだ。
「そうだろうな」
ラドが覗き込むように身を乗り出した。
「どうしたのさそれ!」
「貴婦人より賜った布だ」
この場合の貴婦人とは本来、騎士が仕える主人の妻を示す言葉だ。騎士の理想的な姿とは、そのような貴婦人より導きを得て、代わりに精神的な愛、献身を捧げるもの。
遍歴の身である俺は主人を持たぬ故に、導きの貴婦人も存在しえぬ。
「……ってそれ幻の末姫、ヤロスラヴァ殿下の袖なの!?」
「うむ」
ヤロスラヴァ姫は貴婦人というには幼くあるが、誰よりも忌まれる加護を持ち、あのような境遇でも歪まぬその精神は、誰より気高く高貴であると言えよう。
「ちょっと、見せてよ!」
ラドがヴィートに手を伸ばす。俺はその手を払った。
「だめだ」
「なんで!」
「なんか汚れる気がする」
ヴィートは笑って部屋を出て行った。
ラドは椅子に真っ直ぐ座り直して俺の顔を覗き込む。
「ヤロスラヴァ姫とは良い関係なのか」
「まだ三度会っただけだ。だが、幽閉されているからな。久しぶりに会う人間である俺に興味を持ち、親しくさせていただいている」
「普通は幽閉されている貴人に会うことはできない。なぜお前は簡単に会えた?」
「使用人や見張りの悪意によるものだな。殺戮者たる俺が彼女を害すと思ったのだろう」
ラドは呪詛の言葉を吐いた。
浮気者ではあるが、女性は大切にする男だからな。
俺は剣を腰に差す。
「彼女のために戦うのか?」
「いや、この茶番で何が変わるとも思わんが……」
しかしラドはそれを否定する。
「ばっかお前、あの黒騎士フェダーク卿の戦いだぞ? それがお前女性の布つけて戦うんだぞ? しかもそれがあの幻の末姫ヤロスラヴァ殿下から賜ったものだぞ? どんなに盛り上がらない決闘内容だろうと、クソ面白いに決まってるじゃないか。お前には、変える力がある」
「あの黒騎士とはなんだ」
ラドは溜息を吐く。
「ダヴィトお前ね、確かに西の辺境じゃあ忌み嫌われていたりしたのかもしれないし、そりゃあこっちだってお前の悪評を言うやつはいるさ。でも、単純に若き最強の騎士、黒騎士卿に憧れる男も女も多いんだよ」
「そういうものか」
「そういうものです。俺が女に人気あるのは勿論俺が格好良いからだが、フェダーク卿の名前で釣れる子も多いんだよ」
思わず眉を顰める。
「あまり人をダシに使うなよ」
「使えるものはなんでも使うんだよ」
「まあ、どのみち王都で俺の良い評判があったとしても今日限りだろうさ」
「なんでだよ」
「さっきも言ったが、一瞬で終わるし、酷い結果になるからな」
ラドは俺の加護を改めて思い出したのか、天を仰いだ。
「ただまあ、良かれ悪しかれ、不器用なりに一石は投じてみようか」





