第17話
フェダーク卿がお帰りになった後、わたくしはシェベスチアーンに問います。先ほどの反応と言葉はどういう意味であったのかと。
「私はエーガーランド辺境伯家の出身だったのでございます。遥か昔のことでありますが」
「それは……」
王家に仕える執事であれば、侯爵や伯爵家出身の非継子が多い故にそれも当然と言えるでしょうか。
彼はゆるりと首を横に振りました。
「土地を奪った奪られたは戦乱の世のならいで御座います。フェダーク卿の仰りようであればエーガーランドが陥落したのは最近のことでございましょう」
確かにフェダーク卿が御生まれになったころはまだエーガーランド辺境伯領は我が国のものであった口振りでした。
ツォレルン帝国に支配されたのがここ数年のことか十年くらい前のことなのかまでは分かりませんが、どちらにしろシェベスチアーンにとっては最近でしょう。彼は……もう二百歳くらいになるのでしょうか?
「レドニーツェは決して大きな国ではありませんが、神の加護を強く受けたものが多く、また周囲を山に囲まれていますからな。戦乱の続く王国群にあって、これだけ長くひとつところの地を守り続けていられたのです」
わたくしはこくこくと頷きます。
それはこの離宮の蔵書にもあった王国史や地理の本にも記されていたことですし、霊廟にてご先祖さまたちから学んだことでもあります。
王や妃であった彼らの知識は膨大なものです。ただ古いだけで。
王国の地図を思い起こしながらわたくしは尋ねます
「でもエーガーランドを奪られたというのは、国防上良くないのではないかしら」
「は、ご賢察の通りです。彼の地はツォレルン国との国境であり、国土防衛上の要衝でございます。そこから王都までの間にはボーヘムの緩やかな丘陵が広がるのみ」
つまり、この後ツォレルン帝国がこちらに攻めてくる可能性が高いということですわね。
…………
「ツォレルン帝国がエーガーラントに軍を招集している」
レドニーツェ王国、謁見の間。玉座に座る国王オンドジェイ、その斜め手前に隣に立つ宰相がそう言葉を発した。
謁見の間に居並ぶのは王命により招集された、王国の東方に位置する諸侯に仕える騎士や俺のような遍歴の騎士たち。
およそ百名はいようか。広い謁見の間が鍛え上げられた肉体の男たちにより埋め尽くされている。
「卿らには護国のため……」
宰相の言葉が続く。
要は帝国が西より攻めてくるから、そちらに騎士として赴くよう頼んでいるのである。
王が直接仕えているわけではない騎士に命じることはできないからな。勿論、実質的には強制力があるが。
俺は平伏しつつちらりと遠くに座す王の顔を覗き見る。
王冠の下には色の落ち始めた金髪。青い瞳。あれがヤロスラヴァ姫の父であり、彼女を冷遇している男かと思う。
なるほど、顔立ちにどことなく似たところもある。若い頃はさぞ美男だったのであろうが、今は老いと疲労を感じさせる。姫は王が四十過ぎての末子であるしな。
宰相の話が終わると、王は立ちあがって自ら言葉を発せられた。
「余は卿らの奮戦を期待する。それに応じ、望む褒美を取らせようではないか」
「応!」
騎士たちが唱和する。
そうして陛下が謁見の間から去るのが式の次第であっただろう。
しかしそれは俺の背後より響く一つの声により遮られた。
「陛下に申し上げたき儀がございます!」
どこぞの騎士が声を上げたのだ。
宰相閣下の顔が一瞬不快げに歪む。
「……申してみよ」
陛下が仰る。
無礼な行為である。無礼であるが、騎士たちは貴族とは違う。ここで度量を見せねば彼らは従わぬ。そういうものだ。
「勝利した時に褒美は要りませぬ。ですが出陣前に黒騎士フェダーク卿との決闘を御前にて行わせていただきたい!」
後ろに顔を向ければ、立ち上がった騎士が血気盛んな瞳でぎろりとこちらを睨む。誰だかは知らん。
素知らぬ顔をしていると、宰相閣下より声がかけられた。
「フェダーク卿」
「は」
「そう申すものがいるが」
「失礼」
俺は立ち上がると騎士たちを見渡す。
黒騎士である俺は主人なき遍歴の身なれど、騎士たちの筆頭として玉座に最も近い側にいたのだ。
「騎士よ。名は何と」
「ボハーチェクのエドムント」
ボハーチェク、そう名乗る彼の年の頃は俺と同じほどに見える。俺が黒騎士を名乗れるなら自分にも勝ち目はある。そう考えているのだろう。
だが彼とは面識がない。恐らくレドニーツェ中央の騎士家の名だ。騎士としての遍歴は強者や魔族、魔獣との戦いを求めてのもの。王国中央部にあまり立ち寄らなかったのだ。
「ではボハーチェク卿。黒騎士とは何か、その掟は何か知っているか」
「個人の武勇で最強である騎士がただ一人黒騎士を名乗ることができる。黒騎士を名乗ることが出来るのは黒騎士を倒した者だけである。黒騎士は挑まれた戦いを避けてはならない」
「足りんな」
俺はそう返した。