第14話
わたくしの前でフェダーク卿が恭しく跪かれました。
昨日も彼は騎士の礼をしてくださいましたが、それよりもさらに心の篭った礼であるように感じます。
あ、あれ。何か思っていた展開とは違いますよ?
もっとこうびっくりしているはずだったのですが。
この後も悪魔がいるような怪奇現象を起こしてもらおうとヘドヴィカやシェベスチアーンたちには待機して貰ってますのに。
わたくしが慌ててきょろきょろと視線を彷徨わせると、部屋の隅で彼女たちが満足そうな表情を浮かべてうんうんと頷いています。
あの動き、知っていますよ、後方援者面ってやつですわね!
新人時代から見ている役者の歌劇を天井桟敷席とかで腕を組んで観劇するという平民の作法って書いてありました。
ということは、わたくしにはよく分かりませんが良い流れということですわね? わたくしはそっと右手を差し出します。
フェダーク卿は驚いたようにわたくしを見上げます。灰色の瞳には熱が籠り、わたくしの真意を問うように見据えましたが、すぐに伏せられました。
彼は硝子細工でも扱うような慎重な手つきでわたくしの手を取ります。そしてそこに顔を寄せました。
手の甲に唇が触れるか触れないかという接吻。
それはまるで古い騎士道物語のように。
「お掛けなさい。フェダーク卿」
「はっ」
二人、ソファーに座り向かい合います。
「良くお越しくださいました」
「ヤロスラヴァ姫の御召しとあれば直ちに」
昨日の帰り際は来る気がなさそうだったのに、どういった気の変わりようかしら?
背後からそっとヘドヴィカが近寄り耳打ちします。
「姫様の威厳に感激されているのですわ」
……本当かしら? わたくしとしては首の辺りが煩い、古い意匠のドレスを着てきただけなんだけど。
フェダーク卿の視線が彷徨います。わたくしの斜め後ろ、ヘドヴィカのいる辺りへ。彼には霊である彼女の姿は見えていないはずです。何か感じるものがあるのでしょうか。それともわたくしの表情や視線を追ったのでしょうか。
「ヤロスラヴァ姫、この屋敷は……いや、貴女は一体……」
わたくしは精一杯の威厳を込めて卿を見つめて言います。
「この屋敷には悪魔がいます」
彼は首肯しました。
「その悪魔は姫の御味方ですな」
びくぅっと身体が震えます。
どどどどど、どうしましょう。一瞬でバレましたわ!?
「う、はい。……なぜ分かりましたか?」
「確かに今日この屋敷には、姿は見えずとも尋常ではない気配を感じます。怪奇現象も体験しました。しかし殿下や俺を害しようという意図は感じられず、そもそも昨日は何もなかったのです。その悪魔とやらが貴女の管理の下にあると考えるのが自然でしょう」
た、確かに。
思わずわたくしは頷きます。
「で、ですが実は悪魔ではないのです!」
「まあそうでしょうな」
フェダーク卿は当然かのように頷かれます。
そちらもバレてますか! 何でですか!
「王宮には反魔の結界が張られていますので」
何……ですと……!
わたくしは肩を落とし、術式を詠唱します。
「汝ヘドヴィカ。我が魔素を糧に、半刻のあいだ幽世より現世へ一歩歩みを進めよ。具現化」
部屋の中に白い霧のようなものが発生し、それは次第にひとところに凝り、濃くなっていきます。そして薄らと透けた女性の姿をとった……筈です。
いえ、わたくしは常に霊視覚で見えているので。ただ、彼女の姿はわたくしの目にもくっきりと見えるようになりましたし、フェダーク卿もそれをはっきりと見ています。
「はじめまして。ご機嫌よう。黒騎士フェダーク」
ヘドヴィカが淑女の礼をとり、再び壁際へと控えました。
卿の眉がぴくりと上がり、目が僅かに開かれます。
やりました! 驚かせましたよ! ……そうじゃない。それが目的ではないのです。
「……死者の霊……ですか?」
「ええ」
わたくしは僅かに顎を引きます。
「フェダーク卿、嘘をついて卿を再びここに招いたことを謝罪しますわ」
「いえ、何も問題ありません」
彼はゆるりと首を横に振りながらそうわたくしを許してくださり、そして灰色の瞳でわたくしをじっと見つめて言葉を続けられました。
「して、殿下。俺は誰を斬れば良いのでしょうや?」
物騒! この騎士様物騒ですわ!
「だ、誰も斬らなくて良いです!」
「おや、殿下をここで虐げている使用人や兵士などを斬れという訳ではありませんので?」
心底不思議そうに尋ねられました。
「違います」
「殿下をここに幽閉することを命じた者を斬れとなると、なかなかの難事であるやもしれません」
「ちーがーいーまーすー」
彼は手を顎に当て、考えられます。
「しかし、俺にできることなど荒事くらいしかありませんが」
わたくしは笑みを浮かべて首を横に振ります。
「こうして話してくれているだけで、わたくしは嬉しいのです」
フェダーク卿はぷいっと目を背けました。耳の先が赤く染まっています。