ヒロインの選択
呆然としているうちに時が過ぎ、屋敷に帰らなければいけない頃合いになっていた。
「残念ですわ、アーリア様。またぜひお話しましょうね」
広い庭に面した回廊を並んで馬車に向かいながら、エマは愛らしく微笑んだ。中の人が、あんなアグレッシブな乙女ゲープレイヤーだとは信じられない。
わたしはショック状態が続いていて、上手く返事を返すことができないでいた。
そこに小走りでやってきたのは、なんとセドリックだった。
「アーリア!」
「セドリック様……?」
セドリックは上がった息を整えてから、少し他人行儀な顔でにこりと笑った。
いつもはどこで会っても全開の笑顔なのに、隣にエマがいるからだろうか。……わたしの気にしすぎ?
「アーリアがまだ王宮にいると聞いて、会いに来たんです。よかった、間に合って」
「まあ、わざわざありがとうございます」
何かを探るようにわたしをじっと見上げ、わずかに考える様子を見せたあと、控えめにたたずむエマに目をやる。
「……こちらのご令嬢は?」
「ヒューバート殿下のご婚約者、タウンゼント侯爵令嬢エマニュエル様です。エマニュエル様、セドリック王子殿下でいらっしゃいます」
図らずもふたりを紹介することになってしまった。
「初めまして、エマニュエル嬢。このようなお美しい方に出逢えるなんて、今日は女神のお導きがあったようです」
セドリックは貴人らしく優雅に挨拶をすると、美しい笑みを浮かべた。
そうしていると、本当に天使のような美少年だ。黄金色の柔らかそうな髪が、午後の日差しをはじいている。
エマもぼうっとセドリックを見つめていたが、我を取り戻すと正式なカーテシーをした。初対面の挨拶がすむと、ふたりはやや打ちとけて話しはじめた。
「ヒューバート兄上と婚約されたというのに、今までお話できなくてすみませんでした。僕は早くお会いしたかったのですけど」
「わたくしこそご挨拶できず、申し訳ございません。なぜか許可をいただけず、まだハロルド様にもお目にかかれておりませんの」
ハロルド様……会ってもいないのに、ずいぶん親しげだ。セドリックは気にもしていないようで、にこやかに続けた。
「ふふ、ヒューバート兄上が独り占めしようとしたのではないですか? こんなに可愛らしい方、ハロルド兄上にも見せたくなかったのでしょう」
「セドリック様はお上手ですわね」
エマは白い頬を淡く染めて、気恥ずかしげに大きな紅い瞳を伏せた。少女のようなあどけない顔の横に、一筋たらしたピンクブロンドの髪が揺れる。
その姿は、初々しさの中に咲きはじめた花の色香を漂わせ、危うい魅力を放っていた。
セドリックを狙う、というエマの言葉に実感が湧いてくる。エマは『ヒロインの選択』で、セドリックを落とそうとしているのだ。
「あら、わたくしったら殿下のことをついお名前で……」
「あなたのような魅力的な方に親しくしていただけるのは光栄です。どうかセドリック、と」
「ありがとうございます……セドリック」
両手で赤らんだ頬を隠し、うるうると潤んだ瞳でセドリックを見るエマ。
いきなり呼び捨て……? さっさと親密度を上げようとしているってこと?
セドリックもほんのりと頬を赤くして、まぶしそうにエマを見上げていた。
――これは、誰?
熱い目でエマに見入っているこの少年は、本当にセドリック?
わたしに大好きだ、愛しているとささやいたセドリックなの?
わたしはめまいを感じて、胸もとで両手を握りしめた。
攻略対象者はやはりヒロインに惹かれる運命なのだろうか……。
* * * * *
ぼんやりとしていたわたしを心配したのか、セドリックはわたしを自室に招いてくれた。
「馬車を待たせているのはわかっていますが、少しだけ」
「……はい」
「大丈夫、アーリア? 気分がよくない?」
「いいえ……なんでもありませんわ」
セドリックがわたしを窓際に誘った。
第三王子専用の中庭に面した大きな硝子窓の前には、背もたれが高めで、片側だけにヘッドレストのあるカウチが置かれている。庭を眺めながらリラックスするための椅子なのだろう。
「座って」
この気持ちは、なんなのかしら。
失いたくない。
手放したくない。
セドリックの無邪気な笑顔を。愛しそうにアーリアと呼ぶ声を。わたしにだけ向けられる熱情を。
「わたくし……そばにいたい。あなたの」
「アーリア、それって」
隣に掛けたセドリックから、穴が開きそうなほど強い視線を感じる。
顔がとても熱い。わたし、きっと真っ赤だ。
セドリックが震える手でわたしにふれた。
「アーリア……」
横からわたしの体に手を回す。
まだ細い少年の腕に抱きしめられて、ぽろっと涙がこぼれた。
「泣かないで」
セドリックの指がまぶたをぬぐった。
そして、セドリックはずっと無言のままわたしを見つめていたが、やがて手を離し、ふいっと席を立った。
そのまましばらく待ったが、セドリックは戻ってこなかった。
外を見ると、次第に日が陰ってきていた。わたしはセドリックに会わずに帰宅した。
* * * * *
セドリックが戻らなかったのは、あんなふうに泣いたわたしに愛想を尽かしたから?
それとも。
やっぱりヒロインであるエマのほうがよくなったの……?
初恋にのぼせていたけれど、真のヒロインが現れたから、気持ちが変わったのかもしれない。
ゲームの強制力――いや、単にわたしに魅力がなかっただけなのかも。
「でも……」
あれほど情熱的に執着していたセドリックが、あっという間に心変わりするなんて信じられない。
思い出す仕草や言葉のあちこちに、愛情と独占欲を感じて、自室の寝台に寝転ぶと涙が止まらなくなった。
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