プロポーズはボーイソプラノで
帰りの馬車の中で、王都の整然とした街並みを眺めながら、わたしはこれまでの人生をふりかえっていた。
もともとわたしは、第一王子ハロルドの婚約者になる予定だった。
第一王子はわたしより少し年上。わたしのお父様は宰相閣下の右腕なので、年まわりのよい娘たちの中ではパワーバランス的にもそこそこ。
しかし、問題が一つ。ハロルドはいくつか年上の辺境伯のご令嬢と恋をしたのだ。
すったもんだのあげく、なんとか恋人との婚約を勝ち取った第一王子。娘をないがしろにされたお父様は内心怒り心頭で、わたしを王家にねじこみ、第二王子ヒューバートの婚約者としたのだった。
ただ、ヒューバートはわたしより年下で、思春期まっさかり。
兄のお下がりで、生意気な年上の女を婚約者としてあてがわれることに反抗し、わたしたちの仲は非常に冷たいものとなった。
「それでも、アーリアはヒューバートが好き、だったんだよね……」
わたしもそうなのだけど、アーリアも年上の男性が苦手だったのだ。これはアーリアの性格というより、わたしの無意識の記憶だったのだろうか。
権威主義で高圧的だった前世の父が、わたしはとても苦手だった。
だから、ちょっと生意気なヒューバートも全然好みのうち。ほんとはもう少し可愛げのあるほうが好きだけど、アーリアはエマに嫉妬する程度にはヒューバートに執着していたみたい。
前世を思い出した今はもう、なんだか遠い出来事みたいだけど。
前世の最後の記憶は、今と同じ年齢くらいかな?
そう、成人式。振袖の女の子たちに囲まれて、わたしだけがワンピース。地方から上京してきたわたしは、特に知りあいもいないその街の成人式に形だけ出席し、その帰り道に交通事故に遭ったのだった。
死んでしまったその時のことは曖昧でいまいち思い出せない。
なんだかすべてが遠く感じる。
突然の覚醒。
流れこむ前世の記憶。
そして、大勢の前での婚約破棄。
目の前に転がる死亡フラグ、かどうかわからないけど、やばそうな事態をとっさに回避して――。
「はぁ……」
ため息を吐く。
わたしは自覚していた以上に疲れているみたいだ。
* * * * *
クラークルイス伯爵邸に戻るとお父様はまだ帰宅しておらず、なぜかそこにはヒューバートの弟、第三王子のセドリックが待ちかまえていた。
わたしよりも十歳年下のセドリックは、ぽやぽやした柔らかい金髪に、明るい青い目をした可愛らしい男の子である。
「アーリア、お帰りなさい」
「セドリック殿下……? なぜここに?」
玄関ホールに控えていた伯爵家の執事に軽く視線をやる。
執事はそっと首を振った。セドリックの来訪は予定していたものではないらしい。
セドリックはじっとわたしを見つめた。
「アーリアに会いたくて」
まだ声変わりもしていないボーイソプラノに、少し上目遣いに探るような、いたわるような視線。
セドリックとわたしはわりと仲が良かった。王子妃教育のために城に行くと、廊下やテラスでちょくちょく遭遇するのだ。
「セドリック殿下……もしかして今夜のことをご存知でいらしたのですか?」
セドリックは気まずそうにうつむいた。
「ごめんなさい。兄があの女と話しているのを聞いてしまいました」
ヒューバート、なんてうかつな……!
婚約破棄なんてデリケートな話を、人に聞かれる可能性のある場所でするなんて。
「大丈夫ですか、アーリア? あなたが傷ついていないかと心配になったのです……」
「お優しいのですね、殿下。わたくしは大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」
わたしが淑女らしく小さく微笑むと、セドリックは不満げに頬をふくらませた。
「セドリックと呼んでくださいとお願いしたはずです。昔のように」
「けれど、もう殿下がお小さいころとは違いますから」
「わかっています。アーリアが親しく名を呼ぶ男は婚約者だけなのでしょう」
初めて幼いセドリックと会ったのは数年前、わたしがヒューバートと婚約した時。
ふふ、金髪碧眼の美幼児、可愛かったなぁ。
今も可愛いけどね。
「だから、今日は結婚を申しこみに来ました」
「……は?」
わたしを出迎えたまま居並ぶ執事やメイドたちの前で、突然わたしの前にひざまずくセドリック。
まるで物語の中の騎士が姫君に忠誠を誓うシーンのようだ。
だが、そんなロマンチックな状況ではまったくない。婚約破棄をされたばかりの女と、十も年下の美少年。
しかし、セドリックの表情は真剣だ。
「僕なら兄上のように不実なことはしません。あなただけを愛し、一生守り抜くことを誓います。アーリア、僕と結婚していただけませんか」
「…………は?」
驚いた。
驚きのあまり、まともな言葉が出てこない。
「あなたの傷心につけこむようなことをしているのはわかっています。けれど、大人しく待っていては誰かにアーリアを取られてしまうから」
「あの……セドリック殿下? 名前の呼び方の問題だけで、婚約を決めるのはどうかと思うのですが……」
前世でも年下好きだったわたしには、確かにセドリックはかなりストライク。
でもまあ、あくまで観賞用だ。恋愛対象としては、ない。
「違います!」
セドリックは憤慨したように顔を赤くした。
「僕は本気です。名を呼んでほしいから、結婚を申しこんだのではありません。愛しいアーリアだからこそ、親しく接してほしいのです」
立ち上がったセドリックは両手で、わたしの手をつかんだ。
昔より大きくはなったけれど、まだわたしより目線は下。子供だ。
その子供が、天使のような美少年が、熱く潤んだ目でわたしを見上げてくる。
「愛しています、アーリア」
もうあかん、だめだこりゃ……。
感情やら理性やら体力やら精神力やら、すべてが限界を突破し、わたしの意識は暗転した。