初々しくない一年生
「おはようございます」
前から歩いてきた男子生徒たちが丁寧に頭を下げ、はきはきと挨拶した。
うん、元気でいいねー。『学校』なんて久しぶりに来たけど、若さと明るさがあふれてる。
「おはよう」
「みなさん、おはようございます」
セドリックとわたしは、軽く会釈をして通りすぎた。
ここは、王立高等学園。
貴族の子弟が通う学園だけあって、広い敷地に教育棟、研究棟、図書館、寮などの重厚な建物がつらなる、立派な教育施設だ。
わたしたちはその学園の長い廊下を歩いていた。
セドリックがここに入学してから、半年が経った。
つまり、わたしたちが結婚してから半年。
わたしもそろそろ本格的に、王族の仕事を始めなければならない。
というわけで、まずは王立高等学園の理事長を拝命することになった。今日の予定は、理事長就任の挨拶だ。
ちなみに、学園の理事長は、学園卒業後に第二王子ヒューバートが引き継ぐことになっていたが、彼は結婚して王族の籍を離れ、辺境伯領に旅立った。
いくらヒューバートの穴埋めとはいっても、セドリックの在学期間に、わたしはちょうど学園の理事長になることになる。それは偶然ではなくて、もちろんセドリックが手を回した結果だ。
まあ、愛しの旦那様と一緒にいられる時間が増えるのは、単純にうれしいからいいか。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
制服のスカートの裾をちょっとつまんだ女子生徒たち。
女の子はおしとやかだ。みんな、よいおうちのご令嬢だもんね。彼女たちは何やら頬をほんのり赤らめて、セドリックを見つめている。
あらあら。セドリック、やっぱり人気があるのね……。
わたしはちらりと隣を歩くセドリックを見た。
少しふわふわした金髪に、透きとおった青い瞳。婚約していたころよりも頬がシャープになって、凛々しさも増している。お肌はつるつるで、当然ひげの一本も見あたらない。
この半年で、さらに背が伸びた。わたしよりも少し高い。同じ学年の子たちの中でも高いほうかもしれない。
整った容貌に、すらりとした体躯。
この時期だけの硬質な少年らしさが、尊い……。
しかも、セドリックにはなんとも言えない色気があった。
無邪気な笑顔の陰に、ふと垣間見える大人っぽさ。まだ子供といってもいい年齢なのに、ふいに大人の男を感じさせる瞬間があるのだ。
高い王位継承権を持つ王子として、大人にまざって職責を果たしている自信なのかな?
「アーリア、どうしたの?」
「あ、いえ、なんでもございませんわ」
まぶしい美少年に話しかけられて、ちょっと焦ってしまった。……毎日会っている夫なんですけどね。
「具合が悪いわけではないの?」
「ええ、少しぼうっとしていました」
「そう。それならいいけど……」
心配そうに、わたしをのぞきこむセドリック。
セドリックの透きとおった大きな瞳に、思わず照れてしまう。頬が熱くなってきた。
「……っ。アーリア、ちょっとこっちに来て」
「はい?」
セドリックに手を引かれて、すぐ近くにある扉を開けて、中に入る。
そこは空き教室だった。シンプルだけど、質のよい長机や椅子が並んでいる。
ちなみに、学園内にセドリック専属の護衛騎士はいない。王宮からの送り迎えはあるけれど、学園の治安は学園専門の部隊の騎士が担当している。
今も廊下の端に立っている騎士が見えたが、セドリックが軽く手を振ると、礼をしてふたたび巡回に行ってしまった。
「……アーリア、学園の中であんな顔をしてはだめでしょう?」
二人きりの空き教室で、なぜか扉に押しつけられて、セドリックに凄まれた。
「あんな顔……?」
「口づけを待っている時の顔」
「ええっ、そんな顔してません!」
「してた。目が潤んで、口は半開きで……」
セドリックの手のひらが頬をつつみこんだ。
「ふふ、可愛いアーリア。あなたの願いを叶えてあげる」
美しい少年の顔が近づいてくる。
あ、でも、ちょっと待って。
「セドリック、ここ、学園だから!」
「だから、何?」
「こんなこと、いけません」
「……だめ?」
背が伸びて、少し見上げるようになったセドリックの青い瞳が切なげに細められた。
うぅ、またそういう顔すれば許されると思って! わかってやってるんでしょ。
「だ、め、で、す!」
「そうか」
しゅんとするセドリック。
あえて強気で、キリッと目を吊り上げて睨むと、セドリックはまた大人びた顔に戻って苦笑した。
「わかりました。でも、昨日した約束は守ってね?」
「約束?」
「生徒たちに想いを寄せられても相手にしない、と」
「そんなこと、あるわけないと思うけど……、もちろん約束は守るわ」
ほんの少しだけ暗い目をしたセドリックは、ちゅっとわたしの唇をかすめとると、わたしから手を離し横の壁にもたれた。
「……本当は、ほかの男になんか見せたくないんだ」
「…………?」
「僕以外の男の目には絶対にふれないように、部屋に閉じこめてしまいたい。ずっと、僕だけを見ていてほしいんだ……」
えっ、ヤ、ヤンデレ? セドリックってヤンデレ属性があったの?
そういえば……。
普段は忘れているけれど、ここは乙女ゲームの世界。しかも、セドリックは攻略対象者のひとり。
まだ表面に出ていない属性の一つや二つ、あるかもしれない……。
背筋がゾクッとした。でも、それは恐れというより、期待に近い感覚で。
もしかしたら、悪役令嬢のポテンシャル?
わたしには細かいゲームの記憶がないからわからないけれど、悪役令嬢のヤンデレエンドとかあったのかしら。それも、セドリックなら……と、ときめきはじめる。
わたし、どこまで行っちゃうの!?
「でも、どうしても外に出さなければならないのなら、僕の目の届くところにいてほしい。だから、王立高等学園の理事長に推薦したんだよ」
セドリックが天使のようににっこりと微笑んだ。
「これが一番よい選択肢だとは思ったんだけどね。いざとなると、心配でしょうがないんだ。改めて約束してね」
「……はい」
「男を信じちゃだめだよ。あなたは魅力的なんだから。お願いだから、自覚して? 清らかで誇り高い『紫水晶の君』」
「え?」
「このなめらかな銀の髪、神秘的な紫色の瞳……。一見冷たく見える美貌なのに、笑うと急に親しみやすくて可愛らしくなる。手が届きそうな気がしてしまう。年下の男たちなんて、すぐに夢中になるさ」
だ、誰の話? まさか、そのひと、わたしなの? えぇぇ?
確かに結婚披露の夜会では、『紫水晶の君』とかなんとか言われていたみたいだけど……。
「セドリック、それは心配のしすぎよ。わたくしなんて、生徒たちよりずいぶん年上だし……」
わたしがちょっと納得できずにいると、セドリックが笑った。……いや、目は笑っていないかも……。
「あなたの夫は、何歳年下の男?」
「……十歳」
そうでした。旦那様は王立高等学園の一年生でした。
「ね? 本当に、もう……。アーリア? 僕という年下の男が、こんなにもあなたに狂っているんだよ」
うら若き少年少女の学び舎。
人けのない、朝の教室で――。
十も年下の少年の情熱的な視線に、真っ赤になって固まるわたし。
その少し乱れた胸もとのリボンを、セドリックが丁寧に直してくれた。




