SS 薔薇園の妖精
アーリア覚醒前。セドリックとの出逢い。
前世の記憶がまだよみがえっていないころの短編です。
わたくしには決められた婚約者がいる。
そして、譲ってはならない自尊心がある。
彼にふさわしい、最高の貴婦人であること――それがわたくしの自尊心。
たとえ心の鎧の奥底で、大きな声で笑おうと、悔しいことに泣きわめこうと、表情は雅に優しげに。言葉は上品に控えめに。
貴婦人の仮面をかぶりつづけることは、伯爵令嬢に生まれ、第二王子の婚約者となったわたくしの使命だと思っていた。
けれど、虚弱だった少女時代、療養のために緑豊かな田舎の領地で過ごしたせいか、わたくしはのんびりした娘に育ってしまったらしい。一人前のレディーとして扱われる年になっても、貴婦人の仮面を被ることは予想以上に苦痛だった……。
気合いを入れ、強固で優雅な仮面をかぶり直して、わたくしは王宮に伺候した。
その日は、第二王子との正式な婚約前の顔合わせのお茶会。けれど、緊張感がせり上がってきて、どうにも前に進めない。
早めの時間に来たこともあり、少し時間があったため、わたくしは王宮の薔薇園におもむいた。
そこには――可愛らしい妖精がいた……。
いや、もちろん本物の妖精ではない。綺麗な顔をした小さな男の子である。
庭師の手入れが行き届いた美しい薔薇園にふさわしい、純粋であどけない、汚れなき天使。
咲き誇る薔薇のアーチの下、うっすら涙をうかべたセドリックとの初めての出逢いだった。
「あなたは……妖精? それとも女神の御使い様かしら」
「…………」
「どうしたの? 何か困っているのかしら。妖精さん、わたくしにお手伝いできることはある?」
少年はわたくしの差し出した手を取って、小さく上品に微笑んだ。
「うれしくて迷子になってしまったの」
「そうなの。いったい何があったの?」
「あのね、マナーの先生におもちゃをあげたら、びっくりして、大きな声で『出ていきなさい!』って」
「まぁ。どんなおもちゃ?」
「ネズミ! お勉強が終わりになってうれしくてお庭を走っていたら、知らないところに来ちゃった」
わたくしは思わず吹き出した。
厳格なマナー講師があたふたしている姿を想像して笑ってしまう。作り笑顔ではない、本当の笑い声を上げたのは久しぶりのことだった。
少年もきらきらした瞳でわたくしを見上げて笑っていた。
その後もその少年、セドリックとの交流は続いた。
初めて会った時の妖精めいた儚げな印象とは異なり、彼は物怖じをしない性格で、とても甘えん坊。
王宮のあちこちで、たまたま居合わせたセドリックに声をかけられ立ち話をするだけの間柄だったが、気を張らずに話せる彼との会話は心地よかった。
政略の婚約をしたばかりのわたくしと幼い彼。
この時は、この薔薇園の妖精と契りを結ぶことになるなんて夢想だにしなかった。
これは、まだわたくしが『悪役令嬢』として目覚める前の、ある日の出来事……。




