旦那様は十歳年下の男の子
「ここまで、本っ当に、長かった……」
彼は少し遠くを見つめながら、しみじみとため息を吐いた。
ようやく王立高等学園に入学したばかりの少年らしくもない、深い感慨にひたっているのは、まだ年若い夫だ。
そう、夫。
わたしの……旦那様。
まさに今日、結婚式を挙げたわたしとセドリックは、正式に夫婦となった。
王国の春、花のさかりである。
貴族として最低限体裁を保てる、一年間の婚約期間。ぎりぎりその春秋を越えてはいても、セドリックの年齢を考えたら早すぎる結婚だ。
王立高等学園の一年生。
適齢になった貴族の子女は全員入学することになっていて、それは王族も例外ではない。第三王子のセドリックも同様で、今年は最年少の既婚の学生が誕生したということになる。
「アーリア、疲れた?」
少し癖のある短めの金髪に、大きく澄んだ青い瞳。
天使のような美少年ぶりは変わらないけれど、一年前よりもだいぶ背が伸びた。
セドリックと出逢ってから六年と少し、ずっとわたしが見下ろしていたのに、今はもう目線が同じくらい。きっとすぐに追い抜かれるだろう。
「セドリック様……セドリック、わたくしは大丈夫よ」
夫婦の寝室の窓辺で、隣に立つ夫の頬に自分からそっとキスしてみる。
「アーリア……! 可愛くて美しい僕の奥さん」
セドリックが感激したように目を潤ませて、強く抱きしめてきた。背中に回る腕も以前より長くて、たくましさを増している。
この年ごろの男の子の成長は早いなあ。
「いつも綺麗だけれど、今日はひときわ麗しかった。まるで春の女神のようで……。花嫁姿のアーリアを誰にも見せたくなかったよ」
そうは言っても、結婚式の最中のセドリックはとても自慢げに胸を張っていて、なんだか可愛らしかった。最近は大人っぽく見えることのほうが多いのに。
「あなたも素敵だったわ。わたくし、こんなに幸せでいいのかしら」
「もっともっと幸せになろうね」
セドリックが潤んだ瞳のまま少しだけ背のびして、わたしのおでこに口づけた。
その淡いピンク色の唇が、まぶたに、頬に下りてきて、そのうち自然と唇が重なる。ちゅっちゅっと軽い音を立て何度も口づけていると、ふわふわとした幸せに、とろんとしてくる。
このまま眠ってしまいたいような気分……。
「本当に長かった……。僕、この一年間、よく我慢できたと思わない?」
少年の声が、くたびれた大人の男のようにしおしおとつぶやく。
「そうだったかしら?」
ちょっとからかいたい気分になって、上目遣いに睨んでみた。
セドリックはすねたような笑みを浮かべて、可愛らしく口を尖らせた。
「もう、誰にも渡さないよ」
「セドリック……」
セドリックの瞳はとろけていた。蜂蜜のようにとろとろに甘い、恋をしている男の目だ。
セドリックはわたしをぎゅーっと抱きしめた。
「アーリア、心から愛してる」
「はい……。わたくしもですわ」
わたしはそっとセドリックの胸を押して、二人の間に距離を作る。
これ以上はセドリックが成人するまでおあずけだ。
「アーリア、やっぱりだめ……?」
「結婚を早めるための約束ですからね。おやすみなさい、セドリック」
「アーリアぁ……」
セドリックが本当に情けない顔をしたけれど、そんなに急がなくてもいいと思う。これからずっと一緒にいるのだから。
* * * * *
「あなたを娘として迎えられることを幸せに思います。わたくしのことは、実の母親同然に頼ってくださいな」
「ありがとうございます。幾久しゅうお願い申し上げます」
結婚式の翌々日、わたしたちの結婚披露の夜会が催された。
まずは国王陛下と王妃殿下に挨拶し、特に王妃殿下からは後見を約束するあたたかい言葉をいただいた。王家から望まれた花嫁だということを知らしめるという言葉は、本当だったのだ。
そもそもわたしたちの婚姻が最速で結ばれたのは、セドリックの根まわしのたまものというだけのことではない。
国王陛下の詫びの気持ちと、王妃殿下のあと押しの合わせ技の成果だった。
その後も続いた国内の主だった貴族や外国の重鎮たちとの挨拶を、セドリックはつつがなく終えた。
まだ幼いと言ってもいいほどの年で結婚し、第二王子の突然の臣籍降下で王位継承権が繰り上がったセドリックは耳目を集めた。
しかし、常に冷静な思慮深い態度で、高い王位継承権を持つ王子としてふさわしい資質を感じさせたのだった。
「お手をどうぞ、美しい人。あなたと最初のダンスを踊る栄誉をどうかわたしに与えてください。……奥様?」
少しからかうような口調でファーストダンスに誘うセドリックは、大人びた正礼装を身に着けている。
夜会での振る舞いも自信に満ちていて、実際の体格よりもひとまわり大きく見えた。
声も少しかすれていて、足早に大人に近づいているかんじが頼もしいような、さみしいような……。
「はい、喜んで……あなた」
なんとなく頬が赤らむ。
人前に夫婦として顔を出すのは、これが初めてなのだ。
ダンスの時間。
華やかな音楽が楽団によって奏でられる中、まずわたしたちが踊り、そのあと客人たちがフロアに広がった。
「アーリア、本当に綺麗だ。みんな、あなたを見ているよ」
「そんなことないわ。若いお嬢様方はあなたに夢中みたい。時々、視線が痛いわ」
苦笑しながら、イブニングドレスの裾をひるがえす。
王立高等学園に通いはじめたセドリックは、たちまち女子生徒たちを魅了してしまったらしい。あまり社交的ではないわたしのところまで、そんな噂が流れてくるほど。
「……妬いてくれるの?」
「え?」
「うれしい……」
曲の途中なのに、セドリックはわたしの腰を引き寄せ、軽く抱きしめる。周囲が踊りつづける中、立ち止まってしまったわたしたちに人々の意識が集中した。
セドリックはわたしに甘やかな瞳を向けると、ひどく真剣な口調で力強く言いきった。
「アーリア、ずっとあなただけを想っていました。愛しています。私のすべてをもって、あなたを一生守ります」
それはさほど大きくない抑えた声音だったけれど、間近いところにいた貴族たちには聞こえてしまっただろう。
「セドリック様……」
王妃殿下やわたしの両親がいくら裏で手を回してくれても、社交界ではわたしたちの結婚はやっぱり体のいいゴシップだ。
セドリックはまったく気にせず、堂々としているが、わたしの評判は決して良くはない。
可憐な女生徒をしいたげ、大勢の前で婚約破棄された第二王子の元婚約者。十歳も年下の少年を籠絡し、素知らぬ顔で王子妃におさまった悪女。
「わたくしも……生涯をかけて、あなたを支えてまいりとうございます」
おそらくセドリックは、わたしへの恋情と執着を明らかにすることで、わたしの立場を護ろうとしてくれているのだろう。その気持ちがうれしくて、少し目が潤んでくる。
でも、泣いてはいけない。ここは最も格式高い夜会なのだ。
わたしはすべての想いを込めて、できるだけ優雅に見えるように微笑んだ。
「……アーリア」
会場がなぜかざわめいた。
ひそひそとささやく紳士淑女の声が途切れ途切れに聞こえる。
「あれが……紫水晶の君……」
「なんと美しい」
「あれでは……お若い殿下は敵うまい」
え? なんか陰口の方向性がおかしいんだけど? あれ?
セドリックは、たぶんわたしだけがわかるちょっとイラッとした笑顔で、わたしの白い長手袋の甲にそっと唇を付けた。
「僕だけのものだからねっ」
今度こそ、誰にも聞こえないような声でつぶやく。その瞬間だけ子供の顔が戻ったようで、少し可愛らしかった。
だから、わたしもセドリックの耳もとで、聞こえるか聞こえないかというくらいの小声でささやいた。
「はい。あなたも、わたくしだけのものですからね」
セドリックがふるっと体を震わせた。
見る見るうちに顔が真っ赤になる。寄り添った胸の鼓動が速くなり、息が少し上がっているのがわかった。
「アーリア、勘弁して……。一刻も早く連れて帰りたくなる」
「それは……難しいかと」
「もうっ、わかってるよ。さあ、踊ろう」
大広間に流れる音楽が、しっとりとした静かな曲調に変わっている。わたしたちは体を寄せ、ゆるやかにステップを踏んだ。
周囲の視線が生あたたかく感じられて、少しいたたまれなかった。
* * * * *
結婚披露の夜会ののち、口さがない世間のゴシップはぴたりと止んだ。
代わりに、年上の妻を溺愛する第三王子が、妻にふさわしくあるため高等学園で優秀な成績を収めたと、まことしやかに噂されるようになった。
将来有望な王子にあやかろうと、子弟を年上の女性と婚約させることが流行ったりもしたらしい……。
まあ、婚期を逃した女性たちが幸せをつかむきっかけになったのなら、決まりの悪い想いをした甲斐もあったというものだ。たぶん。
時折あの一年前のプロポーズが脳裏によみがえる。
『僕なら兄上のように不実なことはしません。あなただけを愛し、一生守り抜くことを誓います。アーリア、僕と結婚していただけませんか』
真剣な顔でわたしの前にひざまずくセドリック。
今より背が低くて、声もボーイソプラノで。幼いけれど、誰よりも真摯にわたしを想ってくれていた。
一度は婚約者から裏切られたわたしだけれど、セドリックの言葉は嘘ではないと信じられた。
わたしはずいぶん年の離れた彼に対して、恋愛感情なんて抱けないと思っていた。それがいつの間にか、天使のような美しい少年は世界の誰よりも愛しい人になったのだ。
信じられない幸運に改めて驚く。
国外追放される悪役令嬢だったはずのわたしが、こんなに幸せになれるなんて、と。
……でも。
でもね。
どんな可愛い上目遣いでおねだりされても、わたしはこれ以上ほだされませんからね。
十歳年下の旦那様…… !!
次回SSを一本はさんでから、学園編を始めます!
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