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一人称視点版@あたしのせいじゃなーい  作者: わかいんだー
本章~ファンタジックな旅の日常~
8/52

小さく大きな願い

 アルフはあいかわらず、迷いもなく先導している感じね。それほど明確に呼ばれ続けているのかしら。あたしにはさっぱりとわからないわ。

 それにしても一体どこへ呼ばれているというのよ。呼び主も、説明くらいはしそうなものよね。やっぱり、説明もなしに応じているアルフのほうが問題かしら。

 あ、そうだったわ。記憶を取り戻す切っ掛けが、ほかにはないのよね。あいまいな呼びかけであったとしても従うしか方法がないんだわ。アルフにもつらいところなのね。

 これまでになにか進展はあったのかしら。


「アルフ、なにか少しは思いだした? このまま旅を続けていれば、すべて思いだせそうなの?」


 もう結構な距離を歩いているものね。いまだになにも進展がないのであれば、いくらアルフが能天気とはいえ、疑問を呈しているはずよ。あたしはともかく、ガルマさんまでをも巻き込んでいるんですもの。徒労に終わるなんて許されないわ。


「へ?」


 なによ。気が抜ける返事だわ。よもや忘れていたわけじゃあるまいしね。


「へ? じゃないわ。あんたの記憶を取り戻すための旅なのよ」


 切っ掛けなんてどこに転がっていてもおかしくはないわ。常に注意して、周囲を観察しているのかしら。とてもそうは見えないのよね。


「そうだったの?」


 ハァ。冗談でボケているわけじゃなさそうよね。底抜けの能天気というか、底なしの能天気というか…… このままじゃ記憶を取り戻すなんて無理そうだわ。

 目的を見失ってどうするのよ。誰から呼ばれようが、記憶のないあんたには関係がないはずよね。あくまでも、記憶を取り戻す切っ掛けになりそうだと思ったからこそ、正体不明の呼びかけにもかかわらず、応じているはずよ。ならば道中でも、切っ掛けの存在を意識して探さなきゃ、大切なものを見落としかねないわ。

 ここはしっかりと状況を認識させる必要があるわね。


「……ちょっとそこに座りなさい」


 あら? どうしたのかしら。(おび)えているみたいだわ。おかしいわね、あたしはまだ笑顔を保っているはずよ。でもいつまで保てるかはわからないわ。あんた次第よ。


「ベ、ベルタが読んでくれた本に、暴力はいけないって書いてあったぞ」


 うろたえているんじゃないわよ。そもそもどこから暴力なんて言葉がでてくるのかしら。心外にもほどがあるわ。あんたがあまりにも状況を把握できていないから、説明をしようとしてあげているだけよ。


「あたしは座れ、と言ったのよ。暴力なんて今まで一度たりともふるったことはないわ」


 あたしが村で一番強かったといっても、力仕事をこなせるというだけの意味よ。かよわい娘が暴力なんてふるえるわけがないわ。

 暴力どころか、あんたを護るためにプロテクターまでつくってあげたわよね。拳で語りかけるだけでも危険そうな身体だから気をつかってあげたのよ。それがなければ、天罰にすら耐えられなかったのかもしれないわ。

 今までが無事でいられたのは、あたしのおかげといっても過言じゃないわよね。ここまで優しくしてあげているのに、言うことがいちいちおかしいのよ。

 ようやく座ったわね。納得のいかなそうな顔をしているわ。でも納得がいっていないのは、こっちなんだからね。大切な話なんだからしっかりと聞きなさいよ。このままじゃ、旅を続けても記憶が戻らないのかもしれないんだからね。


「あんた、初めてあたしと出会ったときに、旅で記憶を取り戻す夢を見たのよね?」


 まずはこれが最初の切っ掛けよ。アルフ当人も一度は忘れていたとはいえ。


「おぉ!」


 よし。今度はしっかりと覚えているわね。順序だてて経緯を思いださせて、今の目的を明確に認識させるわよ。それにしても本来はあんたが説明する側なのに、どうしてこうなるのかしら。


「で、あっち? に呼ばれて旅に出たのよね?」


 これはいまだに理解しがたいわ。でも透明な竜の件もあるし、とりあえずは信用するわよ。


「おぉ!」


 自信に満ちあふれた返事よね。やっぱり、あっちとやらを明確に意識できているんだわ。

 なら本題に移るわよ。


「つまり、記憶を取り戻すために旅に出たのよね?」


 あんたの言動は、この一番大切な目的を見失っているように見えるのよ。思いだしたのなら今後はしっかりとしてよね。


「おぉ?」


 くっ。ちょっと待ちなさいよ。

 あぁそうだった、と言う程度であれば、能天気だから仕方がないわね、で済ませられたかも知れないわ。でも、おぉ? ってなによ。まるで、考えたことすらもなかったかのような反応だわ。なんのために旅立ったと思っているのかしら。


「おぉ? じゃないわよ!」


 ここで確認しておいてよかったわ。せっかくの旅が台なしになるところだったわよ。


「いや、たしかにベルタの言うとおり、旅で記憶を取り戻す夢を見て、呼ばれて、旅にでたけれども」

「けれども?」


 なにをもったいぶっているのよ。ここまでボケをかましておいて、どんな言い訳をしようというのかしら。さっきのあんたの態度からして、記憶を取り戻す目的を忘れていたことは明白なのよ。言い逃れなんてできっこないわ。観念して素直に認めなさいよね。


「別に記憶はどうでもいいかな」


 かはぁ…… ち、力が抜けるわ。

 ダメね。アルフの能天気は、あたしの理解を超えているわ。どうでもいいってなによ。忘れるよりもさらに酷いわ。

 旅に出た理由の大前提がいきなり崩れ落ちちゃったわね。


 あんたにはなにもないのよ。あんたほどに無能で非力な人なんてみたことがないわ。せめて失った記憶は取り戻すべきよね。あんたにだって大切な御家族が……

 あ…… そうだったわ。アルフには捜索依頼も出ていなかったのよね。半年もの間、誰もアルフを探してはいないのよ。つまりは見捨てられたか、すでに他界……

 いえ、単に動けない状況にあるだけなのかもしれないわ。もしそうだとしたら、一刻も早く記憶を取り戻さなくちゃいけないのよ。

 ……でもそんな根拠はないということよね。だからモチベーションにはつながらないということかしら。

 記憶を取り戻すべきだとは思うわ。でも今それを説得する根拠には乏しいわね。あたしのあいまいな妄想だけしか思いつかないもの。アルフにとっては、はっきりと感じているのであろう呼びかけのほうが、まだ応じる意義のある根拠といえるのかしらね。これは参ったわ。


「あたし、あんたの記憶をさっさと取り戻して、すぐ帰るって親父に言ってきたのよ」


 それなのに、まさかあんたがそこまで記憶を軽視していただなんてね。旅に出る前に、もっとじっくりと話を聞いておくべきだったわ。いや、旅立ちが突然すぎてそんな時間はなかったわよね。


「じゃぁ帰るか?」


 軽く言ってくれるわ。まぁ実際、あたしは勝手についてきているだけの身だものね。瞬間帰還器があるから、あたしがひとりで帰るのは簡単よ。

 でも旅に出た理由が崩れちゃったとはいえ、あたし自身の目的は残っているのよね。


「ハァ…… 切っ掛けはあんたよ。でも、旅に出てみたかったのは、あたしもだしね」


 正直にいえば(うれ)しかったわよ。旅へ同行するなんて案が、親父の口から出たときには思わず、はしゃいじゃったわ。本音では旅なんて諦めていたもの。同行するなんてことを思いもつかないほどにね。

 それに旅をするのであれば、今回ほどに恵まれた状況なんてありえないわ。


「ガルマさんも一緒に旅できる機会なんて、二度とないだろうし。旅は続けるわ」


 こんなの、きっと王様にですら無理よ。世界を創造された竜神様と、一体であるとまでおっしゃる方に、対価なんて支払いようがないのだもの。

 それになによりも、あたしにはこの旅を続ける責務があるわ。だってあたしが抜けたら、アルフとガルマさんがふたりきりになるのよ。ありえないわよね。それこそ世界を滅ぼそうとする行為だわ。いまさら、あたしだけが抜けるなんて許されないのよ。


「よっしゃぁああああ」


 一応は喜んでくれているみたいね。勝手についてきたとはいえ、邪魔に思われてはいなかったみたいだわ。それはよかったわよ。でもねぇ。


「ハァ。親父になんて手紙書こう。帰る目処が立たなくなっちゃったわ」


 呼ばれている間は旅を続けるなんていう話であれば、下手をしたら死ぬまで続くわよ。ガルマさんがいつまで同行してくださるかにもよるわね。しばらくとはおっしゃっていたわ。でも不老不死であられるガルマさんがおっしゃるしばらくって、あたしたちとは感覚が違いそうなのよね。


「じゃぁベルタの親父も呼ぼうぜ」


 村を捨てろといっているのかしら。旅が終わったらどこへ帰れというのよ。いや、こいつが先のことを考えるわけがなかったわね。


「……あんたの能天気が心底うらやましいわ」


 きっと当人は幸せなんでしょうね。先を考えないということは、将来の不安がなにもないということですもの。でもそれでいいわけがないわよね。しっかりと考えておかないと生活が成り立たなくなるわ。

 でも、とりあえずはこのまま旅を続けるしかなさそうね。そうと決まれば気を取り直して再出発よ。


 あぁ、まただわ。この違和感よ。すれ違う人が、あたしたちから距離をとろうとしているみたいなのよね。

 おそらくは、自然に道を譲っているつもりなんだわ。でもあからさまに避け過ぎなのよ。かえって不自然になっているのよね。動きもガチガチになっちゃっているわ。親父の荷馬車に乗っていたときですら、そこまで避けられたことはなかったわよ。

 この旅を始めてからは、ずっとこんな感じなのよね。意図的に避けられていることは間違いなさそうだわ。


「やっぱり、みんな、あたしたちを避けている気がするのよね」


 アルフは気にならないのかしら。人なつこいから、避けられていれば気づくとは思うわ。ただ、気づいても、気にしないであろう能天気さを備えているのよね。


「そうか?」


 やっぱり気にしていないわね。旅をしたことがないなら、これがふつうだと思っても仕方がないのかしら。


「あたしも気のせいだろうとは思っていたわ。でも、こないだの武器屋さんの態度もあるし」


 いくらアルフでも、いきなり店を飛び出した御主人さんの挙動が変だとは思ったはずよ。


「あぁ~、あのおっちゃんはなんかずっと変だったな」


 ずっと、か。周囲を観察していないというわけではなさそうね。やっぱり能天気だから、見ても気にしてはいないということなのかしら。


「我は人に畏怖されておるからな。我とともにおれば仕方あるまい」


 あたしからは言えませんでしたが、やっぱりそういうことですよね。

 顔をフードで隠されているとはいえ、正面から見れば竜人様であることは一目瞭然なのよ。

 ガルマさんほどに不思議な力をお持ちであれば、幻術とかで外見をごまかすこともきっとできるはずだわ。そこまでして隠すことでもないということかしら。どうにも半端な御対応に思えるわね。

 ん~。隠す気も(おび)えさせる気もないから、正面から見たときにだけはわかるようにしておられるというところかしら。微妙ね。あたしなんかじゃ真意はわからないんだわ、きっと。

 意図はさておき問題は、避けられているという現実なのよ。あたしのせいじゃないとはいえ、見知らぬ人たちを(おび)えさせ続けることには気が引けるのよね。どうにかする手はあるわよ。でも、さすがに顔を隠してくれだなんて失礼なことは言えな――


「トカゲ顔だから? 俺たちも、最初に見たときは驚いたしな」


 やーめーてー。あたしよりも失礼なやつがいたわ。驚いたのは同感よ。でもいくら怒らないからって、言っていいことと悪いことがあるわ。


「だからその言い方は失礼だってば。やめなさいよ!」


 最初の失言は許してくださっても、続けられればさすがに不快になられるわ。


「気にするな。我から見れば、人もトカゲもそれほど大きな差はない」


 よかった、また見逃していただけたわね。

 って、強烈なカウンターを放たれているわ。ガルマさんから見たら、あたしたちがトカゲと大差ないって、おそらくは顔に限った話ですらないのですよね。それはさすがに酷い言いようだと思うのですよ。

 あ、いや。世界を滅ぼせるほどの力から見れば、どちらも無力に等しいわよね。大差がないといえばそうなのかしら。うーん……


「そ、そうなのですか……」


 理解はできるわ。でも納得はしたくないわね。


「たしかに顔で我を判別しておるのであろう。だが獣人もおるし、顔のつくりが怖いわけではなかろう」


 獣人ねぇ。あたしはまだ直接には見たことがないわ。でもふつうに人と交流していると聞いているわね。ガルマさんがおっしゃるくらいだから、相当に怖い顔なのかしら。出会ってから慌てふためかないように、心の準備をしておく必要がありそうね。


「でもガルマさんは優しいし、顔以外に怖がる要素がねぇぞ」


 そうね。でもそれは、ふだんからガルマさんに接しているからこそ言える言葉なのよ。


「優しさは初見じゃわからないわ。やっぱり伝説のせい? かしら」


 竜人様がお優しいなんてお話は聞いたことがないのよね。まるで人を目の敵にでもしているかのように、人を滅ぼされるお話ばかりなのよ。おまけにその強さときたら…… もう、お話にならないくらいだもの。しかも実際の強さは物語よりも(はる)かに上みたいなのよね。まさに事実は小説よりも奇なりってこのことよ。あたしもこの旅での出会いがなければ、おそれていたはずだわ。


「そうであろうな。我が人の前に立つとき、その大半は粛清が目的であるからな」


 大半…… か。凄惨な物事ほど記録として残されやすいものね。物語も自然とそうなっちゃうんだわ。でも半分近くは粛清以外の接触もあるってことよね。どんな目的なのかしら。あたしたちの相手みたいな感じであれば、少しは穏やかな内容の物語があってもよさそうなものよね。


「ガルマさんは人が嫌いなの?」


 よくも単刀直入に聞けるものだわ。肯定されたらどうすんのよ、あんたは。

 嫌われてはいないと思いたいわね。現に必要もないのに、あたしたちの面倒をみてくださっているのよ。


「そんなことはない。ただ破滅をもたらす芽は摘まねばならぬ。それが導きで示されるのだ」


 破滅をもたらす芽…… そうね。滅ぼされる側の身である、あたしにですら理解できるわ。そこまで狂ってしまったのであれば、滅ぼされることが正しい、仕方がないことだと思えるもの。だからこそ、狂わないように気を付けなきゃね。


「だよな。こうして俺たちの旅に付き合ってくれているくらいだし」


 うんうん。わかっていたのね。ガルマさんが粛清するのは人じゃなくて破滅をもたらす芽なのよ。問題は、それが人に芽生えてしまうということなのよね。


 ちょうど日が落ちる前に川辺に着いたわ。ここなら食事にはうってつけよ。

 野宿も随分と手なれてきたわね。親父もしっかりと飯を作って食べているかしら。いや、きっと隣のお世話になっているわよね。あたしがいるときにも時々御一緒させてもらっていたもの。帰ったら隣のおばさんにはお礼をしなくちゃいけないわ。相応のお土産を考えておく必要があるわね。

 さて、そろそろ煮えたかしら。


「うぉぉおおおおおおおおお」


 ちょ。蓋を開けたとたんにがっつかないでよね。


「落ち着いて食べなさいよ」


 普段から食べさせていないみたいに思われちゃうわ。街道沿いの川辺だから人目があるのよ。


「急いで食べないと、全部ベルタに食われる」


 どうしてこう、ありもしないことを口にするのかしらね。あたしがいつひとりで全部食べたりしたのよ。人聞きが悪いにもほどがあるわ。


「人を化け物みたいに言わないでよ」


 無論少食とまではいわないわ。身体をつくるうえでも、しっかりと食べる必要はあるのよ。それでも人並みにしか食べてはいないわ。まぁ村の大人よりは多かったかしら。だって育ち盛りなんだもの。ふつうよ、ふつう。


「食料は十分にある。慌てなくてもよい」


 そうですよね。倉庫にあった携帯食料だって全部もってきたし、大地の肉も十分にもってきているわ。おまけにガルマさんが用意された食料や、道中で捕獲した獣の肉もあるのよ。

 それに…… ガルマさんの食事も気になっているのよね。確認しておくべきかしら。これはお聞きしても失礼にはあたらないはずよね。


「そういえばガルマさん、いつも食べるフリをされているだけではありませんか?」


 食べておられるような挙動をしてはおられるわ。でも全然おかわりはされないし、小皿の中身も減っているようには見えないのよね。


「ベルタは、よく見ておるな」


 そういえば、人のごとく振る舞うために(わな)アイテムを使っているとおっしゃっていたわ。食事もそういうことなのかしら。


「もしかして人の料理は食べられないのですか?」


 種が違うのだから、食べものも違う可能性が高いわよね。うっかりしていたわ。ガルマさん用の献立も考えないといけないわね。


「いや。ただ食べる必要がない。お主らの食い残しを処理するときには、味わっておるよ」


 食べる必要がない? なにかもう、あたしたちとは根本的に違うのですね。

 それにあたしたちの食べ残しを処理って…… 軽くおっしゃいますが、ものすごく重いですよ。伝説の竜人様に残飯整理をやらせていたということですもの。穴があったら入りたいって、こういう気持ちなんだわ。


「ガルマさんて本当にお優しいですよね。悪い人しか粛清していないのに、怖がられているのが不思議」


 無差別に人を粛清されているのであればいざ知らず、破壊をもたらす芽となった悪人だけが粛清対象なのよね。おまけに今の人については、今のところは大丈夫とおっしゃっているんだもの。怖がる理由はないはずなのよね。


「善悪など存在せぬ。我の粛清は導きの示しのみだ。導きを理解できぬ者ら、すべてに畏怖されよう」


 善悪が存在しない? 導きを理解?

 護りを第一にしていれば大丈夫なのではありませんでしたかね。よくわからないわ。


「え? 破滅をもたらす芽を摘むとかおっしゃっていましたよね。それが悪ということではないのですか」


 善悪を区別しなければ、人を裁くこともできないと思うのよね。


「善悪は、人が身勝手に定義した基準だ。粛清される側にとっては、我が悪であろう」


 あたしたちが勝手に定義した?

 善悪の(さかい)があいまいってことかしら。たしかに判断が微妙なところはあるわ。でもあきらかに悪いことはあるわよね。


「人が人を、エゴで苦しめたり、挙句に殺めたりすることすらも、悪いことではないとおっしゃるのですか」


 基準がどうのという話ではなく、やってはいけないことが悪だと思いますよ。みんながやりたい放題では、それこそ自然を巻き添えにして滅んでしまうわ。まさに破壊をもたらす芽よね。


「人に限らず、腹が減ったというだけのエゴで共食いする生物もおるだろう。それらは悪なのか?」


 生きるために仕方がない状況は別だと思いますよ。でもそうすると、やっぱり基準がどうのって話になるのかしら。


「え…… でも、誰かを傷つけたり苦しめたりするのは悪いことであると、あたしは思います……」


 たしかに、代表的な悪であるはずの殺害ですらも、悪とはいえない場合があるわね。でも善悪が存在しないとは思えないわ。たしかにあるとは思うのに、うーん、どう説明すればいいのかしら。


「うむ。善悪を定義し、それをもとに法をなし、秩序を構築する。それは間違ってはおらぬ」


 そっか。竜人様にとっての善悪、つまり元々の善悪はないのね。弱肉強食の食物連鎖がある以上は、殺害をも悪とはみなせないんだわ。でも人が定義したから、人には善悪があるのよ。だからあたしにはあると思えるんだわ。


「善悪は存在しない。でも、人が勝手に定義するのは構わない、ということですか」


 よかったわ。善悪を否定されているわけではなさそうね。


「そのとおりだ。ただ我は人の善悪にとらわれぬ。ゆえに善なる人、とやらにも畏怖されることになろう」


 そりゃそうよね。人が勝手に決めた善悪の基準なんて竜人様には関係がないもの。人にとっては善行でも、それが破壊をもたらす芽とみなさされば、粛清の対象になるってことなんだわ。


「なんとなくわかった気はします」


 要は、導きを示される竜神様から誤解をされないように、善悪を正しく定義することが重要なのよね。それなら結構簡単かもしれないわ。


「善悪を、愛する者を護るために決めていけば、きっと人も道を違えずにいられますよね」


 今の人は護りを第一にしているから大丈夫であろうとおっしゃっていたわ。つまりは愛よね。

 誰かを、みんなを護ろうとすることを善とみなし、それに反することは悪とみなせばいいのよ。そうすれば悪人以外は竜人様を恐れる必要もなくなるわ。


「愛か。それは欲望の一面にすぎぬ。ゆえに、愛で決めるというのもむずかしかろうな」


 ちょ。愛まで否定なさるのですか。いや、さすがにいくらなんでも、それだけはありえないですよね。


「えぇ? そ、それは違うと思います。だって愛というのは、自分を犠牲にすることもあるんですよ」


 自分を犠牲にしてまで誰かを護ろうとする気持ちが、欲望であるとは思えませんよね。


「お主も誰かを護ったり、護られたりしたことがあるのであろう」


 もちのろんですね。あたしはみんなの愛で育てられてきたのよ。でも全部説明するまでもないわよね。


「はい。あたしも親父に護ってもらった覚えがたくさんあります。愛はたしかにありますよ」


 そもそも愛がなければ、手間暇かけて子どもを育てたりなんてしませんからね。


「その親父は、お主の畑で害虫の子、卵を見つけても護るのか」


 へ。いきなりお話が変わっていませんかね。まぁお答えはしますよ。


「それは駆除しますよ?」


 害虫に対する愛などありませんからね。


「で、あろう」


 いや、納得されても困りますよ。あたしが意味不明ですわ。


「はい? おっしゃりたいことが、よくわかりません」


 まるで、親父が害虫を駆除するから、愛はないとおっしゃっているみたいよね。


「『自分が』護りたいものだけを護るのは、欲望ではないのか」

「あ」

「我は、愛が存在せぬとは言っておらぬ。欲望の一面にすぎぬと言ったのだ」


 たしかにそうおっしゃっていたわ。論点がずれていたのはあたしのほうなのね。愛が否定されたと思って熱くなっちゃったんだわ。

 とはいえ、やっぱり納得できないことには変わりないわね。


「でも、あたしの認識では愛と欲望は、与える気持ちと奪う気持ちという逆の意味があって――」


 愛は相手のためであって、欲望は自分のためなのよ。愛が欲望の一面だなんてありえないわ。


「欲望というものを狭くとらえすぎておるのだ。与えることで、自己満足という欲望を満たしておるのだ」


 相手を思うことまでを自己満足と言われては…… あぁ、それが害虫駆除のお話につながるのですね。あくまでも「自分が」相手を思うことを前提にするから欲望であるとおっしゃっているんだわ。

 理屈としては理解できますね。でも愛は理屈じゃないのよ。


「でも純粋な愛は別だと思うのです」


 愛は美しく、欲望は醜いって、ほとんどの物語でもそういう認識なのよ。


「そもそも人に限らず、生物はすべて、欲望のみで行動しておる」


 子育てしないような下等生物についてであれば理解できますね。


「そりゃ虫とかは本能だけで生きているでしょうから欲望のみかもしれませんが、人はいろいろ考えていますよ」


 力のうえでは、人もトカゲと大差なくみえるのかもしれませんね。でも卵を産んでそれっきりの爬虫類(はちゅうるい)と、子育てを続ける人の愛は明らかに違いますよ。


「つらい仕事は対価のため、疲れ果てて自ら生を閉じるのは楽になるため、嫌なこともすべては自分のためであろう」


 努力はおろか、絶望の果ての死ですらも欲望であるとおっしゃるのですか。


「やりたくても我慢することだっていっぱいありますよ」


 欲望のみで行動なんて、したくたってできはしませんからね。


「小さな欲望を抑えるのは、より大きな欲望を満たすためであろう」


 あぁ、もう。そりゃなんでもこじつければ欲望といえるのかもしれないわ。


「それは…… うがった見方をすればそうかもしれませんが…… その、詭弁(きべん)じゃないでしょうか」


 無理やり欲望に結び付けようとしているだけとしか思えないわ。親父と同じように、むずかしい話で言いくるめようとしているのよ。


詭弁(きべん)を弄しておるのは人の側だな。己の欲望でしか動かぬくせに、その責任転嫁のために詭弁(きべん)を弄す」


 ぐぅ。……理屈だけで考えれば、たしかにあたしのほうが詭弁(きべん)かもしれないわ。論理的な根拠がないものね。でも根拠がなくても愛を感じてはいるわ。欲望の一面なんかじゃないわよ。……きっと。


「うぅ…… 納得できないというか、したくないです」


 みんなの優しさが、愛が、すべて欲望でした、なんてね。そんなの、理屈で説明されたからといって、はいそうですかと認められはしないわよ。


「そうであろう。人は愚かだ。愚かさゆえに、事実を認められずに道を違える。ゆえに導かねばならぬのだ」


 愚かなことは自覚していますよ。でも、だから道を違える、ですか。愚かだから破壊をもたらす芽をも育んじゃうってことですよね。それは大問題ですね……

 うーん。でもやっぱり、愛と欲望は違うと思うのですよ。


 ハァ。でもこんなことであたしを言い負かしても、ガルマさんにはなんのメリットもないのよね。きっと、あたしを導こうとしてくださっているのよ。

 無謀なあたしたちのわがままに応えて同行してくださって、なんでも教えてくださって、いろいろと助けてくださっているわ。今も無償でつき添ってくださっているのよ。

 こんな、ありえないほどに優しい方が、欲望以外のすべてを、愛すらも欲望だと否定するような生き方でいいのかしら。そんなの哀し過ぎるわよ。あんまりだと思うわ。

 ……ガルマさん自身は、それで幸せなのかしら。見てるあたしのほうが哀しくなってきちゃったわよ。


「ガルマさん。みんなから畏怖されて、敬遠されて、寂しいとか哀しいとは思われないのですか」


 人がトカゲと大差なく見えるのであれば、人から避けられても気にはならないのかもしれませんね。あたしもトカゲに逃げられたところで気にはなりませんもの。

 でもガルマさんは人の御父上をもたれ、人の世界を旅しておられるわ。ならば人に避けられていては、やっぱりおつらいのではないかと思うのよ。力の差が歴然としておられるとはいえ、無関係の存在ではないのですもの。


 ん? どうしてかしら、驚いていらっしゃるかのような雰囲気だわ。あたし、変なことは言っていないわよね。


「ふ、ふは、ふはははは…… そうだな。お主は実に…… 実におもしろい」


 な、なによこれ? ガルマさんが本当に喜んでおられるかのように初めて感じるわ。なんだかとても(うれ)しそうね。

 今までは笑われていても、(うれ)しいと口にされていても、喜ばれているような雰囲気はまったく感じられなかったのよ。それがどうして今このタイミングで感じるのかしら。そもそも、どうして笑っておられるのよ。わからないわ。

 あたしはガルマさんの哀しみをお察ししていたのよ。それを笑われているのよね。はっきりと、おもしろいとまでおっしゃったわ。


「え?」


 あたしは、寂しく思われないのかとお聞きしただけよね? うん、間違いないわ。やっぱり笑いの要素なんてないわよね。なにか誤解をされたのかしら。


「竜に連なる者に、そのような問いをかけたのは、お主が初めてであろうな」


 そもそも畏怖されておられるのですから、問いかけられる機会もほとんどなかったのではありませんか……


「それこそが、世界をつくった切っ掛け、と言えるのかもしれぬ」


 え。 笑われたのはそういう偶然の一致のことなのですね。哀しみをお察ししていたところを笑われたので混乱しちゃいましたよ。

 それにしてもまた、世界創造の切っ掛けとはね。とんでもなく大きなお話につなげてくださるものですよ。あたしごときがお聞きすることではなさそうだわ。でもここでお聞きしないのも失礼に思えるわね。しつこくならない程度にはお聞きしておくべきかしら。


「竜神様がお寂しかったから、世界を、人をつくられたと?」


 でもそれなら人の世界を滅ぼされたりはせずに、積極的に導かれそうなものよね。滅ぼすことで寂しさを紛らわせられるとは思いがたいわ。むしろ一層、哀しくなっちゃうわよ。


「残念ながら今の人ではたりぬ。あまりにも未熟なのだ」


 未熟すぎて、導いてもむなしくなるだけということなのかしら。まぁトカゲと大差ないように見られているんだものね。仕方がないのかしら。

 そもそも世界を創造なさらずとも、お話し相手をつくられればいいことよね。いや、すでにつくられているわよ。


「でも、竜に連なる者って、ほかにもおられますよね? その方たちではダメなのですか」


 実子であれば、寂しさを紛らわせるうえでは最高の相手になりえるはずよね。そうよ、親子の愛が――


「竜に連なる者は一体だ。意思が独立しておるとはいえ、感じ方も考え方も皆が同じなのだ」


 あぁ。やっぱり人の親子とは違うんだわ。

 皆が同じというのは、御母上でもある竜神様とのことですよね。御父上のほうはまったくの影響なしですよと。人としては哀しくなるわ。でも今はそういうお話じゃないのよ。


「人がみんな、あたしと同じになる感じですか。よくわからないですね…… でも、たしかにつまんなそうかも」


 要はクローンみたいな感じよね。いや、クローンなら育った環境の影響で変わっていくわ。もっと極端に同じということなのよね。一体とまでにおっしゃっているんだもの。

 自分がやろうとしたことを、みんながやるということかしら。理想形にも思えるわね。

 でもおもしろみの生まれる要素がないんだわ。だって争うどころか競うことすらないのよね。独特の発想をする者もいないということよ。誰もが、わかりきった当然のことしかしない日常が続くんだわ。それも不老不死だから永遠にね。なんだか拷問みたいに思えてきたわよ。


 あ。このガルマさんの目には覚えがあるわ。最初にアルフの境遇を説明したときの優しい目よ。どうしてかしら。あのときは、この直後になぜか驚かれたのよね。


「あまりに未熟とは言ったが、お主の問いには驚かされた」


 そういえば、笑われる前に…… やはりあの雰囲気のときは驚かれていたのですね。

 いや、ふつうに誰もが疑問に思うようなことのはずですよ。ただ、ガルマさんに対して問いかけるような機会が誰にもないだけですよね。


「驚くほど大層なことじゃないと思いますよ」


 もしあたしが、ガルマさんみたいに、人から避けられていたら耐えられないと思うもの。

 相手の気持ちで考える、そう、これも愛よ。欲望なんかじゃないわ。


「よもや大願の片鱗(へんりん)を見透かされようとはな」


 ぶ。なんですかねそれは。またわけのわからない単語がでてきたわよ。もしかして、ものすごい誤解をされているのかしら。きっとスルーしたらまずいわよね。


「え? いえ、見透かすとかそういうのじゃなくて、あたしなら寂しいだろなって思っただけで」


 誤解があるのなら解かなきゃね。ガルマさんが相手だと、ささいなことでもとんでもないことになりかねないわ。


「もしかすると、我が思うよりも、事はなりつつあるのやもしれぬな……」


 あら? 話がつながっていないわよね。ガルマさんとのお話で、こんなことは今までになかったと思うわよ。


「あの、聞いておられます? ガルマさん?」


 あら、眼を閉じちゃったわ。なにかを誤解されたままみたいよね。大丈夫かしら。心配とはいえ、あたしの声が届いてはいないみたいだわ。


 それにしても、この世界をつくられた理由が、竜神様の寂しさからだったなんてね。つまり大願というのは、竜神様の寂しさを紛らわせるということかしら。

 寂しさを紛らわせる、か…… あたしたち人にとっては、簡単で、当然の、とても小さな願いよね。でも人がトカゲと大差なく見えちゃうほどの、偉大な竜神様にとっては、誰にもかなえられないほどの大きな願いになっちゃうんだわ。話し相手たりえる者がどこにもいないのよね。

 ガルマさんは、今の人ではたりぬ、あまりにも未熟とおっしゃっていたわ。それはつまり、将来的には人が成長して、お話し相手になりえると期待してくださっているのよね、きっと。何世代も先を見越しておられるんだわ。


 アルフはもう寝ちゃっているわね。ガルマさんは自分の世界に入られたまま戻られないみたいだし、あたしも寝ようかしら。

 それにしても驚いたわ。なんでも見透かしておられそうなガルマさんですら、勘違いをされることがあるのね。あたしはなにも見透かしてなんていないのですよ。それどころか、きちんと説明されたことですらも、すべては理解できなくて泣きそうなのですわ。でもせっかくの機会なんだし、がんばって理解しなきゃね。


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