9.中継都市 クロスロード
閑散としていた街道からは打って変わって、草原へと出てきた俺の眼には、クロスロードへと向かう商隊らしき馬車の群れがいくつも見えた。
あらゆる方向から、同じくあらゆる要件を持ってあの巨大な城砦へと向かっているのだろう。行き交う荷馬車の数は目に見える分だけで五十以上はある。その全てが物か、あるいは人をごまんと積み込んでいることだろう。
が、都市から遠く離れた場所から眺める分にはそんな仰々しい荷馬車の群れも、中継都市の巨大さからすれば象に挑む蟻さながらだ。
そんな蟻の一匹になるべく、俺達を乗せた《風の馬車馬》も進み続ける。
ここまでくればほぼ安全は確保されたと言っていいだろう。まだ城砦の中にまで入ってはいないが、なにせあの都市は再征者が活動する上での中心地とも言える場所だ。
そこから離れた森林や山岳地帯とかならまだしも、都市の直ぐ側に魔物の群れが現れるようなことはほぼない。万が一にもそんなことがあれば、瞬時に都市から無数の戦闘要員が飛び出してきて、あっという間に撃退されるだろう。
そういうわけなので、ようやくもってこちらも一息つけるといったところだ。まぁ、別に何処で何時でだろうと魔物がいくらから寄り集まってきたところで自分一人で対処できるわけだが、まぁそれはそれだ。
――さて、ここでそろそろ、俺が今どこにいるかということを再確認するとしようか。
再征者がどうだ、中継都市がどうだという前に、何より重要なことはそれだった。
ここはそもそも、何らかの“国家”の中であるのだ。
“ハンブルク大陸”。
海に浮かぶ広大な大地の、その四割を支配する大国である“ゲルマニア王国”。
二百年前大陸を襲った“脅威”によって多大な被害を受けたかつての原住民達が、後に再征者と呼ばれる者達の奮起により再起を果たした。その始まりはほんの小さな街でしかなかった。それがこの国の原点だ。
その小さな街は、失われた人の繁栄を取り戻すという大義の下、瞬く間に大陸中に散らばった戦乱の生き残りをまとめ上げ人員を増やし、魔術の発明と進歩により急速に文明を再建させていった。
結果、元々は別々の国の民であった者達が、あらゆる国家が機能しなくなった荒廃した大陸の中で今一度ひとつになり、新たな統治機構を作り上げた。街は都市へと変わり、やがて大陸のおよそ半分を統一する国家にまで拡大した。
それがゲルマニアという国の、ごくおおまかな成り立ちだ。
その長となる者、初代国王の座に即位したのは他でもない。荒廃した大地の上、誰もが絶望に打ちひしがれるその中で最初に立ち上がった者。全ての再征者の始祖とも呼べるべき勇者――キスケ・フォン・ゲルマニアである。
彼の子孫である王家の統治の下、戦乱が起こる以前と同じか、あるいはそれ以上の繁栄を取り戻したゲルマニア王国は、大陸に散在する都市国家(王国と同じく文明を再建しようとした、かろうじて国と呼べるようなごく小さな集まりである)と同盟を結び積極的に援助を行いながら、未だこの世に残っているかつての戦いの残滓、すなわち魔物達を完全に駆逐し、人類の栄光を取り戻すことを悲願とし二百年という歳月を永らえてきた。
ゲルマニア王国を構成する最も重要な要素は何より、かつて絶望の淵から這い上がり人々の先頭に立って戦い続けた“ゲルマーニアンⅠ世”ことキスケ王、その意志の継承者とも言うべき再征者であると言える。
この国は、領土の中心に位置する“王都 ジェリコ”と、それを取り囲むように四方に建造された中継都市を主にして構成されている。後は各地に小さな都市がある程度だ。
王都に全ての権力と力を集中させていては、広大な国土の全てに散らばる魔物に対応しきれないし、何らかの理由により王都そのものが機能不全に陥れば、そのままなし崩し的に国全体の危機となる。
それこそ、かつて世界を滅ぼしかけた脅威がもう二度と現れないとも限らないし、その場所が王都でないなどとは誰にも言い切れない。キスケ王はそのことを危惧していたということだ。なるほど、聡明な王だ。存命の人物ではないので詳しい人柄は分からないが、あの妙に頼りない“神様”なんぞよりずっと尊敬できる人物だ。
まぁ、それはそれとして。そのため、国の要たる再征者が活動するための拠点となり、有事の際には国土防衛の要衝となるべく個別の指揮系統として機能するように四つの中継都市を築き上げた。王都が掲げる大義を国全体へと広めるための足がかりとし、また決して途切れさせない。その名通り中継ぎのための都市というわけだ。
その性質上、それぞれの中継都市にはすべて合わせると全国民の半分近くに達する人々が滞在している。その繁栄の程は国の中枢である王都以上と言われており、それぞれの中継都市が蓄えてある戦力もまた王都に匹敵すると言われている。もっとも、当然ながら王都自体もその防衛力は強固であることは言うまでもないが。
――俺達が今いるのはそんなゲルマニア王国の領土だ。
王都ジェリコから見て東側に位置する中継都市であるクロスロード。《風の馬車馬》が少しずつ近づいていくにつれますますその威容を見せつけてくる華やかさもなくただ無骨で巨大で堅牢堅固なる城砦は、ゲルマニア王国が国としての権威以上に、魔物に対抗し荒廃した大陸を再び開拓するための“力”を重視しており、それらを円滑に機能させるための構造として国家を維持していることの証左であった。
この城壁を越えて中継都市の中へと入る手段は二つある。もっともその内の一つは壁のない上空から中に入るというものなのだが、余程の緊急事態でないかぎりそれは認められておらず、許可もなく都市の上空に出れば無数の迎撃手段で文字通り瞬きする間に殺されることになるだろう。
そのため現実的な方法としてはただ一つだ。
城壁にある十六個の門、そのいずれかを潜ること。それだけが都市に入るための手段になる。
そしてその十六の門の内の一つが、俺達を乗せた《風の馬車馬》の目前にその大扉を開けて待っていた。
先程通ってきたゼアの森の街道がさらに二つ分収まるほどの横幅と、それ自体が一つの建物に匹敵するほどの高さをもった、さながら世界を丸呑みにする怪物の口腔じみた空恐ろしい門だ。
実物を見たわけではないが、パリにある凱旋門などはこれぐらいの大きさなのではないだろうか。
いや、あるいはそれよりも一回り大きいかもしれない。しかもこちらの場合、ただでさえ大きな門をさらに巨大な壁が押しつぶさんばかりに固めているのだから尚更驚異的だ。
とはいえ、いつまでも面食らっているわけにもいかない。
《風の馬車馬》を留まることなく進め、怪物の口の中へと侵入を試みる。
……と、意気込んでは見たものの、まあ所詮はただの門であるわけだから、くぐるだけで何かが起こるなどというものではない。
ただ、門を通過し終えるか否かというタイミングで、三人の男が馬車を呼び止めてきた。
「無事の帰還を祝福しよう。あるいは初めての来訪を歓迎しよう、というのが正しいか。それはそれとして、貴方の身分と積荷の内容を調べさせていただきたいのだが、よろしいかな」
「……」
まぁそりゃそうだ。誰でも彼でも門をくぐればすぐ『ようこそいらっしゃいました』とはいかないだろう。
どうやらこの男達は、門に駐留する衛兵の類のようだ。ルチアーノの連れていた取り巻き共とよく似た大きな外套を(色はくすんだ緑色だが)身にまとい、外套と同じ色の大きな円筒状の帽子を被ったその姿はどことなく軍隊じみていて、それだけでこちらの身が緊張で引き締まる思いだ。
この外套は制服の一種なのだろうか。となると、色は違うが形のよく似たものを着ていたルチアーノ達も、実際のところはただの再征者ではないのかもしれない。
ともかく俺達は衛兵達になされるがまま、門の奥へと連れられた。
※
連れられた先は、城壁の内側にある空洞をそのまま利用した、馬車の停留所兼関所であるようだ。小回りの利かないキャラバンなどは、一端移動のための足をここに預けておくのだろう。そしてここで一度検問を受けなければ、本当の意味で中継都市に入ることはできないというわけだ。
よく観察してみると、関所には他にもそれぞれ別の衛兵から検問を受けている行商人らしき者が大勢いるのが見えた。
連れられた先にある石造りの柵の中に《風の馬車馬》を停留させる。移動もしていない時にまで風を起こしている必要はないので、魔術は解除しておいた。
牽引していた二頭の馬が消えてしまうと残るは荷台だけとなり、広い柵の中にぽつねんと鎮座する様は言い様のない貧しさを醸し出す。
「安定した風の魔術だ。優秀な魔術師のようだな……」
三人組の一人がそんな小さな感嘆を述べてからすぐに気を取り直し、こちらに呼びかけてきた。
おそらくこいつが衛兵の中のまとめ役なのだろう。他の二人よりも少し歳が上のようだし、顔つきも威厳がある。
「貴方にも降りていただきたい。これより荷台を確認する」
「……分かったよ」
面倒なことだが断る理由もないので、荷台から足を降ろすことにする。
ほどなくして残りの若い二人が荷台を覗き込むと、中に座り込んでいた少女の姿に気づいた。
「再征者?……《下級》か。君も降りるんだ」
そう命令する口調はぶっきらぼうなものだったが、あくまでそれだけだ。少女が《下級》だからどうこうという感情は感じられない。
まぁ、彼らはこうやって都市にやってくる者達をいちいち調べるのが仕事だ。今朝からでももう何台、何十台という荷馬車を検問してきたのかもしれない。いちいち相手の地位や階級がどうだとかいうものに拘泥するのも億劫になってるのだろう。
少女の方もやはり文句を言って成り行きを無意味に拗らせる意味もないので、呼びかけに大人しく従い荷台から降りた。
そうして二人の衛兵は改めて荷台の確認を始めた。
こちらはまとめ役の男よりも若く、下っ端なのだろう。荷台をあれこれと物色しながら、仕事中であるというのに平気で私語を言い合っている。
「これは、葉っぱを固めて覆いにしてるのか。一枚一枚ぴったりくっついてるし、いい精度じゃないか。ホント、優秀な魔術師だよ」
「中身は……何だこれは?――あぁ!《カーネイジウルフ》じゃないか!こりゃあ大物だ。ご丁寧に《停滞》まで使ってるぞ。しかし、身体の大部分が分解されてるなぁ……魔術の材料にしたのか?」
「にしても使いすぎだろ。これは、なんか怪しいぞ」
語る口調は軽薄なものだが、内容は案外的を射ている。魔物を魔術の材料にしたこと、しかもその魔術が並大抵のものではないことも見抜かれている。
あんなナリだが、衛兵達にも魔術の心得はあるようだ。あんな下っ端共でもそれほどなのだから、リーダー役の男はそれ以上の実力があるのだろう。
なるほど、衛兵なんて役職を任せられるだけのことはある。
さて、そんなリーダー役はというと、好き放題やっている下っ端達の方を向いて辟易したように一度鼻息を鳴らしてから、こちらをじっと見定めてくる。
「積荷を痛めたりはしないので、“アレ”については容赦していただきたい。それはそれとして、こちらから発行している入都許可証か、王国公認の身分証明書はお持ちかな」
「――あ」
思わず声が出た。
あの神様の野郎、またしでかしやがった。そんなものが必要だなんてまったくもって教えてくれなかったぞ。
……ああいや。とはいえこれは想像力の不足していた俺の責任でもある。
考えれば分かることだ。検問があるということは即ち、自分達に危険がないということを証明するということ。そしてそのためには何より、規則に則った確かな形式というものが必要になる。
所謂、パスポートの類のような。
が、生憎俺はそんなもの持ち合わせていないし。身分を証明しようにも俺はこの世界においてはどこの国の住人でもない空っぽの人間と言ってもいい存在だ。証明するもの自体がどこにもないのに何を見せればいいというのか。
これは参った。一体どうすればいいものか……
「いやあ~、その、自分はしがない旅人で……」
こんな誤魔化しでどうにかできるわけがない。
衛兵はこれみよがしに眉間に皺を寄せていた。
「入都許可証か、身分証明書を提示せよと言っている」
その口調にも、明らかな威圧の色が見て取れる。
興味深そうに荷台からこちらを覗き見てきた下っ端達の内の一人が、追い打ちを駆けるように言う。
「兵長。そちらの色黒の子供は《下級》の再征者のようですが、もう一人の方はどうも違うようですよ。生紋が照合できません。おそらく王国の人間ですらないですよ。再征者でもないのに《下級》を連れているようです。これじゃ正式な契約をしているかどうかも怪しいですねぇ、いやはやどこから拾ってきたんだか……」
――“生紋”。
聞き慣れない単語だがどういうものかは分かる。神様はこういうことだけはしっかり知識を与えてくれていたようだ。
確か、ひとりひとりの生物が持つ根源の波長だったか。それらは生物ごと、その個体ごとに違う形をしており、人間とてそれは例外ではない。いうなれば遺伝子情報のようなものだ。
それらを指紋だとか静脈の形みたいに登録することで、ゲルマニアでは国民の情報を管理している。
ごく簡単な魔術を用いればそれを読み取ることが可能だ。あの下っ端は断りもなく俺と少女の生紋を読み取ったらしい。まぁ、検問である以上それはやむを得ないことなので気にしないが。
そして当たり前のことながら、そんなものを読み取られたのは今が初めてだ。俺の生紋がこの国に管理されているわけがない。なにせつい先程まで俺はこの世界の住人ですらなかったのだから、生き物としてはそれこそ産まれたてホヤホヤと言ってもいい。
いっそ神様がその辺まで根回ししてくれればよかったのに……いや、高望みしすぎか。
とにかく、益々もって状況は思わしくないものになってきた。
兵長と呼ばれたリーダー役の顔つきは最早怪訝ではなく敵対のそれだ。
ゲルマニアは大らかな国ではあるが同時に厳格だ。故意をもって規律を乱す者に対しては毅然として容赦はない。
このままだと下手すれば再征者になるどころか犯罪者としてお縄を頂戴する羽目になる。それだけは防がなければ。
最悪今度こそこの場でひと暴れして逃亡するしかないが、それもそれでマズイ。もう二度とゲルマニアのどの都市にも大手を振って入れなくなる危険だって無きにしも非ずだ。
いっそ証明証を今から作ってしまってもいいが、まだこの世界のことを完全に把握できていない状態では絶対にボロが出るだろう。(神様の野郎が中途半端な知識しか与えてくれなかったからなあ……)
今は無理だ。
何か方法はないものか……
――あった。
俺という個人に証明すべき身分が無いのなら、それのある奴を頼ればいい。俺にはすでに、そのコネが出来ているはずだ。
そう、“あいつ”だ。またしてもあいつに頼ってしまうのは情けない話だが、背に腹は代えられない。
というかそもそもあの森の時点で向こうが何か手を打ってくれればよかったのだ。まったくどいつもこいつもツメの甘い……いや、八つ当たりはダメだカッコ悪すぎる。多分向こうはこっちが入都許可証を既に持っているものと思っていたのだろう。
まぁとにかく、今の俺にはその名を出す以外にこの状況をなんとかする方法はなさそうだ。
「……ヴィットリオ・ルチアーノだ。そいつに確認を取ってくれ。ニイハラ タカヤの名前を出せば分かってくれる」
目の前の兵長が僅かに眼を見開き、一瞬の沈黙がその場に留まった。
数秒の間を置いて、荷台にいた下っ端の一人が驚嘆を上げる。
「ルチアーノ殿下に?」
『殿下』?
一度聞くだけで物々しい印象を抱かずにはいられないその大仰な言い方。あいつって結構偉い奴だったのか。
まぁそのおかげとは思わないが、これは手応えありだ。
当人にはどうせ聞こえないだろうし、ここは素直になって心の中で感謝をしておくか。
ありがとう色男くん。