6.駆け引きのない駆け引き
「……異なことを」
ルチアーノはただそうとだけ返した。こちらの発言の真意を計りかねる様子の連中に対し、俺は続ける。まず俺の考えが奴らには理解できないという事実が、腹立たしかった。
「あんたら、この子を囮にしたな。“こいつ”が彼女を襲っている間に、隠れて魔術で攻撃するつもりだったんだろう」
それに色男は、相変わらず眉根ひとつ動かさず馬上で応えた。
「その通りだ。《カーネイジウルフ》は強靭な四肢と、入り組んだ森の中をも縱橫に駆け回るだけの敏捷性を持つ。なおかつ聴覚と嗅覚に優れ洞察力も良い。しかし、それらをひとつの獲物を狩ることのみに特化させていおり、そのため一度狩りを始めると周囲への注意力が散漫になる性質がある。となれば、こうするのは合理的だ」
「……ひとり、ふたり――あんたを含めて六人か。それだけの再征者が雁首揃えて、セコい真似をするもんだな。自分達だけじゃこんな獣一匹倒せないなんて、笑い話にもならんだろ」
俺は明確に貶すつもりで言った。それに乗せられたのか、馬上の集団、無個性なフードの群れのひとりが身構えるのが見えた。
「貴様……」
が、それをルチアーノが制止した。こいつ、こちらが何を言おうと涼しい顔のままだ。
「貴殿は誤解をしている。彼らは、皆再征者としての実力は成熟している。獣一匹程度、一対一で仕留めることは充分可能である。が、“依頼”で確認された討伐対象は十匹だった。単純に頭数が違う。こちらも相応の人員を用意するべきだったのだろうが、いかんせん他の依頼が立て込んでおり数を揃えることができなかった。それについては我が不徳の致すところであることは認めよう。不甲斐ないことだ。
――かといって、この“ゼアの森”を通過する街道は“中継都市”であるクロスロードと他の都市を結ぶ交通の要衝だ。そこに魔物が住み着き群れを形成しつつあると聞けば、例え少人数であろうと迅速なる駆逐を遂行せなばなるまい。わずかでも遅れれば、それによりどれだけの損害が出るのか計り知れない。物的資源にせよ、人的資源にせよだ。そうである以上、確実に依頼を達成できるように手を尽くすのは当然のことだろう」
「それがセコいって言ってるんだ」
「臆病だという誹りは甘んじて受けよう。誰もが貴殿のように勇ましく、自由なわけではない。私の同僚達は皆優秀な魔術師だ。自らの人生の全てを捧げ研鑽を積み、再征者として人々のために尽くす国の宝と言える。彼らが一人でも生命を落とせば、それはこの国に住まう全ての人々にとっての痛手となる。万が一であろうと、依頼において犠牲を出すわけにはいかないのだ」
そう語るルチアーノの眼差しには、真に迫るものがあった。こいつは心から、自分に同行する再征者達の身を案じている。その心根自体は善いものなのだろう。
だからこそ、それが余計に俺の神経を逆撫でした。
少なくとも、今しがた綺麗事を抜かした舌の根も乾かぬ内に次の言葉でこんなことを宣うような奴を、俺は手放しに認めることはできない。
「おあつらえ向きに有効な手段があったので活用させてもらった。《下級》と二十人契約し、彼らを森の中に撒き餌として待機させた。そうして《カーネイジウルフ》の群れが彼らを襲っている間に、こちらは魔術による狙撃を行い各個撃破する。彼らはよく働いてくれた。そのおかげでこちらの被害はほぼなきに等しい状態で依頼を達成することができた。最後の一匹を仕留めてくれたのは他でもない、貴殿だ」
色男は特に何の感慨もなく、ただそういう結果があったという事実だけを冷然と言い放った。その中で、俺が魔物を一匹仕留めたということにだけは明確な賞賛の意思を感じられるのが逆に薄ら寒かった。
「二十……」
いや、薄ら寒いなどというものではない。全身を悪寒がはしるのを感じた。一瞬だけ、血管が一つ残らず凍りついたような気分になった。
《下級》、奴隷同然の境遇で扱われる最底辺の再征。
それを二十人、囮としてこの森に連れ出したという。
彼らがどうなったのか。それを考えたくはなかったが、勝手に頭の中に答が浮かんできた。
おそらく彼らは一様に、件の少女と同じように小さな手斧だけを――魔物相手では武器とすら呼べないものだけを手にして、獣の群れに投げ出された。それで生き残れる者など誰もいないだろう。
現にルチアーノが率いる集団の中には、馬にまたがる魔術師らしき者達以外には他に誰の姿も見えなかった。
では《下級》の者達は、今どこにいる。
他でもない。せいぜいこの森のどこかで原型も留めないほどに解体された状態で放置されているか、あるいは獣の死骸の腹の中だろう。
さすがにそうなってしまえば、どんな魔術を行使しようと助からない。
《肉体生成》で体組織を作っても、それを機能させる最低限の生命力すらないのでは、何の意味もない。
すでに死んでしまった者達は、どうしようもないのだ。
不意に、近くで息を呑むような微かな呻き声が聞こえた。その方を向く。
……彼女だ。先程まで刺すような視線でルチアーノを睨みつけていた少女が一転、褐色の肌を僅かに青くさせて顔を俯け、小さく身震いしているのが見えた。
瞳孔が震え焦点も定まらない眼で地面をぼんやりと地面を眺めるその顔は、そのまま少しずつ縮こまって消え入りそうにさえ思えた。
もしかしたら、彼女は見たのかもしれない。獣に押し倒され、生きたまま喰われていく人の姿を。
そうして思い出したのだろう。一歩間違えれば、自分もまた彼らと同じことになっていたのだということを。
それに感化されたというわけでもないが、俺の脳裏にも先程の彼女の姿が想起された。踏み潰された果実のように、裂けた皮から“中身”を垂れ流す、生きたヒト……
一人の人間がこんな表情をすることなど、あってはならないことだ。
自然からの、逃れようもない出来事に対してならまだ仕方がない。だが、他者からの明確な意図をもってあんな目に会わされること、それは絶対に間違いだ。
俺は再び、ルチアーノの方へと向き直す。
「この際御託はいい。それで、どうなんだ」
先程の話の続きを急かす。この娘を、こんな奴と一緒にいさせてはいけない。
数秒の沈黙を置いて、奴は応える。
「再征者はいかなる階級であろうと、国家に雇用される国の所有物だ。今は私が国からの許諾を得て今回の依頼への同行者として契約し、一時的な命令権を得ているだけに過ぎない。厳密に言えば特定の誰かのものというわけでもない。私のものでもなければ、当然貴殿のものでもない。この場で彼女の所有権を唱えることができる者など、いないと思うのだが」
奴の言う通りだ。再征者とは国のためにその身を捧げる存在であり、その身柄は実質的に国家へと帰属している。すなわち、個人の所有物ではないということだ。
そもそも彼女は俺のものではない。そう語るルチアーノの言葉は正論だ。
だが、そんなことは俺だって分かっている。こちらだって、何もあの少女を自分のモノにするつもりなどない。
それでも、だ。奴の正論に俺は食い下がった。
「……なるほど、少なくともあんたのモノじゃないってことは認めてくれるわけだ。だったら選ぶのはこの子の自由だ。この森を抜けるまでの間、誰についていったとしてもいいってことだろ?この子、少なくともあんたとは一緒にいたくないってさ(本人がそう言ったわけじゃないが)。そして俺も、あんたみたいな野郎の近くに彼女をいさせるのは嫌だ。それに、その依頼とやらはもう終わったんだろ?ならあんたの言う契約とやらもこれでお終いだ。あんたにはもう彼女に対して何を命令する権利もない」
正直、俺の言っていることは屁理屈だった。啖呵を切ったのは良いものの、俺には自分の発言を正当化できるだけの材料など持ち合わせていない。
そもそも彼女をルチアーノから引き離そうというのも、沸き起こった衝動に一切の躊躇なく従ったからであって、そこに合理性など存在していなかった。
それ以前に俺は今しがたこの世界にやってきたばかりなのだ。再征者と呼ばれる者達の存在は知っていても、それを管理するシステムのことを完全に把握できているわけではない。そんな身の上で、おそらく再征者として場数を踏んでいるであろう相手と取引をしようというのが無茶な話だった。
これじゃ駆け引きでもなんでもない。情けない話ではあるが、向こうが俺の申し出を一度断ってしまえば、もうこちらとしては何も言い返すことはできない。
――それでもだ。せめて気持ちの上ではあいつに引けを取りたくはなかった。
こうなったら意地だ。それが正しいことなのかどうかという確証すらないが、彼女をこのままあの色男のところに戻すわけにはいかない。
最悪の場合、実力行使もやむなし。
上等だ。世界の破滅から人を守るためにやってきた俺の最初の仕事が、人様に迷惑をかけることだなんて三流の喜劇だ。面白いじゃないか。
そんな俺の気概に押された……ということではないのは確かだろう。
しばらく考え込むような素振りを見せたルチアーノが次に言い放ったのは、こちらとしても拍子抜けするような回答だった。
「いいだろう。何故そうするのかはやはり理解しかねるが、貴殿がそう望むならそうしよう。確かに今言った通り、依頼を完遂した以上“それ”との契約も終えて構わない。必要だというのなら、こちらから組合に契約更新の手続きもしておこう。命令権を貴殿に譲渡するようにな。ニイハラ タカヤ殿――その名を勝手に使わせて頂くことにはなるが」
「……」
今分かった。
要するにこの男は合理的なのだ。魔術師を失うリスクを防ぐために、他の誰かを差し引きにできるならば迷わずその方法を取る。
そうして、目の前の少女に対し執着する理由もないのだから、手放せと言われれば手放す。
こいつは彼女のことを単なるモノと……それどころじゃない。物事を構成するための一つの“単位”としか見ていない。
根本的に彼女のことを人間として扱っていないのだ。
呆然とする俺に、ルチアーノは続けて言う。
すでに奴は少女に対して何の意識も向けていない。ただ魔物を倒したという事実をもって、俺のことを一人の優秀な戦士、そして敬意を示すべき友人として見ているだけだ。
……虫唾がはしる。
「さて、こちらとしてはこの場に長居する理由もない。討伐した魔物を回収しクロスロードに戻るのだが……貴殿はどうする。我々に同行するか?」
そんなわけがあるか。こちらとしても、ひとまず求めるだけの成果は得られた。そうである以上、こんな男とはもう口を利きたくない。一刻も早くこいつらから離れたかった。
「こっちはこっちでここから出ていく手段はある。あんたらと一緒なんぞ御免こうむる」
とは言ったものの、非常に不本意ではあるのだが――まったくもって不本意ではあるのだが、最後の最後に奴らを頼らなければならないことがあった。
「ただ、その……なんだ」
苦々しく言いよどむ俺の考えを察して、ルチアーノの方から先んじて応える。
まったくもって、つくづく癪に障る男だ。
「森を抜けたいのなら、向こうへとまっすぐ進むといい。しばらくすれば整地された道に出る。それから右に曲がって北東へ道なりに進めば、中継都市であるクロスロードが見えてくるだろう。距離は長いがさすがに“足”までは貸してやれない。もっとも貴殿のことだ、如何様にもできるだろう」
「……助かる」
ここで感謝しないのは、さすがに人間として“負け”だろう。
「他に何もないようなら、我々はもう発つとしよう。その《カーネイジウルフ》は貴殿に預ける。貴殿が仕留めた獲物なのだから、我々が横取りをするわけにもいくまい。身体の大部分は欠損しているが、“素材”として使える部分はまだいくらかあるだろう。素晴らしい戦果だ、どうか誇ってくれ」
そう言ってルチアーノは初めて笑みを見せた。顔つきとしては大した変化もない微笑であったが、一切の屈託のない笑みであり、それだけでもこの男が根本的な部分では善人であることが察せられた。
だからこそ、それが逆に気味が悪かった。
奴は他者に対してそれなりに義理堅い男なのだろう。しかし言い換えてしまえばそれは、奴が契約した《下級》はそもそも人間として扱われていないということだった。
それがこの世界における最底辺の人種の、一般的な扱いであった。
もういい。とにかくさっさとどこかへ消えて欲しい。
「また会おう」
そう言って馬の踵を返し去っていく色男には、何も応えなかった。
少しずつ小さくなりやがて木々の間に隠れて見えなくなるその姿を、しばらくの間ただ眺めているだけだった。
※
そうして森には木々のざわめきだけが響く、騒々しいはずなのに静まり返った一時が流れた。
さて、もうあの色男共のことはどうだっていい。
次なる問題だ。俺は改めて、少女の方へと眼を向けた。
彼女は顔を俯けたまま、無表情で虚ろな眼を地面に向けるだけだった。
まるで生きながらにして死んでいるようだ。その身体には、《生体生成》により正常な組織を取り戻しているはずなのに、血液の一滴も流れていないようにさえ見えた。それだけの無気力さが、彼女を支配していた。
重苦しい沈黙がどうにも気まずいが、さすがにこのままお互いに固まっているままではいけない。
意を決して俺は切り出した。
「その、なんだ……その~、なんだ……この際だからはっきり言おう。俺があんたを助けたことには明確な理由はない。ただ、偶然眼についたから助けただけだ。別に俺は、あんたに対して何か特別な思い入れがあるわけでもないし、あんたを助けることで何か利益があるというわけでもない」
それを聞いて、やっと彼女の身体に血の気が通い始めたような気がした。
少女はゆっくりと顔を上げ俺の顔を見返し、無表情なままで呟くように言った。
「それじゃあ、なんであのまま見捨てなかったの。理由も思い入れも利益もないくせに、なんで……」
相変わらず、彼女は俺の行動をむしろ否定してくるような言葉を投げかけてくる。まるで、俺がやったことは無責任な、単なる偽善だと批難するかのようだ。
……それは多分正しいのだろう。俺のやったことは、何か間違いだったかもしれない。
それでも、その上で彼女の言葉に返す言葉はある。
「それだけはやっちゃいけないと思った。そこに理由も意義もないけど、あんたをあの状況で助けることは絶対に正しいことだった。それは人としての最低限の責任だと、俺自身信じている」
「……」
とはいえ、やはり俺の行為は偽善なのだろう。自分の発言が急に明確な重さを持って身体の中にある見えない何かにのしかかってくるような気がして、その重圧から逃れるために結局こんなうだつの上がらないセリフを付け足してしまう。
「――でもまぁ、それだけだ。さっきも言ったけど、この後はあんたが決めることだ。あのいけ好かない色男と一緒にいるのは間違いなく嫌だったと思うが、かと言って俺についてくる理由もないわけだしな。森を抜けるまでは安全を確保するためにも同行してもらうが、その後はあんたの勝手だ。俺から離れるなり好きにするといい」
無責任な発言だ。それを言ってしまえば、そもそもあのままあの色男に預けたとしても結果は同じじゃないか。契約は終わったとルチアーノ自身も言っていた。そもそも彼女とあいつとの関係はこの森で魔物を駆逐する間だけだったのだから、放っておいてもしかる後に少女は奴から離れることにはなっていたのだろう。そこに俺が介入する必要なんてない。
こうやって『あくまでも俺とあんたは他人だ』と釘を刺すぐらいなら、魔物から助けただけで後はほったらかしにしてしまえばよかったんだ。
なのに俺は、自分の独断で彼女を自分の傍に引き寄せてしまった。
今となっては、それが何故なのかすら俺には思い出せない。
少女はしばらく黙り込んだ後、その眼に静かな怒りをたたえて呻いた。
「ふざけるな……!」
そう、それは怒りだ。彼女は怒っていた。他でもなく、自分を助けた俺に対して。
だが、それに対して俺は特別理不尽を感じるわけでもなく、ただ漠然と『そうなんだろうな』と思った。怒るだけの理由があるから怒るのだろう。その理由は俺にもなんとなく分かる。
それでも、結果としてこういう形になってしまったのは確かだ。それには否が応でも対処しなければならない。
ひとまず最低限の安全だけは確保する。それは決定事項だ。
なんであれ彼女は、俺に対しはっきりとした怒りを向けながらも、それ以上は何もしなかった。ここから逃げ出すわけでも襲い掛かってくるというわけでも、憎々しく眼を背けるわけでもない。ただ、じっとこちらを見据えている。
多分それが、彼女の答えなのだろう。
そうだ。先程の俺の発言は要するに、俺が彼女より上の立場にいることを無意識の内に誇示する、高慢さの顕れだったのだ。
それが、彼女の怒りの理由のまずひとつ目だ。
これじゃ、あの色男と何も変わらないじゃないか。
俺は……俺は何をしているんだ?
《肉体生成》により彼女の身体を強引に再生させている時に感じたものと同じ悪寒が、俺の身体――その細胞の隙間をすり抜けて流れていったような気がした。