50.暗闇に差し込む光に向かって飛ぶ、ブラウンシュガーのようなあんた
一心不乱に豚の丸焼きに喰らいつくフレデリカ。
その姿を眺めながら、ニイハラは硝子製の小さなグラスに満たされていた薄い褐色をした液体に口をつけた。
「いやぁ、しかし酒が美味いってのはいいね、この店気に入った!」
それに、グレンマレィが興味深そうに食いつく。
「お?樽詰めの麦蒸留酒を氷入りでか。渋いチョイスだねぇ~」
「そういうお前は熟成させるどころかさらにろ過させた奴じゃねえか、それじゃ酒じゃなくてただのアルコールだよ!」
「これがいいんだよこれがはははははは!」
ニイハラは、この世界に転生させてもらえたことをあの“神様”に感謝したかった。それは何故か。
ものすごく酒に強くなったからだ。
おそらくは、肉体の強度を高められたことによる副産物だろう。内臓も普通の人のそれよりも遥かに頑丈になっていた。つまるところ肝臓―――人体最大の“浄化施設”もだ。
それにより、大量のアルコールを雨のように浴びたとしても泥酔することがなくなったのだ。
ニイハラは酒が好きだ。しかし弱かった。
蒸留酒の氷入りなど、二杯も飲めば嘔吐は必至だろう。彼の一度目の人生がどうにも生き辛いものだったその最大の原因は、好きなものを楽しめないことにこそあったのかもしれない。
だが今は違う。今口にしたこの酒の美味さといったらどうだ。長年樽詰めにされていたことでゆっくりと熟成された、まるで煙を吸うかのような風味。それを静かに味わいながら、決して頭痛も目眩も手足のしびれも感じることなく、ただ脳みそがふわふわお空を飛んでいるような気分だけを楽しむことが出来た。
そうだとも。これが正しい酔い方、酒の嗜み方だ。彼はついにそれを実感することが出来た。
それだけでも、あのだらしのない“神様”に今すぐにでも会いに行って、平身低頭感謝の意を示したいほどだった。
「米麹を使った酒もある。甘くて美味いぞ~」
「いいねー!」
などと、グレンマレィと二人でビッと指を差し合うニイハラ。
と、そんな彼の耳朶の端を、食堂の中央で繰り広げられるひときわ大きな馬鹿騒ぎの声が打った。
その中心部にいるのは、なんとあのクロスロードの衛兵長であるブライアンだった。
いつもの寡黙で厳格として彼の姿は、今この場にはその残滓すらもない。
「なぁみんな聞いてくれー!先の戦いは本当、本当に!大変だったよなぁ」
その声に、周りにいる再征者達が手にした器を掲げながら相槌を打つ。
「大変だったカンパーイ!」
「乾杯ウェーーーイ!!私も大変だった!迫りくる魔物共に追い詰められ、幾度となく死の危機に晒されたこともあった!しかぁし!それを、ある一人の英雄が助けてくれたのだ!あの戦いに勝利出来たのは、ひとえに彼がいてこそだと私は思う!
さぁーみんなぁ!今からその英雄を呼ぼうぜ!ほら、そんな隅っこにいないでさぁ!」
「うっ!?」
「うぅわ……」
ユスティーナの『ご愁傷さま』と言いたげな顔。
思わぬ形で飛び火してきた。完全に出来上がってしまっているブライアンが、ズカズカとニイハラの座る席にまで歩み寄ってくる。
そうして、彼の肩をバンバンと無遠慮に叩いてきた。
「ほらニイハラよ。我々からの贈り物だ。景気よくイッてくれぃ!」
そういって、木製のジョッキに満たされた泡の塊のような液体を、数滴―――というか数飛沫ぐらい零しながら差し出してくる。
正直、“向こうの世界”にいる時には死刑宣告のようなこの行為であるが、今のニイハラには“鉄の肝臓”という頼もしい味方がいる。酒の一杯や二杯を飲むぐらいで喜んでくるなら、いくらでもやってやろうではないか。
「あんた性格変わってるぞ。毎日大変なんだなぁ……」
皮肉っぽくそんなことを言いながら差し出されたジョッキを受け取り、中身を一気に喉に流し込むニイハラ。
「かーッ!炭酸割りか、こんなモン水だよ!水も同然!」
「さすがは英雄!お見事!よ、お見事ー!」
周囲から拍手喝采が起きる。
ふと眼を向けてみると、ユスティの眼がすっかり死んでいるのが見えた。まぁ、ニイハラとしても気持ちは分からなくはない。
と、別人になってしまったブライアンが、尚もがなり声を上げている。
「―――ところでみんなー!私は知っているぞ。英雄は実は彼一人ではない。もう一人いるのだ!後から知ったのだが、誰にも見えないところでひっそりと戦い、しかし我々のような凡百な連中よりも遥かに多くの敵を倒した、“小さな英雄”がな!」
それを聞いた途端、心地よい酩酊にほんのりを赤らんでいたニイハラの顔が、途端に青ざめた。
やってしまった。そう思った。
ブライアンはニイハラが受け取ったジョッキを再度奪い返し、そこに机に置いてあった蒸留酒の瓶の口を突っ込んだ。ニイハラの持つグラスの三倍ほどは大きなジョッキに、酒が充填されていく。
「さぁ、我々は貴方を《下級》とは思わんぞ。これは感謝の証だ!さぁいっちょぐいっとイこうかぐいっと!」
そういって、今度はニイハラの隣にいたエリナに向かってジョッキを突き出す。
「へぇっ!?」
と、素っ頓狂な声を上げ、彼女はびくりと身震いした。
ブライアンのこの台詞は嘘偽りでも世辞でもなく、心からのものだろうし、なんならこの場にいる者達の総意でもあるだろう。
せめてもう少し別の機会ならまた違ったかもしれないが、今この状況で、獣のようにギラついた眼をしてそんなことを言われても、エリナには受け入れられるだけの心の余裕もなかった。
ニイハラは急いで止めに入る。
「おいおいおいおいおい、ブライアンさんあんた紛いなりにも公的機関の職員でしょうが、子供に酒飲ませるとか犯罪だぞ」
「犯罪?子供が酒を飲んではいけないなんて聞いたこともないが……」
「え゛。そうなの?そんなのアリかよ……」
「なぁー!みんなも聞いたことないよなぁー!」
背後にいる連中に同意を求めるブライアンに、野次のような返事が飛ぶ。
「何がないんだよ聞こえねえぞ~!」
「だってさ。まったく変なことを言いなさるなぁこの英雄サマは~!」
と、その英雄サマとやらを無礼にも無視して、そのままブライアンはジョッキをグイグイとエリナに押し付けている。とんでもない絡み酒だ。
彼女はというと、あの“ゼアの森”や“牧場での依頼”の時のように、あるいはそれ以上に狼狽しきった顔を見せていた。
―――改めて分かった。
初めてクロスロードにやってきた日、彼女が頑なに大衆食堂に入ろうとしなかった理由を。
かつて彼女を辱めてきた例の盗賊共も、このような宴を度々開いていたのだろう。酒を飲むと、人は大概自己というものを開放するものだ。
そして、その“自己の開放”というものはエリナにとって、暴力を伴う恐怖の対象ですらあったのだ。酔った野蛮人が一体何をしでかすのか。その一例はこの前彼女も話してくれたところではないか。
なんてことをしてしまったのか。
ニイハラは再び、そんな後悔の念に打ちのめされた。
“大地の臍”からの凱旋ムードのまま、いつの間にかこういう流れになってしまったが、彼女をこんなところに連れてくるべきではなかったのだ。
いや、『なかった』とまでは言わないにせよ、まだ早かったのだ。酔っ払いが誰も彼もが悪意の塊のような下衆共ではないのだということを知るには、まだ早すぎた。
無理矢理にでも、ブライアンを止めなければならない。
この際だ、周りに白い目で観られても構わない。今すぐこの、悪意はなく純粋に称賛と敬意に満ちているであろう彼をボコボコにして気絶させてでも、こんなことはやめさせる。
ブライアンも悪い人間ではないのだろうが、これはさすがにモラルというものがなさすぎるだろう。
「だからさぁおっさん……!」
意を決して彼に掴みかかろうとするニイハラ。
が、その直前。彼は自分よりも早くガタリと席を立つ音を聞いた。
フレデリカだ。
「止めよう。我々の友人にあんな顔をさせるようなら、少し痛い目を見ても仕方がないよな」
ニイハラよりも先に、彼女が行動を起こした。ブライアンをノシて黙らせるつもりだ。
……いや、待て。それはそれでマズいのではないか。彼女が他の者と喧嘩をすれば、最悪死者が出てもおかしくない。
「いや、いやいやいやいやいや」
なんだか事態がどんどんややこしくなってきた。ブライアンを止める前に、彼に殴りかかろうとするフレデリカを先に止めなければならないのか?
―――と。
結局ブライアンのこの蛮行を制止したのは、彼が持っていたジョッキを無理やり取り上げた、ある一人の男だった。
大きく裂けた頬の傷が未だに痛ましい。《騎士》のラルフだ。
「こいつは俺がいただこう。まったく嫌がってる少女になに無理やり酒を飲ませようとしてるんだ。こんなのクロスロードの市民に見られでもしたら、犯罪増加の原因にすらなりかねんぞ。飲めばいいんだろ?飲めば。こんな量じゃ全然足りんよ」
そのまま彼はわずかに身体を反らし、ジョッキをほぼ逆向きにまで傾けながら盛大に中身を飲み込んだ。
「んびんびんびんび」
裂けた傷口からわずかに酒がこぼれ落ちている。
「こぼれてるこぼれてる!」
「傷口からこぼれてるー!がはははははは!」
それでも一息で全て飲み干したラルフは、空になったジョッキと一緒に裂けた頬を撫でながら周囲に見せつける。
「消毒したのさ!見よこの男前!」
男前といよりかは、割とグロい光景なのだが。
「がはははははは!」
やかましいほどの笑い声を受けながら、彼は不意にエリナの方を流し目で見ながら、しきりにばしばしと両眼を閉じたり開いたりしていた。
「(え?あれはもしかしてウィンクのつもりなのだろうか?片目を閉じるだけのことすら出来てないぞ……)」
そんなことを脳裏で指摘しつつも、ニイハラは有り難くもこの事態をひとまず収めてくれた《騎士》の姿をしばらく眺めていた。
「お前らなぁ。こんな安物の酒で借りを返せると思ってるのか?―――おっと、店の人間にこんな失礼な発言聞かれたら出禁になっちまう。……それよりもなぁ、もっと分かりやすいものを贈ってやれよ。今回の依頼で得た報酬とかさ。俺はそうするつもりだぞ、なんせ彼らがいなければ死んでた生命だ。金の100イエズや200イエズぐらいくれてやるっていうのが誠意だろうが」
「そんなことする物好きなんてお前しかいねーよ!」
何やらさらりととんでもないことを言ってのけたラルフに対し、野次が飛ぶ。
「あぁそうかい!それはそれとして、武勇伝が聞きたいなら俺が話してやるよ。他でもない、この名誉の勲章が出来た時のことだ」
「そんな話いらねえよー!」
「誰だいらねえって言ったヤツ、ハッ倒すぞ!いいから聞けぇ!」
「がははははははは!」
すっかり馬鹿騒ぎの主役になってしまったラルフを、静けさ(?)を取り戻した“移ろいの民”も眺めている。
「わたしあのひとすき」
というフレデリカに、グレンマレィが冗談を返す。
「それなら結婚するか?子供の名前はどうする?」
言うや否や、彼の頭にユスティの平手打ちが飛んだ。
「これはそういう『すき』じゃないの!このセクハラおやじ、死ね!」
「……」
なんだかんだと言って、祝勝会は何事もなかったかのように続いていくようだ。しかし、ニイハラとしてはもう、素直に楽しめるような状況ではない。
改めてエリナの方を見てみる。
彼女も、酩酊した男共の圧倒的なまでの迫力にすっかり萎縮して、椅子の上で縮こまってしまっている。さっきまで一心不乱に食らいついていた料理にも手をつけていない。
このままここに居させるわけにもいかないだろう。
ニイハラは隣に座るエリナの手を取って、共に椅子から立ち上がった。
「宿屋に帰ろう。すまんがみんな、俺達はひと足お先に失礼する。悪く思わんでくれよ」
そう呼びかけた彼の言葉に対し、フレデリカが応える。
「何が悪いものか」
それにユスティが続く。
「エリナさんは、こういう機会は初めてなんでしょう。こちらとしても、無理に付き合わせて悪いことをしてしまいました。謝っただけで済むものかどうかも……」
「もしその気でいてくれるなら、今度は“移ろいの民”とお前さん達だけで、また会おう。どうせ、今後共長い付き合いになるだろうからな」
「……?」
最後のグレンマレィの言葉には何か含みがあるように思えたが、ひとまず“移ろいの民”も気前よくこちらを見送ってくれるようだ。
彼らと相席出来たのは助かった。長い間間近で戦ったから、というのは自惚れかもしれないが、彼らはニイハラのことを、それだけでなくエリナのこともよく理解してくれているらしい。
「そうだな、またよろしく頼むよ。今日はありがとう。……いろんな意味でな」
そうとだけ言い残し、ニイハラとエリナはラルフが周りの注目を一身に浴びているその隙を見計らい、そそくさとその場を後にし食堂から出ていった。
※
すでに夜は更け、日付も変わってしまっている頃合いだろう。
周囲の街は静まり返っている。戦いから帰還した再征者(レコン達)はともかく、今まで通りの日常を送り、明日も同じことをする都市の市民達としては、騒いだまま朝焼けを迎えるつもりなどないということか。
食堂から灯りと共に漏れ出してくる喧騒だけを余韻に残し、二人は暗い夜の街を進む。まったく、周辺住民にとってはいい迷惑だろう。明日組合に大量の苦情が寄せられるのは目に見えている。無思慮な衛兵長のブライアンも、散々叱られて反省すればいいのだ。それはそれで彼が可哀想でもあるが。
黙々と歩を進めるエリナの手を引きながら、自らも何も言わずに宿屋へと帰路につくニイハラ。
ふと彼は、羽織った外套の裏地に何か違和感があり、手で弄ってみた。
そうすると、一つのメモを取り出すことが出来た。例の、魔術により描かれた、“紙のないメモ”だ。
そこには、ある一つの魔術式の発動方法が描かれていた。どうやら、根源通信の“アドレス”のようだ。この術式を再現するだけで、相手とすぐにでもやりとりが出来るようになる。
その相手とは―――おそらくあのグレンマレィだろう。いつの間に仕込んだのやら、彼はニイハラが何かの拍子に必要になった時、すぐに“移ろいの民”と連絡を取れるようにしておいてくれたのだ。抜け目のないことだ。
「『長い付き合い』ってこういうことかよ……」
呆れ半分有り難半分、ニイハラはメモに書かれている術式を《誓約術式》に保存しておいた。
そうして彼は、傍らのエリナに声をかける。
「その……今日は悪かった。ああいう場にはいたくないってこの前言っていたばかりなのに。これは俺の責任だ、本当に申し訳ない。
けど、そのな。あんたが嫌だと言ってくれれば、俺だってそのまま真っすぐに宿屋に帰ったんだ。こういうことは、その……申し訳ないが、ちゃんと言葉にしてくれた方がこちらとしても助かる」
それに、数秒の沈黙を置いてエリナが応える。
「……そ。言った方がいいなら言わせてもらうけど。私は別に、あのままあそこにいたって良かったんだ」
意外な言葉であった。
「それは強がりだ。あんた、見るからに居心地が悪そうだったぞ」
「嘘じゃないよ。私にだって分かってる、そんなバカじゃない。みんな、私を楽しませようとしてくれてたんだ。そういうみんなの気持ちに、ちゃんと応えなくちゃいけないって、そう思ってたんだけど……」
「……」
「あんな量のお酒を飲めとか言われたら、さすがにどうしようかと思った。私、あんまりお酒は飲めないから」
「そうか、苦手か。なら俺と同じだ」
「同じなもんか。あんなに浴びるように飲んでたじゃないか」
「いや、同じだよ。同じだった」
「……?」
「さっき、フレデリカが言ってたんだ。俺達―――いや、あんただけのことを言ってたのかな?とにかく『友人』だって。それを聞いた時、俺は嬉しかったよ。あんな強くて、立派な人達と友達になれるっていうのは、本当に光栄なことだ。
……エリナはどうだった」
「私だって嬉しかった。私には、友人と呼べるような人なんて一人も……」
言いかけたところで、エリナは歩いていたその足をふと止めてしまった。
そうして俯きながら、静かに語る。
「いや、違う。私にだって友達はいた。あの“孤児院モドキ”には私と同じ、身寄りのない人が大勢いた。
―――みんな、置いて出ていってしまった。今頃、どうしてるかなぁ……。やっぱり、置いていくべきじゃ……」
その両眼には、じわじわと涙がたまり始めていた。
わずかに地面から反射する月明かりに照らされて、湖面に映る月のように揺蕩うその瞳は、覗き込めば吸い込まれそうなほどに美しい光をたたえていた。だが、それは言うまでもなく、ずっと眺めていていい、そのままにしていていいようなものではない。
ニイハラは、立ち尽くすエリナの身体を抱え上げた。いわゆる“お姫様なんたら”だ。
「なァっ!?」
褐色の顔を茹で上がらせて吃驚するエリナ。
「エリナは軽いなぁ」
突然の行為に加えてこんなことをのたまうニイハラの胸を、ばしばしと叩くエリナ。
「ふざけるな!ユスティーナを呼んでこの変態を退治させてやる!」
「ははははははは!(爆笑)あんたから見てもあいつってそういうヤツだったのか!後で本人に教えてやろっと」
「いいからお!ろ!せ!」
「嫌だね。俺がやりたいからそうしてるんだ。今日は疲れただろ、このまま宿屋まで送ってやるよ。
……今日はありがとう、エリナ。あんたのおかげで、みんなが助かったんだ。さっき言った通りさ。みんなも、エリナに感謝したかったんだけなんだよ。それが分かってくれるあんたは、やっぱり根っこの部分では優しい人なんだろうな」
「だからふざけ……」
しばらくニイハラの腕の中で喚き散らしていたエリナだったが、しばらくして不意に大人しくなり、赤い顔のまま縮こまってしまった。
「バ……バカ」
よかった。
ニイハラは、そんなエリナの姿を見ながらそう思った。
具体的に何がよいというのか、それは分からない。とにかく、エリナにとって何かいろんなものが、いい方向へと向かってくれているのを感じられた。彼にとってはそれが、この世界が救われることよりも嬉しかった。これでは、まだ終わらせてもいない仕事に対する達成感が薄れてしまいそうだ。
一人の女の子の心が少しだけ変わっていって、それに自分もほんの僅かにでも関わることが出来た。それはやはり傲慢な喜びなのかもしれなかったが、それでも、ここまで快いものだとは思わなかった。
これだけでも、自分がこの世界に生まれ変わった意味があったのかもしれないと、そう思えた。
と、そんなことを考えていた矢先だった。頭上から、何やら声が聞こえてくる。
すぐ近くにいた民家の住人のようだ。二階の窓から顔を出している。
「そういうお熱いのはオレも応援してるし、そんな子供とヤるのもダメとは言わねえよニイちゃん。でもな?そこら辺で犬みたいにおっ始めるのだけはマジで勘弁してくれよな」
「……!?」
「私は別にいいけど、ここでヤっても。ニイハラのこと好きだし」
「 ! ! ! ! ! ? ? ? ? ? 」
いきなりなに衝撃発言をぶっこんでくるんだこのエリナは。
今度はニイハラが、彼女以上に顔を真っ赤にする番だった。
「ちくしょういくぞエリナ!宿屋までひとっ走りだ!《風の馬車馬》ほどではないにせよ。快適な走り心地ってのを見せてやる!」
そうして二人はそのまま、夜の街の中へと消えていった。
言うまでもないが、満更でもないエリナと一晩しっぽりとお楽しみしちゃうような甲斐性は、この男にはないわけなのだが。
※
そうして一晩が明け、エリナは宿屋のベッドで目を覚ました。
そうしていきなり耳に入ってきたのは、隣の部屋から鳴り響くニイハラの怒鳴り声だった。壁越しなので声がくぐもっていて、なんと言っているのかはよく分からない。
「だからさぁ、おかしいって言ってんの!昨日の依頼の報酬はさぁ、確かに振り込まれたことは確認しましたよ?多分依頼内容に記載されてた、臨時収入とやらもたっぷり出たんだろうさ。
だとしてもさぁ、俺の口座の残高が異様に高すぎるんだよ!そっちのミスだろ素直に認めなさいよ!これじゃわざわざ根源通信使ってまで連絡してすぐに教えてあげたこっちが馬鹿みたいじゃないか!」
「?……なんだよもううるさいなぁ。女ひとり抱く意気地もないくせに、声だけはホントデカいんだから……」
「……いや、いやいやいやいやいやいやいやいやいやつまりお姉さんが言ってることはこういうことですか?他の再征者が今回の報酬を俺の口座に振り込んだって?しかも臨時収入込みで?狂ってるだろ……。
あのねぇ馬鹿おっしゃい!昨日ラルフが言い出したことだけど、あんなの酒の席での冗談だろうが、みんなも『そんな馬鹿なことするヤツいない』って言ってたんだぞ?だってのに誰だよこんなことした奴は!
―――えーっと、そのラルフ当人に、フレデリカ、グレンマレィ、ユスティーナにアマラ……
あー……『こいつらならするかも』ってちょっと納得しちゃったよクソ!脳みそどこかに置いてきたのかよあいつら金銭感覚イカれてるってこんなことしてるといずれ身を滅ぼすぞ!どうせ送り返しても無駄なんだろうな、はいはい分かりました。そちらさんのお仕事は正確でございました、お勤めご苦労さん!」
話は終わったらしい。しばしの静寂が戻ってきたと思ったら、今度はエリナの部屋の扉をドンドンとノックしてくるニイハラ。
「エリナ開けてくれー!」
「あぁもう開けるよ周りの迷惑でしょうが!」
慌ててベッドから飛び起き、施錠を解除する。と同時に、彼がずかずかと部屋の中に押し入ってきた。
「エリナ!いいか、心して聞いてくれ!大変なことになった」
「大変なことって、なによ。昨日やっつけた魔物が蘇ったとか?」
「そんなもんまたやっつけりゃいいだけだろうが。そんなクソくだらないことじゃない。いいかエリナ、今から俺の口座に振り込まれている金の額を言う。これは、間違いなく、俺達の、持ってる、お金の、額だからな?いいか?
―――2,000イエズ。キリに直してやろうか?20,000,000キリだ。
に、せ、ん、ま、ん、き、り」
「……」
エリナはしばらく無表情で固まっていたが、徐々にその身体が震えだし、やがてこの世の終わりが目の前で展開されているかのような表情へと変化した。
「………………ッ」
声にもならない叫びをあげる彼女の傍で、突然ニイハラが狂気じみた笑みを浮かべて、両手の平をパンと合わせた。
「あ、そーだー!
家買おう」
こうして彼の、次なる目的が決まった。




