48.岩は痛みを感じず、島は泣くこともない
アマラの放った秘奥により、フレデリカを狙う触脚の多くが無力化された。しかし、未だ十本以上が残存し、彼女の身体を絡め取ろうとしている。
が、それも全てグレンマレィにとっては想定通りの展開だった。
「『《特定刺棘・宙空掃射》』!」
彼は詠唱を行いながら、右手の平を宙に―――《ロックアイランド》の頭上に蠢く触脚の方へとかざした。
瞬間、そこから不可視の波が広がり、天へと向かって伸びる。《能動探知》の探知波だ。それらが標的を捉え、続けざまにしなる触脚のすぐ傍、ほぼ表面上と言っていいほどの位置に魔法陣が出現した。
先の戦闘で《ワーリザード》の群れを一層した《特定刺棘》、その空中版だ。魔法陣から伸びた光の棘が触脚に食い込み、そのまま千切るように切断する。これで、残る十数本の触脚も無力化された。フレデリカを止められるものはもう何もない。
「余力を残してたんですか?まったく抜け目のない……」
傍らにいた疲労困憊のユスティが批難の視線を送ってくるが、それに得意げな顔を返すグレンマレィ。
「こういう時のためにな。おかげで彼女の安全は確保されただろ?」
そうして視線を、はるか高空より敵の頭上目掛けて落下するフレデリカの方へと移す。
お膳立てはもう終わりだ。後は彼女に全てを託すしかない。
「頼んだぞフレデリカ、思いっきりやってくれ!」
※
願う声、期待するその想いは言葉として聞こえなくとも、彼女には届いていた。
眼下に見える灼熱のクレーターはみるみる内に大きくなり、今まさに激突しようとしていた。
《壊心の剣》を逆手に持ち、高く掲げるその手を強く握りしめる。
「オォアッ!!」
そして、大地を真っ二つに引き裂きこのゲルマニアという国を二つに分断するほどの意気でもって、全力でその刃を振り下ろした。真っ直ぐに突きつけられた剣先が、半ば溶解されつつある“岩の島”の外殻を捉える。
それは、もはや斬撃でも落下でもない。“砲撃”だった。高空から落下し、加速度という力が加算されたフレデリカの身体は、もはや人ではなく一発の暴力の塊だった。
激突した彼女の身体は周囲の外殻をえぐり、吹き飛ばしながら、《ロックアイランド》の本体へと向かって鋼鉄の山の中へと潜り込む。下方へと伸びる剣先はそれ以上に深く深く、自らの滅するべきものへと向かって進んだ。
しかし。
それは途中で止まった。落下による勢いは徐々に弱まり、装甲を削り取りながら進んでいた彼女の身体はやがてぴたりと動かなくなった。言うまでもなく、《壊心の剣》の切っ先も同様だ。
外殻の中深く潜った彼女の周囲は、鋼鉄製の装甲の断面がまるで堆積した地層のように模様を描いて取り囲んでいる。それはまるで、険しい渓谷に出来た地溝の中へと、誤って身を落としてしまったような。そんな薄気味悪い光景だった。そしてその地溝の奥から、ピキピキと何かがひび割れるような音が響いていた。―――いや、違う。これは逆だ。ひび割れているのではない。ひび割れたものを埋め合わせようとしている音だ。
《ロックアイランド》が、今なお新しい外殻を生み出している。これはその音だ。
フレデリカは思わず呻いた。
「駄目か……!」
《壊心の剣》の刃は、敵の本体には届いていない。手応えがなかった。未だその切っ先には、鋼鉄の外殻が当たっている。その先にある柔らかい肉へと貫くことが出来ない。
「く……ッ!」
力を込め剣を奥へと押し込もうとするが、それも叶わない。
フレデリカは、自分の身体から俄に力が抜けていくのを感じていた。
ついに着てしまった。“燃料切れ”だ。“失くし児”の特異が彼女の身体から生命力のほとんどを吸い尽くしてしまった。
今まで人の限界を越えた力を発揮していた彼女は、一転衰弱し、その力を失ってしまったのだ。こうなってしまえば、今のフレデリカは《勇者》でもないただのヒトだ。もう、魔物と戦うことも出来ない。この場から離れ、逃げることすら叶わないだろう。手足がほとんど動かない。剣を柄を握るその手は押し込んでいるといよりも、ただもたれかかって支えているだけだ。とてつもない疲労感が全身に染み渡ってくる。
最早、彼女に出来ることはもう何もない。
―――ならば。
フレデリカは眼を伏せ、呟くようにその名を呼んだ。
「ニイハラ……最後の最後に、やはり貴方になんとかしてもらうしかないようだ」
「そうかい!」
次の瞬間だった。
フレデリカの頭上、ひとりの男が装甲の地溝に飛び込み、彼女の傍へと降り立った。
ニイハラだ。
彼は《壊心の剣》の柄を掴むと、そこに魔力を流し込みながら、詠唱を行う。剣を即席の魔術触媒にしたのだ。
「『穿て、《深層貫通弾》』!!」
その声に続いたのは、常人なら容易く鼓膜を破られているほどのすさまじい轟音と、足元から吹き上がる無数のマグマだった。
それが、ちょうどニイハラ達の身体だけを避けながら高く噴出され、上空へと舞い上がっていく。三度目の噴火だ。
装甲が勢いよく爆ぜ、地溝はその奥からえぐられ、大きく広げられる。それはさながら、巨人が溝に手を突っ込み怪力で無理やり押し広げるような、そんな光景だった。
《深層貫通弾》。
鋭利な先端部を持つ弾頭―――今回は、《壊心の剣》を利用させてもらった。その後方から魔力による噴射を行い弾頭を押し込みつつ、さらに先端部から圧縮された火の魔術を炸裂させることで、前方にある障害物を破壊しつつ奥へと進む。
深く分厚い防御壁に守れらた標的を捉えるための魔術だ。
炸裂の威力は鉄であろうと用意に溶解させるほどであり、その着弾点にはとてつもない高熱が充満する。が、弾頭の周囲に熱量と衝撃を遮断する結界を展開することで、発動した術者自身が消し飛ぶことを防ぐ。
そのおかげで、この凄惨な破壊の只中にいるニイハラ達にはなんの影響もなく、身体どころか、その身につけている衣服にすら煤一つ付くことはない。
これならば。
これならば今度こそ、外殻の鎧を全て剥ぎ取り、その奥に隠れた弱点を丸裸にすることが出来る。後はそこに軽く刃を突き刺せばいい。そうすれば《ロックアイランド》の核は機能不全を起こし、この“岩の島”は死に絶えるはずだ。
これならば……
―――いや、これでもまだ駄目だ。
足場代わりにしていた外殻も爆発によってえぐられ、クレーターとなった。
二人は宙ぶらりになった足を、ひとまず剣の柄に乗せる。その緩やかな所作に反して、フレデリカの面持ちは沈痛なものだった。
あれほど立て続けに攻撃を続けても、まだほんの僅か、ほんの数サン(cm)ほどの外殻が残っている。そして、ただそれだけの装甲が彼女にとっては重く、そして大きなものだった。
あと少し、人差し指ほどの厚さの外殻を破れば、それで本体に届く。だが、それが出来ない。すでにフレデリカには余力はなく、ニイハラもまた先程の《連続開放》と、今しがた放った《深層貫通弾》。そして、《鋼鉄の主》の連続使用により生命力の多くを消耗し、魔術による追撃も、肉体的な力で刃を押し込むことも困難だった。
そして何より、《ロックアイランド》は今なお、吸収した《ワーリザード》の根源を利用して、絶え間なく外殻を再生産している最中なのだ。すでに周囲に穿たれたクレーターも、急速に修復され、鋼の殻によって埋め立てられようとしている。このままでは、折角ここまで差し込んだ《壊心の剣》の剣先も、本体の産生する外殻により押し上げられてしまうだろう。
その前にどうにかして、残っているほんの僅かな装甲を貫き本体を攻撃しなければならないのだが、今この場にそれを可能とする者は誰もいない。
万策尽きたということか……
「すまないニイハラ、我々に出来ることはもうない。後は第一師団を頼るしかないだろう。全ての者が力を出し切り、全霊を捧げた結果がこれだ。悔いは残るが、諦めてこの場から撤退しよう。……逃げるだけの体力が残っているならの話だが」
憤懣やるかたない。その吐き捨てるようなフレデリカの声に対して、ニイハラの表情は涼しいものだった。彼はケロリとした顔で、彼女の言葉に応える。
「いや、これでいい。俺達の勝ちだ」
「……なんだって?」
「ここまで追い込んでしまえば、さすがに仕損じることはないだろう。一番オイシイところは、あの子に譲ってやるさ」
「ニイハラ、一体何を言―――
―――……って」
聞き返す言葉は、最後まで言い切ることが出来なかった。
瞬間だった。
フレデリカの眼前を、頭上から足元へと向かって、何かが通過した。生命力を使い果たしてもなお、未だ健在である“失くし児”の優れた動体視力が、それを確かに捉えた。
小さな、尖った指のような形の物体。それが音よりも早く飛来し、螺旋を描くように横回転をしながら空を切り、そのまま《壊心の剣》の刃に並行するかのように真っ直ぐクレーターの底へと向かっていくその様を、彼女は確かに見届けた。
その物体はそのまま吸い込まれるように、“岩の島”の外殻―――奴に攻撃を届かせるための最後の壁に向かって進み、そしてそれを、
砕いた。
鋼鉄が断裂するその音とほぼ同時か、あるいはわずかに遅れて響いたドボッ、という鈍い音を、フレデリカは聞き逃さなかった。
彼女は無意識の内に頭上を仰ぎ見た。その謎の物体が飛来してきたであろう方向をだ。
そこには、小さな―――例えば両手の平を使って円を作ってみろ、と言われて実際にやってみた時のような大きさの穴が、宙に穿たれていた。その穴の奥はここではないどこか別の場所に繋がっていて、そこには一人の、何か棒のようなものを構えた褐色の少女の姿が見えた。
少女の構える棒のような物体の先端から、先程飛来したものと同じ指のような物体が放たれ、それは再び迷いなく真っ直ぐに飛んだ。
「―――やったか?」
※
《次元通孔》という魔術がある。
“金”の根源により空間の位相を歪めることで、ある場所と、そこから離れた位置にある別の場所を繋げる孔を作る魔術だ。これにより、かなり遠方の場所であってもほんの一息で移動させることが出来る。
とはいえこれは魔術の中でも相当に高度なもので、生成出来る孔の広さは良くて数サン程度。とてもではないが、人が一人くぐり抜けるほどの大きさのものは作ることが出来ない。それはニイハラにしても同じだった。
そのため、ゲルマニアにおいても広く普及している魔術ではなく、せいぜい迅速にやり取りされるべき重要な文書や物資を送る時に用いられる程度の、言うなれば希少な魔術だった。
その《次元通孔》が今、エリナの眼前に生成されていた。
その孔に向かって、彼女は発砲したのだ。孔の先に繋がっているのは、《ロックアイランド》の頭上だった。
事前に他の者に通達していない、この作戦の本当の最終段階だ。
いくら彼女の持つ《黒い羽》であっても、さすがに厚さ1メンスもの外殻が幾重にも折り重なった鎧を破ることは不可能だ。
だが、それがほんの一枚、しかも大部分が削り取られ薄皮程度しか残っていないものならば、《二次推進穿孔式比例炸薬(STPPE)弾》の威力をもって破ることが出来る。
打てる手を全て打って、その上でまだ《ロックアイランド》が生きていたのなら、止めを刺せ。それがニイハラからの指示であり、彼女はそれをただ黙々と遂行しただけだ。
弾倉に装填された三発の弾薬。その一発目が外殻を破り、敵の本体を捉える。“岩の島”の持つ生命力が集中する箇所、すなわち急所だ。
続けて放たれた二発目の弾丸が、新たに生成されようとしている外殻を容赦なく吹き飛ばしながら再び敵の体内に入り込み、《比例炸薬(PE)》の術式によりその肉を根源に還元しながら爆発し、内側から抉っていく。まさしく山のような巨体が持つ生命力は膨大なものであり、それらの一部がまるごと破壊力に利用されるのだ。ほんの数サンの大きさしかない鉛玉が、その体積の何十倍もの範囲を壊していく。
それは、間違いなく致命傷と呼べるものだった。
最後に放った三発目。それが真っ直ぐに敵の急所を捉えたのを、《次元通孔》の向こうに確認したエリナは、それ以上弾を込め次弾を放つことはなかった。
銃身から顔を離し、一度大きく息を吸ってから、崖際でゆっくりと立ち上がった。そうして、眼前に広がる“大地の臍”。その中心に佇む“岩の島”の姿に目を向けた。
奴は悲鳴の一つも上げない。ただ、先程まで続けていた進行をぴたりと止めただけだ。苦しんでいるようにも、怒れるようにも見えない。ただ、静かにその場に存在するだけだ。
その姿は生物のそれには見えず、あれはやはり、本当にただ岩が堆積して出来た小さな山であり、ひとつの島でしかなかったのか。とすら、エリナには思えた。
しかし間違いなく、あれは先程まで生きていたし、そしてこれから死んでいくのだ。
何故自分がこんなことを言っているのかも分からないまま、エリナは静かにそう呟いていた。
「悪いね。自分を殺した相手の、顔さえ見えないっていうのは悔しいでしょ」
あるいは、声もあげずに死んでいくあの生き物のことを、どこか寂しいものだと思ったのかもしれない。




