46.平和なる錆……その名は
ニイハラは続けて、通信手に呼びかける。
「広域通信に、俺の声を乗せることは出来るか?」
「か、可能です。駐屯所経由で、全ての人員に呼びかけることが出来ます。すぐに繋げます」
「ならそうしてくれ」
そうして一呼吸置いてから、彼は“大地の臍”に存在する全ての兵士に向けて伝達した。ニイハラの声が根源通信の術式に乗って、戦場を駆け巡る。
「あー。再征者のニイハラだ。すでに聞いていると思うが、《ロックアイランド》が移動を開始した。その速度はあまり速くないとはいえ、このままのペースでいけば近い内に山を越えてブラッケンドの鉱山に侵入してしまう。そうなる前に、我々の手で奴を始末する。事前に通達されていた作戦を実行するぞ」
その言葉に異論を挟み、彼に詰め寄る者がいた。
ユスティーナだ。
「いや、ちょっと待ってください。これがもし失敗すれば、私達も身動き取れなくなる。そうなったらあれを止める手立てもなくなりますよ」
それに、一度広域通信を切ってから応えるニイハラ。
「かといって、何もしなくても同じことだ。完全に撃破することは出来なくても、痛手を追わせれば移動を遅くすることぐらいは出来るはず。可能性があるならまず行動するのが再征者ってモンだろ」
「それはそうですけど。……どうなっても知りませんよ」
ユスティがこうも喰ってかかるのには、ある理由があった。
ニイハラが先日の作戦会議で立案し、そして今実行しようとしている作戦の第一段階。それを行うのは他でもない、ユスティだった。
要は彼女は緊張していたのだ。第一段階ですでに不備が生じてしまえば、後の作戦が全て台無しになる。その責務を負う自信が彼女にはなかった。
そしてそんな心の機微を、ずっと彼女の身を案じていた無精髭の男が気づかないわけもなかった。グレンマレィは彼女の頭を軽くポンポンと叩いて、いつもの緩みに緩んだ声で語りかける。
「ダメで元々。もしもの時は、みんなで諦めて帰ればいいんだよ」
「そんな無責任な……」
「“無”ではないさ。責任を全て果たしてやるべきことをやった上なんだから、それでいいんだよ」
「……」
彼の言葉はなんというか、日和見的で楽観的で、かつ事なかれ主義的なものだった。だが、物事をリラックスして考える上では、間違ったことではない。
そりゃそうだ。どうせ何もやらなくてもダメなら、何かやってダメだったとしても同じこと。それを批難する権利など誰にもない。
「分かりました。やってみます」
彼女の心も決まったらしい。すでに警備達の者達も、作戦を開始するのに異論はないようだ。おそらくは右翼側にいる部隊も同じだろう。まったくの0%とほんの1%なら、せめて《ロックアイランド》を止められる可能性が高い方を選ぶ。すでに多大な戦果をあげているニイハラの考えなのだから、ほとんどの者は疑うこともなく信じてくれていた。仮に彼が何の働きもせずただ寝ているだけの無能な怠け者だったとしても、それは同じことだっただろう。
成否はともかくとして、現在進行系で移動している“岩の島”を止めることが出来うる手段は、この作戦以外には誰も思いつかなかった。
ニイハラは再度広域通信を作動させ、呼びかける。
「よし、すぐに開始しよう。万事手筈通りに。“合図”は待ってたらすぐに分かるだろう。みんな、よろしく頼む」
そうして、作戦の伝達を終え再び通信を切る。すでに作戦の内容は各員事前に聞いて把握しているはずだ。後はその通りにことが進めばいい。
もう一度ユスティの方へと向く。
「やってくれ。大丈夫だ、もしもの時は俺がなんとかしてみるさ」
さも当然のことのように言うニイハラを呆れ顔で見返し、一度大きなため息を吐くユスティ。
「だったら、もし上手くいかなった時は責任は全部貴方に負ってもらいますからね」
が、それ以降彼女は、愚痴も弱音も吐かなかった。例え再征者としては実力不足でも、彼女は一流の魔術師ではあるし、その腕に自信がないわけではなかった。
となれば、目の前にある自らの役目に対しては、全力で向き合わなければなるまい。
なにせこれからやることは魔術の発動―――ユスティにとっては出来て当然のことなのだから。
彼女が左手に持つ魔術目録の頁が素早くひとりでに捲られ、ある術式を記したところでぴたりと止まった。それと共に彼女は残る右手を高く、ちょうどゆっくりと移動する《ロックアイランド》のその上空に向けてかざす。
それから彼女の口は、静かに詠唱を始めた。術式による即時発動ではなく、より魔術の精度、そして威力を高めるためだ。
「『魔法陣展開、《集束》開始』
『其はただ火を宿すもの……』」
その詠唱に呼応するように、なにもないはずの空にそれは浮かび上がった。それは、あるいはかつてこの世界に出現した“虚空”というものはこのようなものだったのだろうかと、この場にいる者達に想起させるようなものだった。
巨大な魔法陣だ。幅1,000メンスという《ロックアイランド》の巨体に匹敵するほどの直径を持つ円形の魔法陣が現れた。
物体にせよ、あるいは形ないものにせよ、それを一箇所に集束し圧縮する魔術である《集束》。その規模を極限まで拡大させたものだった。つまりあの魔法陣は、周囲に存在するあるものを吸い寄せるための口なのだ。
では、そのあるものとは何か―――
魔法陣の出現を確認したフォルニアの警備隊長が、部隊に指示を飛ばす。
「よし、根源を供給しろ!死ねとまでは言わん。だが足腰立たなくぐらいまでは全部吸い出せよ」
そう。あの魔法陣は、許可したものから根源を吸収するためのものだった。対象となった者、すなわち“大地の臍”にいる再征者達がそれを許可さえすれば、自動的に彼らの生命力を吸い寄せ、内部に蓄積させる。いうなれば、ユスティの使っていた根源蓄筒の拡大版。バッテリーではなくダムだ。
周囲にいる兵士達の身体が俄にぼんやりとした光を放ち、それが風に漂うかのように上空の魔法陣へ向かっていく。視覚化された生命力だ。《集束》がそれを吸い上げひとつの力の塊へとまとめ上げていく。
それを確かめながら、ユスティは詠唱を続ける。
「『白昼に浮かぶ陽光。宵闇に散りばめられた星。それらは異なる世界に住まう、同じ祖を持つ兄弟。世界の原点から産み落とされた、万物の母のその一つ。我らと同じに尽き果てる、その時まで輝き続ける生命の煌めき。ならば母よ。我が子の姿が見えるなら、どうかこの願いを聞き届け給え』」
その横で、ニイハラもまた詠唱を開始していた。
天空に浮かぶ魔法陣に、掴み取るかのように手を伸ばし言葉を紡ぐ。
「『複合魔術、作動』
『《還元》、《集束》……世は循環する。水はやがて天へと昇り、雨となって大地へ還る。ならば、其はどこへ往くというのか』」
詠唱が進行するに伴い、魔法陣に供給される根源に変化が生じ始めた。無色無質量だった物体が、徐々に形を得ていく。
それは、炎だった。
―――いや、その形容も正しくないかもしれない。それは最早ただの炎を超えていた。
星だ。煌々と輝く小さな恒星が、そこには誕生しようとしていた。
※
右翼の部隊もまたニイハラからの伝達を聞き、展開された魔法陣への根源供給を行っていた。
が、ただ一人、そこに加わることが出来ないものがいた。
ラルフだ。彼の身体は、外部からのものであっても魔術がほとんど作用しない。それはあの《集束》も例外ではなく。彼がどれだけ望んだとしても、自らの力を分け与えることが出来ない。この作戦に参加すること自体が、出来なかったのだ。ここに来て、これまで生命を賭して戦ってきた彼は、無力となった。
魔法陣をじっと見上げながら、根源の吸収に身を委ねていた一人の魔術師の方へと歩み寄った彼は、その手に持っていた大剣を軽くその眼前の地面に突き立てつつ、呼びかけた。
「すまん。一つ頼みがある」
「ラルフか?一体どうし―――あぁいや、そうか。お前は何も気にするな、今まで俺達のこともよく守り抜いてくれたじゃないか。もう十分だ、休んでいればいい」
「そうさせてもらうが。それならせめて、この剣に《還元》をかけてくれ。そうすれば多少は根源供給の足しにはなるはずだ」
「大剣を……?別にそれは構わないが、相当上質な武器だろう。“櫓振るい”の扱う剣ほどでないにせよ、鍛造にも修飾にもかなりの技術と手間が使われているはずだ。タダで作ったものじゃないんだろう?これだけのものとなると、500イエズはいってもおかしくない……」
武器というのは、戦士にとっては二つ目の心臓も同然だ。ましてや《騎士》にもなれば、長い年数をかけ多くの技術を投じて製造されたものを扱う者も少なくない。フレデリカの《壊心の剣》と同じだ。
それだけのものとなれば、かかる費用も相当なものとなる。依頼を何度もこなしてやっとの思いで稼いだ報酬の、そのほとんどをはたいてやっと手にれられるような代物なのだ。
が、その上でラルフには、迷いはなかった。
「いいんだ。武器はまた用意すればいい。しかし、この作戦が失敗して民間人に犠牲者が出てしまえば、それはもう二度と戻らない。やってくれ」
「……分かった。魔法陣の方が勝手に生命力を吸い取ってくれてるから、こっちも手は空いてる。すぐに始めよう」
彼の強い言葉に折れた魔術師は、突き立てられた大剣に《還元》を開始した。後は任せておけば、刃は分解され根源へと還り、そのまま魔法陣へと送られていくことだろう。
それでもなお、この身体を使うことが出来ないことが無念だった。ラルフは視線を移し、細めた眼で、天に映し出されたその巨大な像を、睨むように見つめた。
「(いっそ、この身をまるごと火種にして、投じてられればいいものを……)
※
ユスティとニイハラ。二人の詠唱は続く。
紡がれる言葉に淀みはない。先程は散々渋っていたものの、実際の所ユスティはこの魔術を発動したくて仕方がなかった。
数百人もの人の生命力を吸収して放たれる一撃。後災暦以降発動された記録もない、ただ理論のみが存在するだけの、誰も見たことのない大魔術だ。これが発動してしまえば、この場にいるほとんどの人間は生命力の大部分を消耗し、それ以降の戦闘は到底出来ない状態となる。つまり、一度きりの大博打だ。だからこそ魔術の威力は絶大なものとなる。その気になれば、地形を変えることすら出来るだろう。
それを今自分の手で、発動しようというのだ。それは魔術師としてはこの上ない名誉だった。詠唱を続ける彼女の胸中は、興奮により舞い上がるかのようだった。
「『其の身よ落ちよ。静かに佇む恒星は、今流星となりて天を駆け抜け給え。全てを照らすその輝きを、ただこの地にのみ捧げ給え。この地に、世の始まりのその姿を再現し給え。平和なる錆をもたらす者、其の名は』……」
「『我は掌握する。根源よ、この手に宿り身を委ねよ。我が思うが儘となれ。そして、繰り返せ。地に流れた水が川と流れまた天へ還るように、其もまた循環せよ』」
魔法陣の中心に輝く炎の塊は、益々その輝きを増している。空に浮かぶ太陽よりもなお熱く照り付けるようだ。いっそ“大地の臍”にいる再征者達の身をそのまま焼き焦がしそうでさえあるが、全ての熱量が火球の中に圧縮されているため、周囲への影響はほとんどない。封じ込めた全ての熱を、ただ対象にのみぶつけるのだ。
すなわち彼らの眼前にそびえ立つ、“岩の島”へと。
詠唱が最終段階―――命題詠唱に入る。
「『其の名は……《落星爆雷》』!」
詠唱の完成をもって、魔術は発動した。この世に産み落とされ、完全なる形を得た二つ目の太陽が今、ゆっくりと地上へ向けて落下し始めた。
その後に待つのは、大地を塗り替えるほどの壮絶な破壊だ。




